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今年の1月26日、東京麻布十番のミシュラン⭐️⭐️超人気レストラン「富麗華」で行った、スペイン不世出のバイラオール(男性フラメンコ舞踊手)アントニオ・ガデス、そしてやはりスペインの国民詩人ガルシア・ロルカに捧げたスペインコンサートのクライマックスは、シャンソンシンガー黒川泰子さんの圧巻のパフォーマンスを伴って初演した、25分に及ぶ組曲「血の婚礼」。
冒頭の、バッハを展開させたオープニングのギターソロ、“Preludio Lorquiqno(ロルカ前奏曲)”で使用したテキストは、ガルシア・ロルカが、「カンテホンドの構造様式」とタイトルした、アンダルシアの音楽文化の根幹をなす「カンテホンド(深い歌と訳されるジプシーたちの調べ)」について語った、21ページに渡る解説書のなかから、“ギター”と、“シギリージャ(最も様式的なフラメンコ形式のひとつ)”を使用したもの。
スペイン語と日本語の字幕をつけてある。
いま、このような感覚でギターをプレイするものがいるだろうか。
おそらくこの域に達したのは、晩年のパコ・デ・ルシアと、不朽の傑作ソロ「ガルシア・ロルカに捧げる哀歌」を自作自演したマノーロ・サンルーカルくらいだろう。
マノーロの同曲は、この世に存在する最高のギターソロ曲と言い切れる。
フラメンコもまた、その真髄はユパンキ同様「静寂」であり、ゆえに現在タブラオやショーで演奏されるほとんどのフラメンコは、全て無意味に誇張された安っぽい「オペラ・フラメンコ」であり、カンテホンドの退化にすぎないのだ。
そして、2004年あたりから、この世を去るまでの10年感のパコのプレイは、真に素晴らしかった。
僕は、パコの遺作となったアルバム「アンダルシアの歌」を聴いて、アルゼンチンの伝統音楽のルーツがカンテホンドにあることを確信し、自分の音楽にロルカの要素を導入するに至った。
パコが死ぬ前に、ポルトガル生まれの母親へのオマージュとして、歌と舞踊を伴い、ライヴのクライマックスでプレイしていた「Luzia」というナンバーを、僕は、ギターという楽器を使ってクリエイトされた、最高のエンターテインメントだと思っている。
今年の11月13日に行う東京カテドラル聖マリア大聖堂公演は、おそらくギターのソロプレイヤーとしての僕の、これまで培った頂点をみせるものになるだろう。
来年は、決してパコやマノーロのの真似ではない、「Luzia」を僕のスタイル「カンテホンド・イベロアメリカーノ(南米の深い歌)」として、日本が生んだ不世出のモダンダンサー、アキコ・カンダさんへのオマージュとして、歌、ギター、そして現代舞踊を導入してライヴを行う考えでいる。
“疑いの余地がないのは、ギターが「カンテホンド」を生み出したということ。ギターは古代に生命を受け、言葉をとつとつと詰まらせながらも、暗黒のアジア、そしてユダヤ、アラブの大衆と向き合い取り組み、深めてきた。
そしてギターは、いつしか歌を西洋化し、東西の対立というドラマに比類のない美しさとポジティブな美をもたらし、アンダルシアを文化の大陸にしたのである。”
ガルシア・ロルカの「カンテホンドの構造様式」は僕の信念。僕はこのフィーリングとともにギターをプレイしてゆく。
ここから離れて音楽活躍を行うことは、今後もありえない。