La Guitarra (Arquitectura del Cante Jondo) de García Lorca a Manolo Sanlúcar マノーロ・サンルーカルに捧げるロルカ「カンテホンドの構造」

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Una presentación homenajeada a un destacado guitarrista, y a un lejendario poeta.

An homage presentation to the preeminent guitar player and the legendary poet.

ガルシア・ロルカという人は、詩作や戯曲だけでなく、生前多くのレクチャーを行い、それらの中で数々の名言を残した。

特に、アンダルシア音楽文化の根幹を成し、フラメンコの母体と言われる、アラブ起源のジプシーたちの調べ、「カンテホンド(深い歌)」と,ギターとの関係を語った「カンテホンドの構造」という講義は圧巻で、今日は、その言葉を引用して作った、惜しくも7月末に、78歳でこの世を去ったスペインの傑出したギタープレイヤー、マノーロ・サンルーカルに捧げるオマージュ演奏の動画をご覧ください。

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”ギターが、アンダルシアの歌の多くを形作ってきたのは疑う余地がない。ギターは常に歌うものに従い、リズムを刻み、声の背景となり、歌の対象だった。

しかし、ギタリストの個性は、歌手のそれと同じくらい際立つものなので、徐々にファルセータ(ギター独特のソロフレーズ)が生まれることになる。

ファルセータは伝統であり、一部のギタリストだけが、その「良き血統」を表現できるが、昨今では、これ見よがしの演奏に走るだけの、意味のない喝采に満ちた、嘆かわしい「イタリア的オペラフラメンコ」になりさがっている。

現在、見世物として歌い踊られているフラメンコは、カンテホンドの「退化」でしかない。

「良き血統」というのは、アンダルシア人、特にジプシーたちの持つ、「旋律とリズムの変容と浄化の能力」。そして本質が際立つように新しいものや付属品を排除する賢さ、絶対的古代のアクセントで音を描く方法や、測定する方法を知る魔法の力のこと。

ギターは常に、暗黒の東洋、ユダヤ、古代アラブの「神への祈り」刻み、深化させてきたが、そのために吃音(きつおん)がある。

ギターはカンテホンドを西洋化し、アンダルシアのドラマを他に類を見ないほど美しいものにし、かの地を、東西が激突する素晴らしい「文化の島」にしたのだ。”

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いま、このような感覚でギターを弾くプレイヤーが、世界にどれだけいるだろう?

また、ギターという楽器に対してこのような気持ちを持つ、真にロマンティックな人間がこの世に存在するだろうか?

「カンテホンド」本来の深さと静けさから外れ、見世物に成り下がるフラメンコを、「嘆かわしい」イタリアオペラにたとえての非難も興味深いが、「暗黒のアジア、ユダヤ、古代アラブの祈りを刻み続けてきたために、どこかどもりがち(吃音)になる」というギターの調べ…

これこそが、僕がアルゼンチンフォルクローレ、そしてユパンキ芸術の母体と信じる「カンテホンド」の極致であり、僕が目指す、「カンテホンド・イベロアメリカーノ (南米風カンテホンド)」の出発点なのだ。

ロルカの生きた、20世紀初頭の時代にあって、すでにフラメンコはこのような有り様だったので、今のフラメンコのアーティストなど、もしロルカが聞いたら、どんな言葉で蔑むか想像もつかない。
マノーロ・サンルーカルは、おそらくロルカからの「お墨付き」をもらえたであろう、数少ない優れた「良き血統」のギタープレイヤーだったという気がする。

このスペイン生まれの大芸術家は、僕が17歳の時に日本にやって来て、かつて新宿にあった「エル・フラメンコ」というスペイン料理店でコンサートを行い、そのライヴ録音がLPレコードとして、彼の離日後に発売された。

そのレコードの素晴らしさと言ったら!
本当に息が止まるようだった。

その中で彼がプレイした、「ガルシア・ロルカに捧げるエレジー」というナンバーが特に胸を打ち、解説を読むと、ガルシア・ロルカはスペインの詩人だと書いてある。

もうその時点で、僕はいてもたってもいられなくなり、今レコードを買ってきたばかりの渋谷に逆戻り。
書店でロルカの詩集を買って、帰りのバスの中で食い入るように読み耽った。

僕は、この傑出したスペインのギタープレイヤーの作った曲のおかげで、ロルカに出会うことができたのである。

来年3月17日の東京オペラシティ公演は、ユパンキの魂の調べと、新たな「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の融合世界を、天国のロルカに嫌な顔をされないように、是非みなさまに楽しんでいただけることを願っています。