ニッポン放送 ’スーパーステーション’

ニッポン放送が制作した、一時間にわたる私のドキュメンタリー番組。
このなかでふたつ、関係者による私に対しての忘れられないコメントがありますが、そのひとつは、やはりニッポン放送の、おなじみ竹村健一さんの番組に生出演したときの彼のコメントの抜粋です。
竹村さんにはとても気難しい印象を受けていたので、正直あまり気乗りがしませんでしたが、マイクをはさんで私を見つめる彼の眼鏡の奥にあったのは、ほんとうに澄んだ、興味深さでいっぱいの優しいまなざしでした。
“自分はフルブライト第一期生としてアメリカに留学をしたが、もう日本に帰りたくて帰りたくてしかたがなかった。しかしいま、ここにいる青年は、ギター一本ひっさげて南米コミュニティーに入り込み、ーあっちも移民ならこっちも移民だとーと言っている。これは本当にすごいことで、まさに新しい日本人と言えるのではないかとぼくは思う” と、おっしゃってくださいました。
私はそのとき、本当にアメリカに行ってよかったんだと思ったものです。
結局 ‘スーパーステーション’には、このとき竹村さんがおっしゃった、‘新国際人’という言葉がそのままタイトルとして使われました。

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2005年08月12日 | Shiro On Air |

スペインのナンバー1ラジオ局 ‘カデナ・セール’ と、組曲‘マリア・ルイサの城’

ギタリストにとってスペインは永遠のあこがれの国です。
マドリード公演の前に、最大手ラジオの‘カデナ・セール’が、一時間の生放送番組に私を招待してくれたのは嬉しい経験でした。
“スペインは私が子どもの頃から夢みた国。ここにいて、歩いて、ここの空気を吸い込んで、そして私はいまこの国にいるのだという喜びをかみしめているのです。”と、正直な気持ちを言うと、聞き手の人もたいへん喜んでくれました。私は一時間ほぼ出ずっぱりでしたが、途中何人かの有名人ゲストも現れ、そのなかに、その週に戦う予定のスター闘牛士がいて、なんだかよくわからないままに彼と対談したのも、スペインらしい、楽しい思い出になりました。

左)スペインの日本語による情報紙
右)アランフェス宮殿にて


スペインは光と影の国です。宮殿の裏の林のなかを歩いていると、目の見えないロドリーゴがどうしてあの‘アランフェス協奏曲’を作ることができたのかわかったような気がしました。
スペインの芸術家はみな、この光から霊感を得ていたに違いありません。
この後、ここからいくらも離れていないチンチョンの町で、‘マリア・ルイサの城’との出会いがありました。

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2005年07月31日 | Shiro On Air |

生まれてはじめてのTVインタビュー番組、‘メッセージひろしま’

ユパンキの詩 ‘ヒロシマ ー 忘れえぬ町’ に曲をつけたことがきっかけで行われた私の最初の広島公演の際、NHKが制作した‘メッセージひろしま’。
スタジオでのインタビューにライヴ映像をまじえた、30分にわたる本格的なものでしたが、いまこのとき録画してもらったものを見ると、公演のためにアメリカから4年ぶりに日本に帰国した私は、非常に落ち着き払った態度で用意された椅子に座り、身動きひとつせず、眉ひとつ動かさずにインタビュアーをじっと見つめて質問に答えていて、それはまるで、あたかも森の奥からでてきた若い狼のような雰囲気さえたたえています。
頼る人間もいないまったくの未知の世界で、4年の間に若い目が見た数々の事柄はストレートに心臓に達し、そしてそれが血液となって指先へと流れた結果、私はこの頃、本当に純粋な気持ちでギターを弾いていました。
このところ、演奏技術が進歩した反面、はたしていまの自分は、そのときのピュアリティーをそのまま保っていることができているのだろうかなどと時折思うことがあります。

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2005年07月26日 | Shiro On Air |

NHK FM ‘ポップスステーション’ 竹村淳さん

日本のNHK FM放送で、もう20年以上もラテン音楽の魅力を紹介していらっしゃるのが、音楽ジャーナリストの竹村淳さんです。
竹村さんは、日本のラテン音楽評論の第一人者のおひとりですが、ご本人は‘評論家’という肩書きをきらい、あえてジャーナリストとしてフットワークも軽く、気になる音があると世界中どこへでも出かけてゆくという素晴らしい方です。
竹村さんは、私がいままで発表したCD4枚をすべて放送で紹介してくださいました。
竹村さんの放送を聴いて私のコンサートにいらしたという方が日本全国どこに行っても必ずいらっしゃるのでたいへんありがたいのですが、それだけではなく、‘ルナ・トウクマナ’をのぞく3枚に、ご自身のペンからなる日本語の素晴らしい解説を入れて、現在やはりご自分のテイクオフ社から日本でディストリビュートをしてくださっている、文字どおり私の日本での大恩人です。


私はかつて、NHKのFM放送でユパンキを知りました。いま同じ電波に乗って私の音楽が流れ、もしそれをどこかで、少年時の私のように感激して聴いてくださっている方がいらっしゃるとすれば、私にとってこれ以上の喜びはありません。

! Muchisimas gracias, maestro Takemura-san !

