アグスティン・バリオス・マンゴレ 心優しきギターの楽聖 


演奏家として、今後決して忘れることの出来ない一夜となった2月26日のカーネギー公演の際、事前の主催者との話し合いの結果、私はアルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキ、ブラジルのエイトル・ヴィラ=ロボス、そして私自身の作曲による作品を演奏しましたが、実は最後まで候補に残った作品がほかにありました。



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それはユパンキ、そしてヴィラ=ロボス同様、南米のギター音楽を語るときに、もうひとり決して忘れることのできない、パラグアイに生まれた放浪の天才ギタリスト兼作曲家、アグスティン・バリオス・マンゴレの最高傑作曲、"ラ・カテドラル"です。

(写真は、1929年10月18日に、ブラジルのサン・パウロで行われた、バリオス・マンゴレのリサイタルのポスター。 右横にポルトガル語で、'O REI DO VIOLÃO(ギターの王様)'と書かれています。)

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その美しい旋律と、南米でも独特の文化をもつパラグアイのエネルギーと静けさを湛えた曲想で、おそらくその名は今後も、世界中のギター・ピープルに愛され続けてゆくであろうバリオス・マンゴレですが、生きている間から大きな名声をえていたユパンキやヴィラ=ロボスと異なり、彼の人生は、どちらかといえば恵まれないものでした。


まだ空路の発達するずっと前の時代に、彼はギター一本を持って中南米ほぼ全域にわたって旅をし、数え切れないほどのリサイタルを行い、自らがクリエイトした愛するギターの調べを、ときにはアマゾンの奥地までも赴いて演奏活動を行った人でしたが、生前得たものといえば、僅かばかりのお金と、この巨匠に決して値することのない、きわめて小さな社会での認識度でした。
彼は1944年、8月7日、ひとりさびしく貧しく、エル・サルバドルの首都、サン・サルバドルでこの世を去ったのです。


彼の音楽は、まちがいなくひと時代先を歩いているものでした。
かつてヨーロッパの偉大なる作曲家たちが辿った運命に、もっとも近い人生を送った優れた近代音楽家、それがこのバリオス・マンゴレだったのかもしれません。


また、彼はもともと本名であるアグスティン・バリオスという名前で演奏活動(トップ写真上)を行っていましたが、ある時期、パラグアイの多くの人々がそうであるように、彼らの祖先である先住民族グアラニー族に敬意を表するあまり、名前をNitsuga Mangore-ニツガ・マンゴレ (Nitsuga は、Agustinのさかさま読み)とインディアン風に変え、なんとグアラニーの酋長のアウトフィットに身を包んで聴衆の前に登場していました(トップ写真下)。


結局このスタイルでの演奏は約3年続いたそうですが(インディアンの酋長のスタイルをキープするのは、相当のボディーシェイプアップも必要だったはず...)、そのあとは再びもとのスタイルに戻り、両者の間をとって名前をアグスティン・バリオス・マンゴレとしたようです。

なんと愛すべき、ケタはずれのナイスガイでしょうか!

なお、パラグアイという国名も、現在も同国においてスペイン語と同じように公用語として話されているグアラニー族の言語(グアラニー語)で、"鳥の冠をかぶる人"という意味の言葉に由来するのだそうです。


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'ラ・カテドラル'は、疑うことなくバリオスの最高傑作といっていい作品です。


(このナンバー、日本では翻訳されて'大聖堂'というタイトルが一般的になっていますが、私はむしろスペイン語の原題のほうが好きですネ。)


'孤愁のプレリュード'、'敬虔なアンダンテ'、そして'荘厳なアレグロ'という三楽章構成のソナタ形式をもつこのナンバーは、まさに南米の土壌と民衆のみがもつフォルクローレの香りに、あたかもベートーヴェンの'月光'や'悲愴、そして''テンペスト'を彷彿とさせるような、バリオス自身があこがれてやまなかった素晴らしいヨーロッパのスタイリッシュかつロマンティックなフィーリングが融合し、結果、独自の様式美を備えたラテンアメリカのギター音楽として生命を受けた、ひとつの完全な芸術とよべるものでしょう。

残念ながら、三部構成ということで少々長いため、今回のカーネギーのステージでは実現しませんでしたが、私がこれから目指すのは、ユパンキ、ヴィラ=ロボス、そしてこのバリオスをすべて同じレヴェルでインタープレテーションを行い、そこからさらに、それらに根ざした独自の音楽を創り出すという作業です。
一回のコンサートで、この三人の音楽をすべて弾き歌ったうえで、さらに自分自身のクリエイションを演奏するプロのアーティストは、世界的にもほとんど存在しないと言ってまちがいありません。
これが私にとって、これから先の数年間、ひたすらむかって走ってゆくゴールラインになると思っています。


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つい最近、私がこちらで行ったサロンコンサート。
ユパンキでスタート、そしてヴィラ=ロボス、さらにバリオスで幕を閉じるという内容です。

これを拡大して二部構成にしたものが、今後の私の公演プログラムの核となってゆくでしょう。


2008年12月20日 | Hombres Grandes,Criollos Fantasticos(大いなる人々、そして素晴らしき南米人たち)