テノチティトラン 永遠の詩アステカ

尺八との融合・ニューヨーク風ヴィラ=ロボス第1番


今日は、私が数あるラテンアメリカ諸国のなかでも最も好きな国のひとつであるメキシコにおいて作曲したナンバーについてお話したいと思います。


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自作オリジナル曲のなかでも、'組曲ナンブ'とならんで最も気に入っているナンバーといっていいのが、CD'カミナンテ'の、トラック3,4&5としておさめた'テノチティトラン 永遠の詩アステカ'です。


1995年、メキシコシティーに旅行した私は、かつてアステカ文明の首都として栄えたテノチティトランの遺跡を訪れ、いまは瓦礫と化したピラミッド神殿部分(屋外博物館となっている)から、スペイン人たちが建立したカテドラルを見たときに、なにやら戦慄が走ったようなインスピレーションを受けて、この3部構成(高原の湖のほとりに栄えた美しい平和な都を描いた「第1部、テノチティトラン」。そして招かれざる客、エル・コンキスタドール、エルナン・コルテスの到来、戦火、逃げ惑う女性、子どもたち、そして崩されたピラミッドの上に建てられる巨大なカトリック聖堂「第2部 コルテス ゲーラ カテドラル」。しかしいまも誰かが歌う、"テノチティトランは滅びない 我々の誇りとともに 槍とともに 盾とともに!"「第3部 永遠の詩」)の組曲を作曲したのです。

1995年は、メキシコ以外にも、私にとってスペイン、そしてアルゼンチンへはじめて公演ツアーを行った年で、とても思い出に残っています。

(写真: メキシコを代表する人類学者、そして歴史学者であるミゲル・レオン・ポルティーヤさんが著した、'メキシコ・テノチティトラン その時代と聖域'。彼の書いた本は日本でも何冊かが翻訳されています。)

'「メキシコ・テノチティトラン その時代と聖域」本文ページより。
私は作曲の際、この絵からもイメージを膨らませました。

(左)第3部、「永遠の詩」で歌詞として使ったのは、遺跡内の博物館の壁に大きく彫りこまれたアステカ伝承詩歌です。
第一部と第二部は、遺跡のなかですぐに曲想がうかんだのですが、そのあと結びがどうも思いつきません。
そんなとき目に飛び込んできたのがこの詩でした。
私はたまたま持っていた、前日に知り合ったある方の名刺の裏にこれをを忘れないように書きこみ...
(右)裏だけではスペースが足りなくなったため結局表にも及びました。
少々申し訳なく思いましたけれど、このおかげで'テノチティトラン'はできあがりました。
いまでもこの名刺は大切にもっています。

この11年後、京都の大覚寺で行われた、都山流尺八最高位‘竹琳軒(ちくりんけん)大師範’、三好芫山さんとの共演により'テノチティトラン'は完成しました。
"尺八とはかつて楽器であったのではなく、人が神と対話するための道具であった(三好さん談)"というお話が、この曲を尺八とのコラボレーションへと導いたのです。
アステカの民もきっと、神をあがめながら笛を吹いていたにちがいありません。
インカやアステカの人々は、我々日本人と同じくモンゴロイドにその起源をもっていました。
芫山大師範は、心からこのナンバーを理解して演奏してくださいました。
それは、横で聴いていて鳥肌がたつような深いインタープレテーションでした。

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そして2009年9月、メキシコシティーで行われる"日本メキシコ国交400年記念コンサート"への招聘を受け、ついに"テノチティトラン"は故郷に里帰りすることになりました。


私にしてみれば、こんなに嬉しいことはありません。

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ぼくもメキシコだいすき!



2007年06月30日 | Shiro's hideaways(シロの隠れ家)