バッハの家庭音楽会
香川京子さんの朗読、そして劇団ひまわりの少女たちによる合唱をフィーチュアーして、今秋11月20日に東京での公演が決定した新作カンタータは、私が誰よりも敬愛してやまないヨハン・セバスチャン・バッハの家庭音楽会を模倣して行うものです。
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上記のイラストは、私自身が描いた、新作カンタータ上演時のステージにおけるキャスト配置図(クリックすると拡大サイズでごらんいただけます)です。
中央にお母さんのアンナ・マグダレ-ナ、その背後に娘たち、そしてむかって右側には、ギターを抱えたお父さんバッハがいます。
この家族が、声をともにしてアルゼンチンのユパンキの少年、そして青年時代の物語を語り、歌うことで、美しい大自然と神の素晴らしさを謳歌するのが、この新型カンタータのコンセプトです。
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なぜバッハの家庭音楽会を模倣するのに、”ただのひとつのギター音楽さえも残さなかったバッハと、まったく関係ない南米の民謡歌手の物語などを結びつけるのか?そんなものにバッハの名前を語るのはばかげている”と、もしかしたらバッハ・ドイツ絶対主義派のようなアタマのかたい方たちはおっしゃるかもしれません。
私は以前、こういった”バッハ通”を自負するある人物が、「バッハの音楽を正確に演奏しようと思ったら、当時の楽器に回帰せざるをえない。」と発言したのを聞いて呆気にとられたおぼえがあります。
バッハの時代には、すでに現在の管弦楽器類のもとになっている楽器が多く存在していましたが、実際はそのほとんどがきちんと調律されておらず、まともに弾いたり吹いたりするために奏者たちは、想像を絶する苦労をしながら演奏していたのです。
バッハはそれについて大いに悩み、楽器の改良に必死の研究をかさねた人でした。
そんな彼が、上記のような発言をきいて果たして喜ぶでしょうか?
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私がこの新型カンタータにおいて表現したいのは、そういった時代にバッハが理想とした夢や音楽を、私なりに解釈し、そしてイメージを膨らませた音世界です。
当時バッハは、句切法による演奏が自由自在にこなせる楽器を理想としていました。
オルガンは最高の楽器ですが、奏者の指の動きと出てくる音が必ずしも同じタイミングにならいので、細かいフレージングにおいて音がかたまってしまう難点があり、またヴァイオリンは低音が弱く、楽器の構造上スムースな連続的和音演奏に無理があり、さらに当時は、弓の中央部分をつまんだきわめて不自然なフォームで演奏されていました。
結果バッハは、彼自身「ヴィオラ・ポンポーザ」と呼んだ、五弦を張ったヴァイオリンとチェロのアイノコのような弦楽器と、弦と金属線と低音器の特殊配置によって、当時のチェンバロよりも音をかなり長く保てる「ラウテンクラヴィツィムベル」なる鍵盤楽器を創案しました。
もちろん現在そのような楽器は一般に存在しません。
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私には、このふたつの楽器のもつ利点を兼ね備えているのが、現在私たちが使うナイロン弦を張ったギターのように思えてならないのです。
私が知る限り、音量のうえで多少のハンディーキャップはあるものの、鍵盤楽器のような歯切れの良い正確な和音を、どんなリズムにでもあわせて自在にはじき出すことが可能なうえに、ありとあらゆる速度による粒の揃ったメロディーが自由に弾け、しかもきわめてナチュラルな深い余韻を響かせることができ、加えてヴァイオリンやチェロのようにビブラートをきかせた甘味な低音と高音の音色をもち、さらに人が歌う際の伴奏楽器としても優れた機能を発揮する楽器というのはギター以外にありません。
バッハの時代には、ギターは現在のように楽器としても奏法としても完成されておらず、残念ながら彼は、この楽器のためにオリジナル音楽を残しませんでしたが、もしバッハの時代に現在のギターがあったなら、彼は狂喜してこの美しい楽器のためにたくさんの音楽を書いたことでしょう。
