素晴らしきギターの恩師 鈴木巌先生
私が現在、ギタリストとして国際的活動を続けていられるのは、少年時代にしっかりとしたクラシック・ギターの手ほどきをしてくださった鈴木巌(すずきいわお)先生のおかげです。
鈴木先生は、日本の音楽史上、海外における国際コンクール(1957年、モスクワ国際ギター・コンクール)で第一位グランプリに輝いた、わが国最初の音楽家です。
何年か前に、当時の鈴木先生の演奏の録音を聴かせていただいて、もうとにかくそのすごさに圧倒されたものですが、"ギターは美しい音色の楽器だよ。テクニックはあくまでもそれを表現するためのものでむやみやたらに誇示するものではない。"という先生の考え方は、いまも私の音楽のなかに、長年にわたってしっかりと息づいている大切な言葉です。
1996年、鈴木先生と、私のオリジナル組曲、'テノチティトラン-永遠の詩アステカ'を東京にて共演。
思えばこのときのライヴ・パフォーマンスが、その後の私にとっての最大の目標、'決してアンサンブル(合奏)では終わらないクロスオーヴァー(融合)の創造をめざした、'ニューヨーク風ヴィラ=ロボス (Heitorianas Nuevayorcas)'活動の出発点となったイヴェントでした。'
先生は以前から、"ヴィラ=ロボスは素晴らしい。たとえばきみの指がちょっと調子がわるいときがあっても、彼のエチュードを様様なスピードで確実に弾いていればすぐに調子がもどる。”と、いつもおっしゃっていました。私もそのとおりだと思います。ヴィラ=ロボスの音楽は、人間と、それをとりまく大自然とのちょうど中間点に音として、そして鼓動として位置する、きわめて稀な至高の芸術なのでしょう。
美しい音色のためにこそあるべき高いテクニック、まさにヴィラ=ロボスの音楽は、鈴木先生の考え方を象徴するものだと私は思っています。
その10年後の2006年、京都の大覚寺において、CD、'ナンブ'におさめた'テノチティトラン'は、日本の都山流尺八界最高峰‘竹琳軒(ちくりんけん)大師範’、三好芫山さんとの共演により、'ニューヨーク風ヴィラ=ロボス'第1番として完成。
演劇的要素をもった一連の組曲、'テノチティトラン'、 'ナンブ'、 'マリア・ルイサの城'、 'レジェンダ'、 'マトーコタンの物語'、 そして'ダヒュ'と、現在6番まである'ニューヨーク風ヴィラ=ロボス'は、このときはっきりとした方向性をもちました。
鈴木先生がプレゼントしてくださったCD。このCDが、"美しい音色を生むためにテクニックはある"という先生の考え方をすべて表しています。
とくに冒頭におさめられた、ロベール・ド・ビゼーの'組曲第9番'の音の深さは他の追従を許しません。
日本の剣道に、'守破離'という言葉があります。
まず師の教えを守り、次にみずからの修練、努力によりその殻を破り、ついには一流を立てて師を離れるという意味ですが、私にとってまさにこれこそが、鈴木先生への恩返しとなると信じて疑いません。
先日の銀座王子ホール公演にいらしてくださった先生は、"うまくなったな。ロボスの5番(バッキアーナス)をギター2本でどうやるのかと思っていたけれど、あれは実に良かった。”と、わざわざお電話をくださいました。
先生の教室をはなれてはや24年。その後、南米音楽に活路を見出して研鑽をかさねてきた私がいま、その南米音楽の頂点ともいえるユパンキやヴィラ=ロボスを演奏するということを、先生もきっと喜んでくださっているにちがいありません。
少年時の感受性豊かな頃に、この素晴らしい大芸術家に、ギターという美しい楽器をとおして音楽の心を学べたことを、私はいま、心からよかったと思っているのです。
ヴァージニア州の大学で講義中の私。
鈴木先生がおっしゃったことを思い出しながら、私はアメリカの学生さんたちにギターを指導しています。
もしかしたらそのうちこのなかから、'ニューヨーク風ヴィラ=ロボス'に参加するアーティストが出てくれるかもしれません。
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