アルゼンチン風バッハ第3番 ”エル・ギタリスタ” I
11月29日の夜、東京赤坂で出演するコンサートにおいて、2曲演奏予定の、私自身のアイディアによる、バッハとユパンキのサウンド・クロスオーヴァー、”アルゼンチン風バッハ”。
当夜は、私がそのなかでももっとも新しい第五番`マヤ・レクイエム`と、もっとも最初に完成させた第一番`プレリュードBWV996+兄弟たち`の二編を演奏しますが、今日ここで、みなさまにご紹介しようと思うのは、かのフランシスコ・タレガの手によりバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番からアレンジされ、ギターの傑作曲として生まれ変わった`フーガ`のうえに、ユパンキの随想集”インディオのしらべ”におさめられた”エル・ギタリスタ(ギター弾き)”を読み上げる、アルゼンチン風バッハ第三番です。
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`エル・ギタリスタ`は、のちに南米音楽最大の巨匠としてその名を馳せることとなる少年時代のユパンキが、生まれ故郷であるアルゼンチンの片田舎の集落において、あたたかい家族、そして豊かで美しい自然に囲まれながら、いかにギタリストとしての道を歩むようになったかを、ときに愛らしく、ときに神秘的に記した、実際の本の中では4ページにおよぶ長丁場。
本日はまずパート1、前半部分をお楽しみください。
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かつて ともに生まれた道と人は
いつの日か ふたつにわかれていた
それが いつ どこでなのかは 誰にもわからない
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赤毛の色白の子もいれば 浅黒い肌の子もいるブエノスアイレスの片田舎で 少年は生まれた
少年は 生まれながらのギタリストだった
彼は まだよちよち歩きのころから 家の男たちが農場へと働きにでかけると ガブリエルおじさんのギターをひっぱりだしては ずっと長い時間 見よう見まねで弦をはじいていた
夕方になると母親の声がきこえる
”父さんが帰ってきたよ!”
すると少年はあわててギターをかくして中庭へと走り 歌を歌いながら父親を迎えるのが常だった
ある日父親は息子を叱った
”ギターを弾いてたな? いいか 俺の息子は誰もギター弾きなんぞにはならないぞ!”
”ほっときなさいよ 子どもなんだから”
母親が言う すると父親は
”いやだめだ そのうち表に出て弾きだすぞ 空腹を満たすために弾きだすに決まっている!”
しかしもう 誰も少年を止めることはできなかった
彼は生まれながらのギタリストであった
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少年が6歳になったとき 彼の父親は馬から落ちて大けがをし 村の病院に運び込まれる
そして二ヶ月たって家に戻ると 父親を迎えたのはギターの調べだった
少年はすでに 午後のひとときを彩る甘いワルツを弾くことをおぼえていた
しかもその手に自慢げにあったのは おどろいたことに彼自身のギターだった
家中でもっとも粋なクリオージョ(南米男)のガブリエルおじさんが父親に語った
”こういうことさ 母親があの子を町へ買い物にゆかせたときのことだよ 空の袋とお金をもって馬にまたがって出てったが 次の日帰ってきたら「お金をなくしちゃった」と言うんだ...”
”そりゃあもちろんおこられたさ ところがそのとき やつのもっていた袋ななかには石ころがぎっしりとつまっていたんだ”
”お金をなくしたっていうのはうそだよ やつは食料を買うお金でギターを買うと 袋に石ころといっしょにつめてわからないようにして帰ってきたのさ”
”みんなが昼寝をしているときにひとりで袋を広げているところをとっつかまったってわけだ ほら聞こえるだろ わが家の大音楽家の演奏が”
”しかたのないやつだ”
それが父親の口から出たただひとつの言葉だった
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(パート2へ続く...)
2009年11月05日 | El Mundo Maravilloso de Las Poesias(素晴らしき詩想の世界)