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   <title>Shiro&apos;s Arts&apos;n&apos;Culture World</title>
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   <subtitle>ぼくを魅了する世界のアート、そして文化</subtitle>
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   <title>映像のグラン･マエストラ　羽田澄子さん</title>
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   <published>2008-08-25T19:55:42Z</published>
   <updated>2009-01-27T04:49:51Z</updated>
   
   <summary>音楽の次に好きなエンターテインメントといえば、なんといっても映画だ。 素晴らしい...</summary>
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      <![CDATA[<a href="http://shiro.2-d.jp/nyblog/archives/images/Cus10286.html" onclick="window.open('http://shiro.2-d.jp/nyblog/archives/images/Cus10286.html','popup','width=336,height=435,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/archives/images/Cus10286-thumb.JPG" width="154" height="200" alt="" /></a>音楽の次に好きなエンターテインメントといえば、なんといっても映画だ。

素晴らしい音楽というものは、必ず美しい映像へと想像力をかきたててくれるものであり、逆に優れた映像というのは、そこから必ず心地よい音楽の調べが漂ってくるものだと思う。

よい映像とよい音の融合、それがぼくにとっての最良の映画である。

そんなぼくが、最近観た映画のなかでもっとも素晴らしいなと思うのが、長きに渡り、常に一貫したスタイルで独自の映像芸術を創りつづけていらっしゃる、日本のドキュメンタリー映画界の第一人者、羽田澄子（はねだすみこ）さんの作品である。<div style="clear:both;"></div>









***********




















数年前、東京で、羽田さんの2001年度作品、'-元始、女性は太陽であった-平塚らいてうの生涯'を観て、言葉を失うほどの感銘を受けた。
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%A1%9A%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%86">平塚らいてう（'らいちょう'と発音）</a>という女性は、明治時代に生まれた、日本で最初の女性解放運動、婦人運動の指導者である。
話を聞けば、ドキュメンタリーとして、その足跡を追うには格好の人物といえるかもしれないが、すでに本人はこの世を去って40年近くが経過しており、現在、映画の中心人物となって、当時のらいてうについてきちんと回想できる人もいない。
何枚かの写真、そして彼女が残した文献や語録以外は、実際のところ長編映画にできるような資料は皆無といっていいのが現状だ。


























ところがこの作品、上映がはじまると、観るものはすぐにその映像の中へ引き込まれてしまう。
そしてハッとわれにかえると、その破天荒なまでに己の意思を貫こうとする精神と、熱い心臓の鼓動をダイレクトに感じながら、後ろもふりかえずにスタスタと自由奔放に歩を進める、この魅力あふれる明治生まれの女性活動家と、実にファンタスティックな2時間20分にわたる旅路をともにしていたことに気づくのである。




















実際に存在していない人物を、一切の特殊効果を用いずに、静止している写真や風景、そしてナレーションのみでそこに蘇らせ、細胞をつくり、心臓を脈打たせ、呼吸をさせ、語らせるという羽田さんの傑出した映像構築力。
これはもはや、一般にぼくたちが考える'ドキュメンタリー映画'と呼べるようなものではない。
平塚らいてうをはじめとするこの映画の登場人物たちはみな、実際には動かない映像の中から静かに抜け出ると、きわめてゆっくりと、そして鮮明に観るものの心の中に現われ、内側から心臓をゆさぶるように泣き、歓び、語るという'演技'をエモーショナルに展開する。
なんと驚くようなインパクトをもつ、きわめて稀な'劇映画'だろう。
作る側と見る側の感性が静かにぶつかりあって生まれる至高の芸術だ。
いったい誰がこんな映画をほかに作ることが出来るだろうか．．．。


















**********























その羽田さんの、目下のところいちばん新しい作品、'山中常盤（やまなかときわ）-2004年度作品-'が、嬉しいことにニューヨーク、リンカーンセンターのウォルター･リード･シアターで公開となり、さっそく観に出かけた。
川喜多かしこさん生誕100年を記念し、歴代の'川喜多賞'受賞監督作品を一挙公開するという、今年の7月30日から8月14日までの間に行われた'ジャパニーズ･スクリーン･クラシックス'というイヴェント。
羽田さんの作品のキャラクターふたつが全面的にデザインされたポスター（写真）が、堂々ニューヨークのストリートを飾った。




















**********

































'山中常盤'は、牛若丸とその母、常盤御前の物語を、江戸時代の名絵師、岩佐又兵衛（いわさまたべい）が描いた、全12巻におよぶ古浄瑠璃絵巻である。
これについては、まず羽田さん自身による作品への思いを、<a href="http://www.jiyu-kobo.com/yamanaka.html">ご自身のホームページ</a>で読んでいただきたい。




















