ギターを抱えた'マリアの兄'と、'ヒロシマ~忘れえぬ町'
ニューヨーク生活においては、まさに大先輩といえるサミー宮本さんとともにご招待いただいた、'ニューヨーク倫理友の会'春のランチョン"。
一週間ほど前、会のニュースレターと写真を送っていただいたので、ここでご紹介したいと思います。
(写真にあるテキストは、クリックすると大きなサイズでお読みいただけます)
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実を言うとこの日、'ヒロシマ~忘れえぬ町'は当初演奏予定にいれておらず、もしアンコールがあったときには、おなじみの名曲、ドビュッシーの'亜麻色の髪の乙女'をギターのソロで弾く予定でいました。
'ヒロシマ'は、ユパンキ独自のロマンティシズムにあふれるラヴソングですが、10分におよぶ大作で、全編をとおして、演奏するほうにも聴くほうにもかなり高いテンションが必要となるため、あまり、ランチョンのような会においてのアンコールむきのナンバーとはいえません。
しかしこの日は、たった4曲の演奏のあとにもかかわらず、満場のお客様と奏者である私の間には、目に見えない上質のソニックウエーヴが、あふれんばかりに渦を巻いていました。
こうして私は急遽、'ヒロシマ'を演奏したのです。
参加させていただいて、とても気持ちのよい会でした。
ここであらためて、'ニューヨーク倫理友の会'の皆様にお礼を申し上げます。
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写真は、ワシントンの桜協会の方が撮影して送ってくださったもの。
この方は演奏を聴くために、早朝午前4時に起床してニューヨークにかけつけてくださいました。
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マリアの兄'ベルナルド'は、ニューヨークでナイフをギターに持ちかえましたが、パープルのシャツだけは、あいかわらず手放しません。
実は私は、23歳のときに好きな女性がいて、なんと彼女は恐れ多くも、スペイン語圏のある国(どこの国かはナイショ)の駐日大使令嬢(!)でした。
彼女は私を、"あなたは顔を浅黒く塗ればプエルトリカンに見えそうよ。"と言って(ラテン女性はやさしいです)、つねにパープルのシャツを身につけ、口を開けば"ニューヨークに行きたい"としか言わない当時の私にスペイン語の発音を教えてくれたりしました。
当時私は、ヴェネズエラのサルサシンガー、オスカル・デ・レオンのレコードが大好きで、よく彼の歌うナンバーに振りをつけて踊ったりしていましたが、ある夜、車のカーステレオでこのアルバムをかけていると、急に彼女が車を降りて踊りだしたので、私もつられていっしょに踊りだしました。
道行く人々はおそらくビックリしたと思いますが、いまとなってはもう、そんな情熱的でロマンティックなことは二度とできないでしょう。
彼女もまた、マリアという名のエルモーサ・ムチャーチャ(美しい娘さん)でした。
私の最初のスペイン語の先生といえるでしょう。
しかし、そのとき学んだスペイン語の発音が、のちにユパンキの演奏に役に立つことになろうなどとは、まったくもって夢にも思いませんでした。
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2009年06月04日 | Knight's NY diaries(ニューヨーク日記)




