「Hombres Grandes,Criollos Fantasticos」カテゴリーアーカイブ

大いなる人々、そして素晴らしき南米人たち

バッハへの限りなき想い

楽譜

あまりコンサートでは演奏しないものの、私自身日々研鑽を重ねているのがJ.S.バッハの音楽です。
残念ながら、バッハはギターのためにオリジナル曲を一曲も書きませんでしたが、無伴奏ヴァイオリンやチェロ、そしてリュートをはじめとした多くの器楽曲に、19世紀以降優れたギターソロ用アレンジが施され、結果、曲によっては原曲を凌ぐ深い内容となっているものも少なくありません。
私にとってバッハの音楽とは、そのほとんどがまれにみる厳格なリズム形式で支配されているにもかかわらず、そこから解き放たれる個々の音色は、まさに変幻自在に姿を変え時空を超え、幻想の深い森を走り抜け、天空を駆けめぐったかと思えば次の瞬間には急降下して海底を彷徨うあたかも一頭のペガサスを駆った旅のようなもの。
彼の音楽を弾くとき私達は、楽器という素晴らしい交信手段をとおして過去との対話ををすることがかなえられ、さらにはそこから溢れ出る美の極致ともいえる無限のエネルギーを吸収し、ついにはこの人類の至宝ともいうべき遺産をわかちあえることを喜ぶだけではなく、バッハという偉大なる巨人と同じ世界に生まれることができたことさえも誇りに思わずにはいられないのです。

(写真 ギターにアレンジされたバッハの傑作曲のひとつであり、私の愛奏曲中の愛奏曲、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第一番ロ短調のなかの「サラバンド」、およびその変奏「ドゥーブル」の楽譜。ギターで弾く際もオリジナルと同じキーで演奏されるため、なんだかバッハをぐっと身近に感じられます。)

続きを読む バッハへの限りなき想い

真のロマンティスト ヨハネス・ブラームス

ブラームス

私は幼い頃、母の歌う“ブラームスの子守歌”を聴いて育ちました。
それでかどうかわかりませんが、いまでもブラームスは大好きな作曲家のひとりです。
あの「チェロ・ソナタ第一番作品38」などは、何度聴いてもその感激が薄れることはありませんし、そもそもオリジナルのギター曲を作り出したきっかけも、ブラームスの6つの小品作品118の第二番、「間奏曲イ長調」のようなナンバーをギターで弾きたかったことではじまりました。
また、第二弦楽六重奏曲になどは、心から愛しているにもかかわらず、別れを告げなければならない女性、アガーテ・フォン・ジーボルトに捧げられたとして、その第一楽章(第162-8小節)で、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンは、a-g-a-d-h-eの音を奏して、アガーテの名を三度も呼び起こしているのです。
なんとロマンティックな!!!

写真)ヨハネス・ブラームス(1833-1897)

続きを読む 真のロマンティスト ヨハネス・ブラームス

キューバの名優、ホルヘ・ぺルゴリーア

苺とチョコレート

私のCDアルバム、‘ナンブ’の冒頭におさめられた‘ホライゾン(ディエゴに捧げる)’というナンバーがありますが、これは実は、ある映画の主人公からインスピレーションを受けて作ったもので、その人物の劇中での名前がディエゴでした(ラテン系の人々にはよく、“マラドーナのことですか?”と聞かれ苦笑いすることもありますが)。

1994年に日本で公開された、キューバの名匠、トマス・グティエレス・アレア監督による‘苺とチョコレート’がそれで、ロードショー前に私はひょんなことからこの映画の下訳(字幕スーパーのもとになる、いわばシナリオおこし)を頼まれたのです。
キューバから日本に送られてきて、そのあとさらにニューヨークの私のところに届けられた一本のビデオテープは決してよい状態の画質とはいえませんでしたが、そんなことはまったく気にならない、深い詩情と力強さにあふれる美しい映画で、このアルバイト(?)を終える頃には、私はすっかり‘苺とチョコレート’と、この映画の主人公‘ディエゴ’のファンになっていました。

そんな折、今度はこのディエゴを演じた俳優が日本にキャンペーンのために同年の夏に来日することになり、たまたまそのときにツアーで日本にいる予定の私に、彼の滞在中のエスコート役の白羽の矢が立ちました。日程的にはタイトになりますが、私も彼にたいへん興味を持っていたので、私の方のコンサートの主催者にも相談し、日程を調節して、結局一週間の間、このホルヘ・ぺルゴリーアという名の若い俳優に付き添い、やはりキャンペーンで訪れた京都の記者会見ではなんと通訳まですることになりました。