**********




















'山中常盤'は、まさに羽田さんがおっしゃるそのままの映画である。
母が子を思い、そして子が母を思うという普遍的な親子の愛を謳った絵巻に描かれた物語が、映像モダン･テクノロジーと、羽田さんの優れた演出によって'劇映画'として蘇り、そこに牛若丸と常盤御前、そしてそのふたりのストーリーに自身をオーヴァーラップさせた岩佐又兵衛の三人の魂が、時空を超えて新たに生まれた浄瑠璃の調べと融合し、生命を受け、観るものの心のなかに現実のものとして鮮明に宿るのだ。
まさに圧倒される思いだった。











***********














映画はエンターテインメントだから、もちろん時には現実離れしたCGやバイオレンスも必要だ。
しかし、最近のアメリカの映画を観ていると、その節度やバランスがまったく考えられていないように思える
ティーンエイジャーたちが銃を乱射する事件がおきると、みな必ず、"映画やビデオゲームのように銃をぶっぱなしてみたかった"と、犯行動機を供述する。
感受性の豊かな子どもたちを、いったん誤った方向に導いてしまうと、あとで取り返しのつかないことになる事実を、映像産業に携わる人々は、もう一度認識しなければならない。









**********



















かつて人は素晴らしい映画に出会うと、何度も何度も劇場に足を運び、それを'残像'として'心'にとどめ、いったん上映期間が終わった後は、今度はレコードに録音された'音'に耳をかたむけながら、それぞれの思いをまぶたに浮かべ、感激をあらたにするといった、とても贅沢な楽しみ方をしていた。




































それが昨今、上映終了後、こうもはやいスピードでDVDが出回ってしまうようなご時世となれば、もはや'心'も'残像'もあったものではない。
映画製作者たちは、少しでも多くのコピーを売るために、撮影現場だ特殊撮影の種明かしだなどと、'ボーナス'と称した余計なものをつめこみ、その結果、こういった'おまけ'のついていない、映画本編のみの商品は、まったく売れなくなってしまったという。
これは本当に変な話だ。
そのうち映画などというものは、こういった'裏話'に付随する'続編'になりかねない。
こんな状況では、心に残る映画などというものができるほうが不思議なくらいである。
子どものうちから、ただでさえ高くなった映画の入場料を払わされ、間髪おかずに高値のビデオを買わされ、挙句の果てに感受性まで抜かれてしまったら、いったいどんな人間になってしまうのか。




















ぼくは、この'山中常盤'を観終わったあと、リンカーンセンターのような場所で、いわゆる映画通のような人々を対象に見せるのも良いが、きちんとした英訳と解説をつけて、アメリカの子供たちに見せることが出来たら素晴らしいなあなどと考えながら帰路についた。








**********























ぼくは以前、ニューヨーク市の教育委員会から選出されて、<a href="http://shiro.2-d.jp/archives/2005/05/000035.html">マンハッタンの小学校をまわって子供たちに音楽を聴かせるという仕事</a>をしたことがある。
キラキラ輝く瞳の子どもたちを前にした演奏は、感激をあたえる側のはずのこちらが逆に感激してしまうほど、それは素晴らしい経験となった。

子供たちの前では、つねにオーセンティック（正真正銘）でなければいけない。
フェイク（偽）をすることは決して許されないのである。





















***********






















羽田さんが、現在準備中の作品は、かつて日本から中国やモンゴルへ渡った開拓団の人々のドキュメンタリーだそうだ。
これについても、生きている人は当然のことながら一人もおらず、資料などというものも殆どないに等しいのではないだろうか。
話にきくと、こういった開拓団の人々は、日本へ戻ってからも、結局行き場を失い、ふたたび北海道や東北などの辺境の地へと開拓にはいったという。
ぼくが現在、たいへん縁の深い<a href="http://shiro.2-d.jp/archives/2008/05/000554.html">岩手県の奥中山高原</a>も、かつて開拓団によって切り拓かれた土地だ。
新たなる'ハネダ･マジック'によって、もしかしたらかの地の人々の姿が、また違ったアングルから見えてくるかもしれない。
ぼくは、この作品の公開をとても楽しみにしている。













とりくむ分野はちがえども、同じ芸術に携わる素晴らしい大先輩であり、そして真に優れたこのヴェテラン女性映像作家に、心からの賛辞をお送りしたい。




&#161;Viva, Gran Maestra Sumiko Haneda! 











