竹村淳さんのこだわり沖縄料理とコスキン'79&'96

日本でたいへんお世話になっている音楽ジャーナリストの竹村淳さんが、私をご自宅に招待してくださり、ご自慢のお手製沖縄料理をふるまってくださいました。
音楽に対して非常に確かな耳をお持ちの竹村さんですが、料理に対してもそのこだわりぶりはたいへんなものです。
おいしいお料理と、ユパンキの貴重な映像を収録したDVDやビデオテープを楽しみながら、楽しいひとときが過ぎてゆきました。


左)豚肉たっぷりのラフテ−
右)ゴーヤー(ニガウリ)をふんだんに使ったチャンプルー


左)竹村さんご夫妻の愛犬、ミニチュア・シュナウザ−のシュンスケ君
右)左から、私、シュンスケ君、そしてユパンキさん(?!)


ユパンキの貴重映像DVDの圧巻は、79年のコスキン・フェスティヴァル(毎年行われるアルゼンチン最大規模のフォルクローレ音楽祭)でのライヴです。
それが偶然この日、竹村さんのお宅に伺う前なのですが、東京の実家の戸棚を整理していたところ、私が96年にこのコスキン・フェスティヴァルに招待されたときの出演者一覧表が掲載された新聞などがでてきました。
ユパンキのおかげで、こうしていろいろな国々をまわることができ、また、故国の日本でも竹村さんをはじめとした素晴らしい方にお会いできたことをほんとうに幸せに思います。

アルゼンチン、コルドバの大手紙
La Voz del Interior 1996年1月19日
私は、1月22日のところに名前があり、
テレビ中継の一番いい時間帯に出演しました。



出演当日、ユパンキの長男、ロベルト"コージャ"・チャベ−ロ氏が持ってきてくれた、彼の偉大なる父親の記事ののった雑誌と、彼自身が父を語ったインタビュー記事の貴重な雑誌。
コージャ(ユパンキは息子をこう呼んでいた)はまた、ユパンキの顔のうえに、兄弟たちLos Hermanosの歌詞が印刷されたポスターもプレゼントしてくれました(コージャは、私がユパンキの詩"ヒロシマ 忘れえぬ町"に作曲したときも、合作として認めてもらえるよう協力してくれた私の恩人です)。

2006年05月17日 | Knight's NY diaries(ニューヨーク日記)