山形県高畠 はまだひろすけ(浜田広介)記念館訪問

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だいぶビハインドになってしまいましたが、今年1/26の東京麻布十番「富麗華」公演を大成功に終えた翌日、ご縁あって、僕は東京の応援者の方に同行していただき、山形県高畠にある、傑作児童文学「泣いた赤おに」の作者として知られる、日本を代表する童話作家はまだひろすけさんの記念館を訪れました。

今年の11月9日の日曜日、同記念館において、はまだひろすけさんの息子さんであった、僕の恩人濱田滋郎さんと、滋郎さんが誰よりも愛したユパンキに捧げる二公演を行う予定です。

記念館の敷地内にある、はまだひろすけさんの生家。

実際はここから少し離れたところにあったものを、一度ぜんぶ解体して運び、この場所に復元したそうです。

屋根だけは、残念ながらオリジナルの茅葺にできないので、現代の建築様式で置き換えたということ。

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11月9日のコンサートが行われる記念館ホール。

まるで、ギターの内部に入ったかのような響きとフィーリングが得られるこの設計は、もしかすると濱田滋郎さんのアイディアが反映されていたのかもしれません。

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気を張った東京公演の翌日…

さすがに僕の表情には若干のむくみが感じられますが、米沢ラーメンと、米沢牛の焼肉の最高峰のお店で、楽しい時間。
僕の向かい側に座っておられるのが、はまだひろすけ記念館の理事長を勤めておられる近野さんです。

手前左が、応援者の奥田さん。

手前が記念館館長の金子さん。奥が近野理事長。

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高畠駅のなかに立っている「赤鬼と青鬼」。

この町の人々が、いまもはまだひろすけさんをいかに愛し、誇りに思っているかがよく伝わります。

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高畠には、日本三大文殊のひとつ「亀岡文殊堂」があります。

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また、この土地には、伊達家の墓地(墳墓)があります。

伊達家は、置賜と呼ばれたこの地方を、米沢に移る以前、210年間に渡って統治したそうで、いまも武士(もののふ)の魂が、民衆の家々の裏手でひっそりと佇んでいる感じ。

写真にあるのは、九代伊達政宗と、そのお家さまのお墓です。

僕の高祖父は、ここから少し離れた会津の‘もののふ(武士)’でした。
彼は江戸に落ち延びたのち彰義隊士となり、最後まで戊辰戦争を戦った佐幕闘士。
高畠公演に合わせて、このひいひい爺さんをひっかけた曲ができないか、今アイディアを練っているところです。