2008年、8月26日　記]]>
      
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   <title>COYOTE STORIES</title>
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   <published>2008-01-02T17:01:17Z</published>
   <updated>2009-03-10T04:27:17Z</updated>
   
   <summary>アメリカにはじめてやってきてから、今年ではや２０年が経つ。 もちろんたいへんなこ...</summary>
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      <![CDATA[<a href="http://shiro.2-d.jp/nyblog/images/aaaaacoyote.html" onclick="window.open('http://shiro.2-d.jp/nyblog/images/aaaaacoyote.html','popup','width=336,height=448,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/images/aaaaacoyote-thumb.JPG" width="150" height="200" alt="" /></a>アメリカにはじめてやってきてから、今年ではや２０年が経つ。


もちろんたいへんなことも多々あったけれど、なんとかこの国の一員としてがんばってこられたことを、友人、家族、そして神様に感謝している。<div style="clear:both;"></div>





そんなぼくをここで支えてきたのが、北米先住民（ネイティヴ・アメリカン-俗にアメリカン・インディアン）の思想だ。
<a href="http://shiro.2-d.jp/archives/2006/09/000294.html">'Native American Wisdom'</a>という、スー、コマンチ、ラコタ、チェロキー、セネカといった部族を率いた名チーフたちの言葉を集めた本を、ぼくは常に読み返しては精神をピュアーな状態に保とうとしている。<div style="clear:both;"></div>






今日ご紹介する本は、ぼくのもう一冊の愛読書、'Coyote Stories'である。


Mourning Dove（嘆くハト）という名の先住民の語り部の女性が、自然界に生きる動物たちの伝説を書き残したもので、アメリカでは１９３４年の初版から、いくたびにもわたって再版が行われ、いまも多くの人々に愛され続けている珠玉のような一冊だ。



'Coyote Stories'の前書きによると、先住民たちの社会において'語り部'というものは、太古の時代から長きに渡って、いわばプロフェッショナルな職業'としてリスペクトされていたらしく、この'嘆きのハト'と呼ばれた女性は、なかでもたいへん優れた存在であったようである。




もともと水の澄んだ川の主（ぬし）のような存在であったクジラが、なぜ塩辛い海に住まなくてはならなくなったか。
また、もともと非常に美しい容姿を誇っていたクモが、なぜあのような奇妙な姿になってしまったのかなどなど、先住民たちの目をとおして描かれた、彼らにとってのかけがえのない‘隣人’であるたくさんの動物たちの姿が、まるで映像を観ているかのようにページの端々から浮き彫りとなる。




また、この本にはよく知られた'ウサギとカメのかけくらべ'の話が載っている。
'油断禁物'、そして'諦めない努力'というのがこの話のポイントだが、少々ちがうのはエンディング。
動物達のレースでは、負けた者が勝った者に尻尾を差し出すというルールになっていて、カメはこの競争に勝ったあと、見事ウサギから尻尾を手に入れることになるのだが、その直後になんとスカンクに挑戦され（なかなか挑戦を受けないカメを脅すスカンクの描写が面白い。脅す方法については皆様もカンタンにご想像がつくはず。）破れ、結果どうしてスカンクがあのような白と黒のまざった色の尻尾になったかがあきらかになる。




この楽しくも美しい一冊の本、残念ながら邦訳されたものは出版されていないが、洋書として日本でも入手できるようだ。
本来、語り部の女性が子供たちに話して聞かせた物語なので、ていねいでわかりやすい英語によって書かれている。




興味のある方は、ぜひ<a href="http://www.amazon.co.jp/Coyote-Stories-Mourning-Dove/dp/0803281692">こちらのページ</a>で購入していただきたい。







動物たちは、ぼくたち人間にとって決してなくてはならない存在だ。
昨今、我々人間たちが、自分たちの生活環境を開発するために、動物たちの生活環境である自然を破壊し、結果それが彼らの生命体系をおびやかしているなどというニュースを聞くと胸が痛む。





最後に、'Native American Wisdom'のなかから、現在、イチロー擁するマリナーズの本拠地、米国ワシントン州の州都にその名を残した名チーフ、'シアトル'の言葉をご紹介する。




"獣たちのいない人間の世界を想像できるだろうか？
もしこの世から獣たちがみないなくなってしまったら、我々人間はみな、想像を絶する精神的孤独感におそわれ死ぬことだろう。
獣たちにおこることは、みな我々人間たちにもおきるのだ。
すべての事物は結ばれている。
地球にふりかかることはすべて、地球の子供たちにもふりかかるのだ。"


チーフ・シアトル　（１７８６-１８６６）





<img alt="aaaajyma.JPG" src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/images/aaaajyma-thumb.JPG" width="448" height="336" /><div style="clear:both;"></div>



２００８年、１月３日　記




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   <title>真のヴィジュアル・アーティスト　宮本武蔵</title>
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   <published>2007-07-18T04:49:08Z</published>
   <updated>2009-09-09T06:01:17Z</updated>
   
