ラテン系アーティストにみるヒロシマ
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ユパンキが詩を書き、私が作曲をした「ヒロシマ〜忘れえぬ町」を世に出し、そしてさらには、ニューヨークで活動こそしていたものの、当時まだまだこれからという状況にあった「風来坊」同然の私を、正式に南米音楽の奏者としてデビューさせる機会までをも作ってくださったのが、広島の故山崎克洋(やまさきかつひろ)さんです。
恩人である山崎さんが生前、「ヒロシマの歌」への思いを込めてしたためた、「ラテン系アーティストにみるヒロシマ」とタイトルされたエッセイ(汐文社”ヒロシマと音楽”に掲載)が、最近オンラインでも読めるようになりました。
ぜひ、こちらをクリックしてお読みいただければと思います。
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「ヒロシマ〜忘れえぬ町」は私とユパンキの共作曲ではなく、天国の山崎さんとユパンキが、時空と国境を超えて力を合わせてできたものだと私はいつも思っています。
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(写真上)山崎克洋さんと私、1993年7月、広島市において
(写真下)山崎克洋さん、1966年4月、広島を訪れたアタウアルパ•ユパンキと
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In Memory of Katsuhiro Yamasaki (1934-2008)
インタビュー 大竹史朗のNY25年
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•この人に聞きたい•
ギタリスト/作曲家 大竹史朗のNY25年
(週間NY生活 2013年9月21号掲載記事)
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アルゼンチンの国民的フォルクローレギタリスト、ユパンキの精神性を反映する弾き手と評され、近年は作曲家としても活躍する。
ブロードウエー大舞台を目指して渡米、ダンサーとして仕事が入り始めた頃、ユパンキの指導を仰ぐ機会に恵まれて進むべき道が決まったという大竹さん。
ニューヨークの地を踏んで25年を迎えた8月の昼下がり、新たな抱負を聞いた。
(聞き手・小味かおる、写真も)
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★ユパンキの後継者と言われますね。
そういう意識はなくて、フォローワーの一人です。弾き方も歌唱法も何もかも違う。
これからはユパンキをさらに突き詰める10年だと考えています。いろいろなエッセンスがこの5年の間に備わったんです。
★どんなエッセンスですか。
ユパンキの音楽、特に詩想の世界は素晴らしいものがある。でも今、さらに翼を与えて輝かせるには、違うアプローチが必要になってくる。
そこで、バッハやブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスを取り入れて。
ユパンキもバッハも宇宙からのエネルギーやメッセージを聞いていた。ヴィラ=ロボスもそうです。
この三者が三本の絵の具の筆となって、僕がイメージする南米が描けたんです。
★具体的には。
ユパンキ生誕100年に、ヴィラ=ロボスのギター協奏曲という難曲中の難曲を1年かけて練習して演奏しました。続いて、カーネギーホールで2年続けて、自分の音楽を支えるバッハ、ユパンキ、ヴィラ=ロボス、自作と4大エッセンスを演奏したんです。
バッハのシャコンヌはマヤ文明が起源だという話を聞いたときは本当に感動しました。
研鑽してきたバッハを取り入れて、一昨年は日本で「ユパンキに捧げるバッハ」、去年はバッハのシャコンヌをマヤの土着のリズムを強調して日本のパーカッショニストと一緒にやりました。
★今後の活動は?
ここ数年、朝鮮の音楽に傾倒しているんです。朝鮮の葬列で歌う歌が、アメリカン・インディアンの歌とまったく同じで、自分がなぜ朝鮮の伝統音楽に惹かれていたか実証された。それで「ハンアの舞」という曲を作曲して、12月17日、東京が初演です。その前に10月18日に東京で演奏会、また日本の映画音楽を作曲する計画もあります。
★来年はアルゼンチン公演もありますね。
レオポルド・ルゴーネスという詩人の生誕140周年で、その関連です。
彼の出身地リオ・セコという町は、僕が武者修行したときに、当時の町長さんが宿と食事を提供してくれたり、これを聞けと勧めてくれたりして、僕を育ててくれたんです。
その彼がルゴーネスの詩に作曲してくれないかと言ってきて。今、詩を読んでいるんです。
★今後もニューヨーク拠点ですか。
こんなにエネルギーを感じる町は世界にないんです。いつも好機をくれる。弱肉強食的なところがあって、怖い町なんですね。でも心から愛して、いつでも一つのことをやるときに地面をまず叩くんです、「おい、頼むぜ」と。そうするとニューヨークは答えてくれる。
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(写真提供:週間NY生活 小味かおるさん)
「トゥクマンの月、日本へ」大衆紙”ディアリオ•ポプラール”
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アルゼンチンの知り合いが教えてくれた、”ディアリオ•ポプラール(大衆紙、人気紙を意味)”というブエノスアイレスの人気エンターテインメント情報紙のオンライン版に、「トゥクマンの月、ユパンキへのオマージュとともに日本へ」という見出しで掲載された記事です。
かなり大きな紹介を受けました。
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スカーレット•ヨハンソン結婚へ!
