アルゼンチン風バッハ第3番 ”エル・ギタリスタ” II


バッハの”無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番フーガ”をバックに朗読される”エル・ギタリスタ”。


今日はそのパート2、後半部分をお楽しみいただきます。

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パート1より続く...)

年月が流れ 少年は自然にかこまれ 夢を膨らませてながら育っていた
広大な土地、丘、川、風、柳の木、お百姓たち、ガウチョたち、はじけそうな春、そして静かな冬...
それらが彼にとっての学校であった


ある日彼は 農場の傍らに一本の道を見た

それは砂地と砂利道の続く険しい道だった
いったいその道がどこまで続くのか
不安にも似た好奇心が彼をつつみ ついに彼はある夕べにその道に立つと 一歩ずつ歩きはじめたのである

ときには戻ってくることもあった

しかし 長い年月にわたってその道を歩くにつれ 彼の家族、農場、とうもろこし畑、そして木々や川は郷愁のなかへと消えてゆき 彼のからだにのこったのは 少年時代の夢や思い出が姿を変えた大いなる魂だった

それを傍らで見ていた母親は ガブリエルおじさんにこう言った


”ああ かわいそうな私の息子!どうして道なんかにとりつかれてしまったんでしょう?!”


少年は かつて父親が言ったように あたかも「空腹を満たすように」ギターを弾いていた

しかしそれは 空腹感とはちがうものだった
それは心の内側の奥深いところからやってくる 無限の広がりをもつなんとも複雑なものであった


道を歩むこと
それは ギターの美しく響く六本の小道を指がさすらうことのよう


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いつの日か 道と人は ふたたび出会うだろう

道は さらに 広さをまして

人は さらに 深さをまして


それが いつ どこでなのかは 誰にもわからない


    (”エル・ギタリスタ”/アタウアルパ・ユパンキ  シロ・エル・アリエーロ訳)


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これは、少年時代のユパンキの物語を、若干脚色したものだと思いますが、オリジナルのスペイン語による文章では、自身の話としてではなく、”ナボール”という名前の男の子のストーリーとして綴っているため、ここでは”少年”と訳しました。

また、実際の朗読の際には、ギターとのタイミングやシンクロナイゼーションの関係で、ユパンキの傑作詩”ギターラ”から、数節が加わります。

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`アルゼンチン風バッハ`におけるユパンキの詩の朗読は、なんといっても女声がベストです。

私は少年時代から、ニュースキャスターの頼近美津子さんの大ファンでしたので、いつか、こんな素敵な女性に詩の朗読をしていただければ素晴らしいなと淡い夢を抱いていましたが、今回(2009年11月)日本に来た際、もう数年前に亡くなってしまったという話を聞き、とてもショックを受けました。

思えば頼近さんは、25年以上も私の脳裏のなかで、若く美しい容姿のまま静止していたのです。

この場をかりて、頼近さんのご冥福をお祈りします。

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(写真上) 1912年、4歳のエクトル・ロベルト・チャベーロ(のちのアタウアルパ・ユパンキ)と、実父ホセ・デミトリオ・チャベーロ。


(写真下) 1908年、アルゼンチン、ブエノスアイレス州ペルガミーノ、カンポ・デ・ラ・クルース<”十字架の野”を意味する農村>のユパンキの生家。


(ブエノスアイレスのプエルト・デ・パーロス社による、ユパンキ生誕100年記念出版 ”この長き道 メモーリアス”より)


2009年11月09日 | El Mundo Maravilloso de Las Poesias(素晴らしき詩想の世界)