9.24 NY公演にむけて Part 6
週間NY生活(2005年 9月15日) ‘顔’ 欄
アルゼンチンの山村で暮らす南米先住民の郷愁誘う音楽、フォルクローレ。ラテン音楽の世界で、大竹さんの芸名・シロ・エル・アリエーロの知名度は抜群だ。今年から本名で演奏活動に乗り出し、日本人としての自分とフォルクローレとの融合音楽の世界にも挑戦する。
東京生まれ東京育ち。音楽家の家に生まれ、さまざまな音にかこまれていたなかで、小学校低学年に、ビートルズやレッド・ツェッぺリンへのあこがれからギターを手にしたが、なかなくうまくならなかった。そんな彼が、フォルクローレの巨匠、アタワルパ・ユパンキ(1908ー92)を知ったのは13歳の時。ラジオから流れてきたユパンキの来日公演の放送だった。聴いて身体が止まった。自分の前に閉じていた扉が開き、大草原にギターを持ったユパンキが立っているのが見えた。音とギターのリズムに魅了された。“オレはユパンキに会いたい” と思った。裕福な家庭で育った反面、心はいつもさすらいを求めていた。話しぶりも雰囲気も、どこか物悲しげなところが漂うが、その後の展開は雰囲気とは変わって骨太だ。
1988年26歳の時、新天地を求める気持ちで来米、クイーンズのフォレストヒルズのアパートで裏庭の部屋を借りて住んでいた時、その家にあったギターを手にして何気なく弾いた時にユパンキの曲を奏でていた。アパートのオーナー、リべロスが飛んできて“それはユパンキの音だね”と。オーナーはアルゼンチンの出身だった。
リべロスの友人だった歌手のエドワルド・マルティネスの紹介でアルゼンチンのユパンキの別荘がある人口150人の山村セロ・コロラドへ。そこで巨匠ユパンキと運命の出会いを果たす。同氏から直接演奏法の指導を受けた。
その後の大竹さんの活躍はめざましい。1994年にレイキャビックのオペラハウスと大統領官邸で演奏、95年には日本の国際交流基金より派遣されスペインをツアー、バルセロナとマドリッドで公演。翌年にはアルゼンチン最大の音楽祭コスキンに出演。2000年からはフランス、ポーランド、その後もモスクワ、ドイツ、フランス、ベルギー、カナダ、昨年7月にはパナマ、グアテマラ、アルゼンチン、ウルグアイ・ツアーで大成功を納めた。日本公演は200階以上を数える。
しかしユパンキに近づけば近づくほど“自分はユパンキにはなれない”との悩みがいつもつきまとっていた。そんな気持ちが吹っ切れたのはユパンキが亡くなった2年後の1994年。アルゼンチンの山村の小高い丘にある墓前で演奏した時だった。ユパンキの声が聞こえた。“シロ、エル・アリエーロ(牛追い)のようにギターを弾くんだ”と。
少年時代に偶然触れた小さな音の糸口をたぐって、ここまできたかつての少年は、細く長い糸で結ばれたユパンキの魂を受け継ぎ、いま日本人演奏家、大竹史朗として脱皮しようとしている。
“ボクは自分で求めてもあまりいいことないので、何があっても大丈夫な強い精神状態と肉体を持っていたいですね”。
本人も気付かぬ内に少年時代にあこがれた、さすらいの人生がそこに重なっていた。
今月24日(土)午後7時からハンターカレッジのラング・リサイタル・ホール(東69丁目、レキシントン街とパーク街の間)で、ニューヨーク公演を行う。
入場料は20ドル(当日券25ドル)。チケットとCDは紀伊国屋書店NY店(電話212・765・7766)で発売中。
9月8日のNY紀伊國屋書店ミニコンサートの前に、週間NY生活の三浦良一さん(Publisher & CEO)のインタビューに答える。
2005年09月18日 | Reviews(新聞雑誌インタビューetc.etc...)