"テノチティトラン" スペシャル・ギター・デュオ用スコア完成
9月下旬、公式の招聘を受け、"日本メキシコ国交400年"を記念するコンサート出演のため、メキシコシティーを訪れます。
その際、市内の中心部に位置する"テノチティトラン・テンプロ・マヨール神殿遺跡"にて行われるスペシャルコンサートにおいて、メキシコのクラシック・ギター界の第一人者、フワン・カルロス・ラグーナさんが、かつて同遺跡内で霊感を受けて作曲した私のオリジナル・ナンバー、"テノチティトラン"を共演してくださることになりました。
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私はこのブエナ・ノティシア(良い知らせ)を受け、セカンドギターのパートを、クラシックギタリストのもつ特性を最大限にいかせるよう再アレンジ。
すでに録音してCDにおさめたヴァージョンを、さらにパワーアップさせた"ヌエバ(新)・テノチティトラン"を仕上げました。
"テノチティトラン"は、2002年に行った中米3カ国ツァーの際も、コンサートのエンディングを飾るクライマックス・ナンバーとしてとりあげ、そのときは、このオンライン記事の写真にあるダブルネックギターを使用、ソロで演奏しました。
ラテンアメリカにおいて、オリジナルのギターデュオで演奏するのは、これがはじめてとなります。
(楽譜は、全三楽章20ページにおよぶ本作品の第一楽章冒頭部。美しい高原の湖畔に栄えた平和なアステカの都、テノチティトランがその姿を静かによみがえらせます。)
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続く第二楽章は、全曲中大半10ページをしめる最重要パートで、招かれざる客、征服者エルナン・コルテスとスペイン軍がテノチティトランを滅ぼし、破壊したテンプロ・マヨール(ピラミッド神殿)のうえにカトリックのカテドラルを建立するさまを、ギター二台で描写しました。
エンディングは、もともとドイツの宮廷舞曲で、バッハが器楽曲ソナタやパルティータに用いた"アルマンド"をフィーチュアーして、ヨーロッパの勝利を表現しています。
本来、そもそも中米マヤの舞曲で、征服者たちが本国にもちかえったあと、やはりバッハがさかんにとりあげた3拍子の"サラバンド"を使いたかったのですが、スピーディーな4拍子でずっと流れてくる展開とのトランジッションがうまくゆかず、結局同じ4拍子をもつ"アルマンド"を使いました。
崩れた神殿のはかなさ、そしてそのうえに建てられた重厚なカテドラル。
兵どもが夢の後といった感じがうまく出せたと思っています。
力のあるクラシックの奏者とのデュオは、きっと素晴らしいものになるでしょう。
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第三楽章は、アステカの伝承詩に作曲した歌がメインとなるため、CDでは、二台のギターともシンプルなフォークロック調のストロークに終始しますが、ここでは、セカンドギターに16部音符によるアルペジオやトレモロを駆使して音に厚みをもたせました。
第二楽章のラストで、イ短調で奏でた"アルマンド"が、ふたたびこの楽章の最後でホ短調のスキャットにより姿をみせるところは、自分でもとても気に入っている部分です。
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この作品は、すべて、今回コンサートを行うテンプロ・マヨール遺跡のなかで霊感を受け、それにより聴こえた音をギターオーケストレーションしたものです。
実際に音が聴こえたその場所にもどってこのナンバーを演奏するというのは、いったいどんなことになるでしょうか????
エッ、"テノチティトラン"まだどんな音楽かご存じない?
そういう皆様は、ぜひこちらをどうぞ。
滅びたアステカの都、テノチティトランは、現在のメキシコシティーの中心部、ソカロ地区に、太陽神殿ピラミッドの土台部分(写真手前)を残し、傍らに美しい博物館を伴って今日に至っています。
(クリックすると、大きなサイズでごらんいただけます)
崩されて遺跡となったピラミッドは、通路が敷かれて中を歩くことができ、私はこの遺跡内部から臨めるカテドラル(写真中央)を見た瞬間、戦慄的な霊感を感じ、このナンバーを作曲しました。
2009年04月24日 | Shiro On Tour(ツアー & ライブ)