心の仲間たち、セントロ・ニッケイ・アルヘンティーノ 2 - ブエノスアイレスに生きている日本

ブエノスアイレスの中心地から少し離れた、パレルモと呼ばれる地区に中南米最大の日本庭園があります。
広く美しい庭園は実に立派なもので、ただ散策して歩くだけでも心地よいのですが、園内には日本の民芸品を売るお店や、庭園をながめながら日本料理を楽しめるレストランなどもあり、この地球のまったく反対側の異国情緒を味わうために、休日には家族連れの人々でいっぱいになります。
この日本庭園で、私はいままで何度か公演をしています。



左)日系コミュニティーの新聞 ‘らぷらた報知(日本語版)’ 1995年 8月10日
右)らぷらた報知’ 1995年 8月26日
‘ラ米民謡ギタリスト’ 。日系人の方たちの表現はときにユニークです。

そのなかで、もっとも素晴らしい経験だったのが、セントロ・ニッケイ・アルヘンティーノの人々とはじめて出会うことになった、1995年の彼らにとっての創立10年祭イヴェント、‘平和ウイーク’での演奏でした。
ちょうど広島の原爆投下から50周年にあたるこの年に、日本のまったく反対側にあるこの国に生まれた日系人たちが、自分たちの心の故郷でおきた惨劇をとおして世界平和を訴えたこのイヴェントは、現地の人々にも深い感銘を与えたのです。
1976年に広島市を訪れた際に書き残されたユパンキの‘ヒロシマ-忘れえぬ町’。20年ぶりにこのようなかたちで里帰りしたこのナンバーに、ユパンキもきっと天国で喜んでくれたに違いありません。



もと‘丸の内線’ もまた、ブエノスアイレスでがんばっています。
‘乗務員室’ の文字がまだそのまま。

2005年09月02日 | Shiro's hideaways(シロの隠れ家)