軽井沢フォトアルバム 

マイ・センティメンタル・ジャーニー2007

今回の日本滞在中、公演の合間を縫って軽井沢を訪れました。
この美しい土地は私にとってかけがえのない思い出の土地です
それではまだ、人影まばらな早春の信州へと皆様をお連れしましょう!

(左) 子どもの頃、毎日のように自転車を駆ってやってきた塩沢湖。なんとあまりに美しく、洗練されたその変貌ぶりにビックリ。また、敷地内に入るのに入場料がいるのでまたビックリ!
(右) 湖のほとりに立つ塩沢観音は昔のままでした。当時はもっと大きく感じたものでしたが...。


軽井沢といえば「らくやき」。
30年ぶりに果敢に挑戦しましたが、出来は惨憺たる有様でした。

(左) 思い出の旧道商店街。「軽井沢は変わってしまったよ。」と言われていたので、がっかりすることを覚悟でやってきましたが、どうして町のもつ香りは昔と同じ。なつかしさいっぱいに私を迎えてくれました。
(右) 私が大好きなネイティヴ・アメリカン・ジュエリーやウエスタングッズを売るお店がたくさんあって嬉しい驚き。
今回軽井沢で、私のココペリ・コレクションに新しい仲間が加わるとは思いませんでした。

(左) 軽井沢から車で足をのばして一路小諸へ。ある駐車場のおじさんに、「ここで一番美味しいお蕎麦屋さんはどこですか?」と尋ねると、「それは私の口からはいえませんね(エライ!)。」とのフェアな返事。そこで質問をかえて、「じゃあ、どのお蕎麦屋さんがいちばん好きですか?」と尋ねた結果教えてくれたのがこのお店。
おじさん、ありがとう!とてもおいしかったですよ。
(右)今回はじめて口にして大ファンになってしまった、信州名物「おやき」。
さすがのニューヨークもこればかりはは手に入りません...。

(左) 上田駅にて。今回ここまで足をのばしたのは、惜しくも戦争で命を失った日本の画学生による美しい作品の数々ををコレクションした美術館"無言館"を訪れるためでした。
しかしながらこの美術館、土地の人でないとわからないような山のなかにあるため、さんざん車で迷ったあげく、上田駅前の交番にSOS。この交番のおまわりさんは、実にていねいに教えてくれました。
(右) 人里はなれた山のなかにひっそりと建つ"無言館"。
ここを訪れる人々はすべて、この建物のなかで"言葉"を失い無言となります。


少年時代の感受性の豊かな時期に、このような美しい自然のなかで毎年ひと夏をすごせたことが、いまどれだけ私の支えになっているかわかりません。
この次ここにいつ帰ってくることができるかわかりませんが、美しい南米の大地同様、軽井沢もずっと私の心のなかにとどまり続けることでしょう。

¡Aqui siempre te recuerdo con cariño, mi querido Karuizawa!

これはおまけ。
軽井沢へ向かう直前に、私の母校である青山学院初等部の、6年生のときのクラス会が東京でありました。これは三次会の様子で、最後まで残った私のクラスメートです。実に15年ぶり、人によっては20年ぶりの再会でしたけれど、このうち何人かの友人たちは、銀座王子ホールの公演にも来てくれました。
子どもの頃の思い出は、ほんとうになににもかえることのできないものです。

¡Gracias, queridos!




子どもの頃の思い出はたいせつにネ!

FAB !


2007年04月26日 | Knight's NY diaries(ニューヨーク日記)