   <summary> 見た瞬間に心が吸い寄せられ、なんともいえぬさわやかな感激で満たされる絵がある。...</summary>
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      <![CDATA[<img src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/amusashi2_sm-thumb.jpg" width="336" height="436" alt="" /><div style="clear:both;"></div>


見た瞬間に心が吸い寄せられ、なんともいえぬさわやかな感激で満たされる絵がある。
ぼくにとってのそれとは、かの宮本武蔵の筆になる「竹雀図」だ。
<div style="clear:both;"></div>


この絵を見ていると、この雀が前の瞬間になにを考え、そしてこの次の瞬間なにをしようとしているのかが手に取るようにわかる。
そう、この絵のなかに描かれた雀は、まさに生命をもって呼吸しているのだ。

おそらく武蔵は、目の前にふっと現われた、この大自然のなかに生きる小さな同志の姿を、特に時間をかけずにササッと見たままに描いたのだと思うが、この絵は単に、剣豪のその類稀なる絵心を偲ばせるだけのものではない。
ここには、自然界に深く通じているものでなければ決して感じることのできない、人間と動物との素晴らしいコミュニケーションと調和が美しく存在していて、それがこの絵の目に見えない奥底から、まるでササの葉をゆらすそよ風のように我々にやさしく語りかけてくるのである。

武蔵はきっと、山に暮す鳥や獣たちと、そしてまた野に咲く花や川のせせらぎとも対話することができたのにちがいない。


この感動を、音楽の世界でぼくたちに運んでくれたのが、アルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキではないだろうか。


あまり「一枚の絵からさらにいろいろなものが見えてきて」などという経験をぼくは持たないが、この絵だけは別だ。
ぼくは後にも先にも、この作品を凌ぐ感動を運んでくれた絵画に出会ったことは一度もない。


<a href="http://shiro.2-d.jp/nyblog/Cus10103_SM.html" onclick="window.open('http://shiro.2-d.jp/nyblog/Cus10103_SM.html','popup','width=336,height=435,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/Cus10103_SM-thumb.JPG" width="150" height="194" alt="" /></a>実はこれ、知人がプレゼントしてくれたクリアファイルを拡大スキャンしたものだ。
とても趣味のいいもので、ぼくはこれに楽譜などをいれていつも持ち歩いている。

<img src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/amusashi-thumb.jpg" width="228" height="296" alt="" /><div style="clear:both;"></div>













♪♪♪















<a href="http://shiro.2-d.jp/nyblog/archives/images/a_aaaaasemi1.html" onclick="window.open('http://shiro.2-d.jp/nyblog/archives/images/a_aaaaasemi1.html','popup','width=864,height=648,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/archives/images/a_aaaaasemi1-thumb.jpg" width="400" height="300" alt="" /></a><div style="clear:both;"></div>




こちらはそのあとで、気をよくした友人がふたたびプレゼントしてくれたクリアファイルにあった"枯木翡翠図"。



ぼくはまたもや、我を忘れてしばしの間この絵に魅入ってしまった。
"竹雀図"同様、武蔵は時間をかけずにササッと描いたのだと思うが、ここに描かれた一羽の翡翠（カワセミ）もまた、まさに生命をもって呼吸しており、さらに彼の背後の白い部分にも、一見目に見えない無限の広がりがある。


それは清流のせせらぎや、降り注ぐ霧雨のしっとりとした潤い、そして山林に響き渡るカッコウやヒグラシのさわやかな歌声だ。
武蔵は、この愛すべき一羽の同志を描くことによって、彼のまわりにある美しき自然界の風情すべてを表現したのである。


弱冠13歳で、新当流の有馬喜兵衛なる剣豪を絶命させたのを皮切りに、その若き日には、京の吉岡一門との三番勝負をはじめ、かなり血なまぐさい立ち会いを続けてきた武蔵だが、背後の主権争いがからんだ、ふたりの天才剣士にとっての宿命の悲劇ともいえる巌流島（船島）の決闘において、かの岩流佐々木小次郎を血に染めたのを最後に、以降一切の流血沙汰とは縁を切り、ただひたすらに真なる剣の奥義をきわめていった。


この絵には、そんな悟りを開いた人間のみが描くことのできる生命のはかなさと美しさがある。
ぼくはこんな絵を、生まれてこのかた一度も見たことがない。



宮本武蔵。


なんと素晴らしい人物だろうか！
もしぼくが絵を描く人間だったら、これを見たが最後、もう二度と筆など手にすることををやめてしまっただろう。





絵描きでなくてよかった．．．。<div style="clear:both;"></div>












<img src="http://shiro.2-d.jp/nyblog/archives/images/a_aaaawasemi2-thumb.jpg" width="300" height="400" alt="" /><div style="clear:both;"></div>



２００７年、７月１８日記








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