最愛の妻アンナ・マグダレーナのために美しい歌曲を書きながら、「この歌はね、きみの声で歌われるほかは聞きたくない。だからもしきみが死んだらこの歌も死ぬんだ。」などと言って、バッハは少なからず自作品の楽譜を破り捨ててしまったそうです。
バッハはこの世を去ったとき、一本だけギターを遺品として持っていたようですが、そういった”幻の名曲郡”のなかに、ひょっとしたらギターのためのナンバーも存在していたかもしれないなどと想像すると、なんとなくハッピーな気持ちになるのは私くらいでしょうか。
パン職人であったバッハの大曾祖父ファイト・バッハは、いつも小さなギターを抱えて水車小屋に行き、粉が挽かれている間ずっと弾いているのをなによりも楽しみにしていたそうですが、”さぞ調子がうまくあっただろうね。”と、バッハは嬉しそうに後年、アンナに語っていたそうです。
私には、バッハにとっての理想の楽器とは、ギターではなかったのだろうかと思えてなりません。
そして今日、この美しい楽器を、誰よりも深いエモーションをもって弾きえたのが、やはり生前、バッハをこよなく愛したアルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキなのです。
もしバッハがいま生きていて、ユパンキの「眠れるインディオの子」を聞いたなら、彼はきっと感激の涙を流したでしょう。
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かつてヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスは、「私はクラシックギターの名演奏家たちがバッハを演奏するとほんとうにすごいなと思うのですけれど、(ジプシーの多く暮らす)アンダルシアで、つねにギターを身近にして育った私にしてみると、なにかひとつ足りないのです。それは歌でしょう。私にとってギターという楽器は、人の声といっしょになったとき完全な楽器となるのです。」と語りました。
私はこの不世出のソプラノ歌手の言葉に心から賛同します。
バッハの音楽とユパンキの歌(詩)。
このふたつによって私は永遠にインスパイアーされ続けるでしょう。
そしてそこからつねに私のギターの音楽が生まれることは言うまでもありません。
バッハの音楽やシェイクスピアの演劇は、決してドイツやイギリスといった国家や時代に限定されるものではなく、それらはきわめて世界的で普遍的な、いつの世紀にあっても新しいものです。
私は特に、これらの偉大なる先人たちの残したものに対しては、彼らが生きた時代にこだわることなく、どんどん新しい考え方で接するべきだと信じています。
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この作品は、音楽の形式や規則的なものだけで語れば、もしかしたらカンタータとはいえないかもしれません。
しかし、神の偉大なる力、そして慈しみ深い愛を謳歌するのが真のカンタータであるのなら、かけがえのないバッハやユパンキの音楽にひきあわせてくれ、また、いまも私にとってなによりも素晴らしい思い出である青山学院初等部時代、毎朝祈祷会に出席していた私の声をきいてくれていた神様への思いを、最愛の楽器であるギターとともに歌い上げるのは、やはり私にとってカンタータ以外のなにものでもないのです。
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アルゼンチン風バッハ第8番 ”カンタータ”
-6年梅組 樫澤保壽先生の思い出に-
1.序奏 -カンタータ42番”同じ安息日の夕べ”アリアより-
J.S.バッハ作曲/シロ・エル・アリエーロ編曲
2.コラール ”喜び迎えん 慈しみ深きイエスよ”
J.S.バッハ作曲/シロ・エル・アリエーロ編曲
3.道とともに生まれた我が運命(さだめ)
シロ・エル・アリエーロ作詞作曲
4.ラ・ベンゴ・ア・デハール
アタウアルパ・ユパンキ作詞作曲
5.ゲッセマネ -我汝とともに行かん-
シロ・エル・アリエーロ作詞作曲
6.フーガ BWV1001
J.S.バッハ作曲
~アタウアルパ・ユパンキの散文詩”エル・ギタリスタ”の朗読とともに
7.大地は大いなる歌
~J.S.バッハのフーガBWV542およびアタウアルパ・ユパンキの詩”大地は大いなる歌”によるインプロヴィゼーション
2011年01月20日 | Shiro On Tour(ツアー & ライブ)