歌舞伎座にて

ホルヘ・ぺルゴリーアと私。東京歌舞伎座にて。

祇園まつりの山車の前で

京都の祇園まつりの山車の前で。一緒にいるとよく“ご兄弟ですか?”と聞かれました。

キューバ出身で、日本と聞いてすぐ思い浮かぶのは‘座頭市’だけ。慣れない環境で東洋人たちにかこまれて、はじめはホルヘもずいぶんと神経質になっていましたが、ニューヨークにいるほぼラティーノのような私とは徐々に打ち解けて、最後にはいいアミーゴになりました。
“俺達、必ずそのうちなにか一緒にやろうな”と言って、一緒に踊りに行った京都のディスコの帰り、真夜中にタクシーの後部座席で肩を組んでともに歌ったユパンキの‘牛車にゆられて’(さぞ運転手さんはおどろいたでしょう)、いまも昨日のことのようです。
私がどうしてもラジオに出なくてはならない日と、彼が離日する日がかさなってしまったとき、“きみは空港に来てくれないのか”と淋しそうでした。
その後彼はこの作品の大成功によって、あのぺドロ・アルモドバルをはじめとするスペインやラテンアメリカを代表する映画人たちに次から次へと抜擢されるようになり、いまや押しも押されぬ、キューバのみならずラテンアメリカを代表する大俳優のひとりとなりました。
私はいつかきっと、このホルヘとなにかのかたちでコラボレーションができるような気がしています。

京都の記者会見

京都の記者会見

私のエッセイ‘友’

ホルヘのことを書いた私のエッセイ‘友’ 1994年

魂のフォルクロリスタ、エドワルド・マルティネス・グワジャーネス (終章)

エドワルドの詩集

“私にとって、愛するギターとともに歌うということはすなわち私自身を表現することです。
色づく山々や、歌いながら流れてゆく川、それらの美しい自然によって育みを受けながら、
この世界に存在する権利を受けるものすべてとともに生きる喜びをわかちあうことなのです”
エドワルド・マルティネス・グワジャーネス (1956ー1998)

エドワルドの詩集 ‘人生のために、平和のために’ の冒頭に書かれたメッセージ。
フォルクロリスタとしてだけではなく獣医の資格をも持っていた彼は、各国で行われるエコロジーの国際サミットなどにも常に出席していました。
ギターを弾く手が鳩になっているイラストは、この吟遊詩人の音楽すべてを象徴するものです。

‘アースデイ・フェスティヴァル’プログラム

エドワルドとともに出演した、ニューヨーク市恒例の‘アースデイ・フェスティヴァル’のプログラム。
テニスのUSオープンの会場のある、フラッシング・メドウ・パークの野外ステージで、ネイティヴ・アメリカンの音楽やレゲエ、アフロ、ロックなどと一緒に白熱したライヴのオープニングをつとめました。

パブロ・ネルーダの詩集

“シロは4月14日(Dia de las americas ー南北アメリカ大陸における国家連合の日)生まれだから、ラテンアメリカの文化と関わるのはなんの不思議もない。”と、生前エドワルドは言っていました。
いつも持ち歩いているためボロボロですが、イタリア映画‘イル・ポスティーノ’で広く一般にも知られるようになったチリの国民的詩人、パブロ・ネルーダの詩集。
このなかの、‘南十字星の詩’ に‘4月14日’のことが謳われています。

エドワルドと

私は、エドワルドの演奏があまりに素晴らしいので、コンサートで一緒に演奏するのが実はいやでしたが、彼はいつも、“きみには、ステージにでてきただけで人を魅きつけることのできるすごいカリスマがある。ぼくはそれが羨ましい。”と言って励ましてくれました。
エドワルドはきっとこれからも、天国から私の長い道のりを見守ってくれることでしょう。

魂のフォルクロリスタ、エドワルド・マルティネス・グワジャーネス (追記)

エドワルドの実兄のルイスもまた、ユパンキを驚愕させたというギターの名手でした。
ユパンキの名著 ‘風の歌-El Canto del Viento’ の第十章、‘セロ・コロラドの神秘’ でも、当時8歳のルイスのことが、‘ルイス・マルティネス、驚くべき小僧っ子!’と写真入りで紹介されています。
彼は演奏するときだけは‘ルイス・デル・セーロ’ と名乗っていましたが、プロにはならずに一生精肉業者としてセロ・コロラドで暮し、ワインを片手にギターを弾いた典型的なクリオージョ(地方のいきなアルゼンチン男)でした。
ルイスの弾くチャカレラをまじかで聴いたときは本当に吹っ飛ばされそうでしたが、彼もまた10年前に、エドワルドと同様、ガンで他界してしまいました。
いま彼らが生きていたらどんなによいかと思います。本当に残念でなりません。

ユパンキ‘風の歌’

8歳のルイス・マルティネス

ユパンキの‘風の歌’と、本文で紹介されている8歳のルイス・マルティネス

セロ・コロラドのマルティネス兄弟と私

ちゃんとした写真がないのが残念ですが、セロ・コロラドのマルティネス兄弟と一番右から、長男ルイス、次男エドワルド、私、三男ウーゴ、そして長姉チニーナ。
これはスポニチの記事からです。

チニーナの家族

チニーナ(左)の家族

“セロ・コロラドでは誰もギターを習わない。しかしみなギターを美しく弾けるのだ” アタワルパ・ユパンキ

アルゼンチンの‘クリオージョ’たち

誇り高きアルゼンチンの‘クリオージョ’たち(中央のジーンズ姿が私)