一見、三面記事的内容の濃い感じを受けますが、どうして政治や経済の話題などについてもたいへんシャープにコンパクトに報道されており、きわめてクオリティーの高い文字通りの”大衆紙”と言えるでしょう。
大竹史朗 アルゼンチンの夜
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大竹史朗 アルゼンチンの夜
ニューヨークを拠点に活動するギタリストの大竹史朗は15日夜、ミッドタウンにあるアルゼンチン領事館で「アタウアルパ・ユパンキに捧ぐ」と題する公演を開催した。アルゼンチンの国民的フォークギタリスト・ユパンキ(1908-1992)の7曲を、哀愁や激しさを織り交ぜて、演奏と歌で披露した。
本公演はアルゼンチン領事館主催。アドリアーナ・トロッタ副総領事が「アルゼンチン人ではないが、我が国の音楽を世界に紹介してくれることに感謝し、また誇りに思う」と大竹を紹介し、「ユパンキから直接指導を受けた」と説明すると、会場からは感嘆の声があがった。次々と演奏される名曲に、聴衆は懐かしそうな表情で聞き入り、最後の「トゥクマンの月」は大合唱になった。
公演後のレセプションで、トゥクマン出身というぺティ・ホワンさんは「彼はナイスよ」と親指を立てていた。大竹さんも「領事館で4回公演させていただいたが、今回が最高によかった」と言い、アルゼンチン人の激励や賞賛の言葉に嬉しそうに答えていた。
(小味かおるさんによる文、および写真)
週間NY生活:2013年8月24日号より
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母校における特別講演 アルゼンチンのメディアがスピード報道
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昨年4月23日、私の母校である、東京お茶の水の文化学院においてに行った特別講演が、アルゼンチンのメディアによって大きな報道を受けました。
これは、同校の創立記念日を祝う特別講義としてご招待を受けたものですが、こうして国際的な意義をもてたことを心から嬉しく思っています。
現在、このほかにも、新聞、ラジオ局、そしてオンラインの大手ヤフーなどが様々な見出しによって、ユパンキに対する私の強い思いを報じてくれています。
それは、まさに天の采配
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初夏にインタビューを受けていた、ニューヨークの日系情報紙’NYジャピオン’の人気コラム、’35歳だった’が、先ごろ8月5日号に掲載されました。
(右クリックのオープンリンクにより、フルサイズでお読みいただけます。)
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記事に使われたオリジナル写真。
インタビューアーの田中遊子さんのカメラで撮影されたものです。
田中さんのご好意により、当サイトに転載させていただきました。
ラテン音楽名曲名演ベスト111
ラテンアメリカの歴史的名曲名演111曲を厳選、解説。そしてさらに25曲収録のスペシャルCDが付録された豪華新刊書’ラテン音楽名曲名演ベスト111’が、去る6月10日に日本で出版されました。
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当然のことながら、エントリーされたほとんどのインタープレテーションは、本場ラテンアメリカの素晴らしいアーティストたちによる音源ですが、嬉しいことに私の演奏による’ヒロシマ 忘れえぬ町’(最長4ページにわたる解説)が、美空ひばりさん、藤沢嵐子さん、クリスティーナ三田さんといった、わが国が誇る名女性歌手のみなさんのお名前とともに、このゴージャスな書籍を飾ることとなりました。
写真は、著者の竹村淳さんが、早速一部わざわざニューヨークまで郵送してくださった’ラテン音楽名曲名演ベスト111’。
竹村さんのラテンアメリカの文化に対する愛と情熱と理解が、そのまま一冊の本に姿をかえた、音楽ファン必携の名著です。
(私は、ジョアン・ジルベルトによる’想いあふれて’というナンバーが好きだったのですが、恥ずかしいことに、今の今まで誰が歌っているなんという歌か知らなかったため、この曲が収録されている付録CDを嬉しく聴きました。)
ご注文は、こちらのページでどうぞ!
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NYの夜景に響くオマージュコンサート
(USウイークリー・ビズ 6月25日版より)
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名工、故中出阪蔵さんに、この風格ある素晴らしいギターを作っていただけたのは、偏に恩師鈴木巌先生のおかげです。
今日、鈴木先生はちょうど79歳のお誕生日を迎えられたので、お祝いのよいご報告ができました。
「アルゼンチン風バッハ」 コンサート批評
昨秋11月、東京のアルゼンチン大使公邸において行ったコンサートの批評が掲載された「現代ギター誌」2月号を、同誌編集部の皆様がわざわざニューヨークまで郵送してくださいました。
リアル USウィークリー・ビズとのインタビュー
リアル (USウイークリービズ 2010年9月4日号)
~世界各国から招待を受ける演奏家~
フォルクローレ・ギタリスト 大竹史朗さん
南米アンデス地方で生まれた民俗音楽"フォルクローレ"。
その最高峰のギタリスト、アタウアルパ・ユパンキの音に魅了され、子どものころギターを手に取った日本人こそ、フォルクローレ・ギタリストとして名を馳せる大竹史朗(シロ・エル・アリエーロ)、その人だ。
ギタリストとしての人生に疑問を抱いたこともあったが、見えない糸に手繰り寄せられるように、さまざまな人との出会いが今の大竹を導いてきた。
そんな宿命ともいえる彼の半生に迫った。