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2005年07月16日 | Shiro On Air |

ウルグアイの‘ルックルックこんにちは’

南米ウルグアイの首都モンテビデオは、海に面したモダンな新市街と、黄昏時にたまらなくロマンティックな、ヨーロッパ風の旧市街からなる美しい町でした。
ここで出演した、いわば‘お茶の間の朝番組’。モンテビデオでも一番人気の朝の生番組ということで、コンサートの集客に追撃ちがかかりました。
ダブルネックギターを生で演奏しているところがはじめて放映されたテレビ番組です。
ただ、あまりに取材が立て込んだためバタバタと放送局にかけ込むことになり、この番組の名前を聞くのを忘れてしまいました。
ビデオをもらってあるのですが、ヨーロッパ同様南米はパル方式なので、残念ながらいまだに見ていません。

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2005年07月15日 | Shiro On Air |

ホンジュラスの‘徹夫の部屋’、 Desayuno con 63

中米ホンジュラスの首都、テグシガルパの63チャンネル www.telenisa.com のこの番組は、30分に及ぶインタビュー番組ですが、朝食(Desayuno)のテーブルに招かれて話が進むという設定です。
聞き手の男性はとても有名なマルチタレントだそうで、これはまさに、ホンジュラスの‘徹子の部屋’ ならぬ ‘徹夫の部屋’ でした。
ビデオをもらってありますのでいつか日本でもご紹介したいですね。
但し全編スペイン語ですが..。

いくらそこが映らないとはいえ、何か棚に入れてもいいのに..。

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2005年07月11日 | Shiro On Air |

コーヒーショップからの生中継、‘Tortulia del Cafe’

ブエノスアイレスのラジオ、Radio Ciudad のこの番組出演は楽しいものでした。
男性パーソナリティー二人と女性パーソナリティー一人が喫茶店でおしゃべりしている(録音はもちろんスタジオ)設定なのですが、するとそのときに話題になっている人がたまたま入って来るので、それを呼びとめ一緒におしゃべりするという展開です。収録後、放送を録音したCDをもらったので聴いてみますと、効果音で喫茶店にいる雰囲気がよくでていました。私のCDをかけるときは、“ マスター、ちょっとBGM変えてよ!”なんていう演出で、実に微笑ましいかぎりでした。


オン・エアー中,一番右が私です。

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2005年07月05日 | Shiro On Air |

ニューヨークのFMクラシックステーション‘WQXR’

wqxr.jpgアメリカ、中南米、ヨーロッパ、そして日本と、いろいろな国のメディアによって紹介を受けましたが、なかでも一番嬉しかったのは、やはり地元ニューヨークのクラシックFM局、天下の‘WQXR’ではじめて大きくとりあげられたときです。
ある日いきなりこの局の名物プロデューサー兼コメンテーターのロバート・シャーマン氏から電話があり、もうそれだけで驚いてしまったのですが、“ルナ・トウクマナ”のCDを紹介したいので、いくつか私が言うナンバーの歌詞の英訳を送ってもらいたい”ということでした。

ユパンキは生前、数回にわたりカーネギーホールで公演しているのにもかかわらず、きちんと英語で紹介されている出版物がないので責任重大でしたが、なんとか英訳したものを送ると、今度は丁寧な手紙が来て、“ ‘ヌンカ・ハマス’ と、‘ギジェルマおばさんに捧げる詩’をかけるので是非聴いてください”と、わざわざ放送時間を知らせてくれたのです。
そのとき録音したテープはまだ大切にとってありますが、放送で私と一緒に紹介されたのが、チリの‘ヌエバ・カンシオン’の旗手であり、同国の軍事クーデターの際に犠牲となった英雄ビクトル・ハラで、これはもう感無量でした。
放送の後でお礼状を送るとまた返事があり、“これからもおりを見て紹介するので、新しいアルバムができたら送ってください”ということだったので、きちんとそれを実行して現在に至っていますが、時々、WQXRをよく聴く知り合いから、“CDかかってたよ”と聞くのは何よりも嬉しいことです。

ニューヨークで行われるクラシック音楽のイヴェントには必ずといっていいほど関わるシャーマン氏。
多忙をきわめる方なのですが、そのアクションの早さには驚かされました。

2005年07月02日 | Shiro On Air |

映画 ‘男はつらいよ’ と銘器 ‘中出ギター’

日本の皆様によく聞かれることのひとつに、“私がかつて、寅さん(松竹映画)に出演してギターを弾いたというのは本当ですか?” という質問がありますが、この場をお借りしてお答えしますと、“本当”です。

1985年に製作された、‘男はつらいよ-柴又より愛をこめて’ がそれで、私は劇中、マドンナ役の栗原小巻さん(小学校の先生の設定)の元教え子の青年役として、先生の好きな、‘七つの子’ をギターで演奏しています。
寅さんの映画はギターやマンドリンのBGMが実に多いため、知らないでご覧になると、私こと若い俳優がギターを弾く演技をした後で、専門の奏者がアフレコで音をかぶせたように見えますが、これは実際、私自身がギター独奏用にアレンジを行って演奏したものを、そのままサウンドトラックとして使っているのです。
ですから、昨今ニュース番組などに出演してギターを弾くことはよくあっても、現存する劇映画のなかで私がギターを演奏しているものとなると、これがワン・アンド・オンリーということになりますね。

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2005年06月11日 | Shiro On Air |

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