パラグアイ&アルゼンチン4都市公演大成功
二週間にわたる二カ国四カ所公演がすべて大成功裡に終了しました。
Shiro Otake ofreció los sonidos de Atahualpa
大竹史朗、ユパンキの音色を届ける / アスンシオン、パラグアイ
Emotivo concierto en Encarnación
エンカルナシオンの感動的コンサート / エンカルナシオン、パラグアイ
Guitarrista japonés ahijado musical de Yupanqui en Argentina
ユパンキの申し子”日本人ギタリスト” / ブエノスアイレス、アルゼンチン
大竹史朗サイトはリニューアル中につき、新情報は後援会のホームページ、Facebookで紹介しています。
ブエノスアイレス日系メディアとの電話インタビュー
3月20日に行う、アルゼンチン独立200年記念リサイタルを受けて、ブエノスアイレスの日系FMステーション、'JAPÓN HOY (JAPAN TODAY)'から電話インタビューの要請があり、3月10日の水曜日、現地時間夕方5時からの番組に、声の生出演で約20分にわたるインタビューに応じました。
私の話すスペイン語が、FM放送によりアルゼンチン全国、そしてインターネット配信により、世界中で聴かれたわけですが、この放送の際、時差の関係で、日本はといえば3月11日の明け方の5時...。
一応前もっての告知はさせていただいたので、もしもそんな時間に聴いてくださった方がいらっしゃったなら、心から御礼申し上げます。
ノーネスチャンネルとのインタビュー ON AIR
二週間の日本滞在を終えてニューヨークに戻る前日、12月1日に東京で収録を行った、ノーネスチャンネルによるインタビューのオンライン配信がスタートしました。
「ひとつのダイヤモンド」と題された、全二部構成によるこのインタビュー。
ユパンキ音楽との出会い、アメリカへの旅立ち、さらに敬愛してやまないバッハに対する想い、そして現在の私の音楽に対するアプローチと考え方が、ひとつのテレビ番組としてたいへんていねいに作られています。
まずこの場をかりて、ノーネスチャンネルの平山秀善代表兼チーフ・エクゼクティヴ・オフィサー、そしてノーネスユニバーシティーの学園長、鮎川雅子さんに心から感謝申し上げます。
ノーネスチャンネルとのインタビュー
ニューヨークに戻る前日の12月1日、東京のノーネスチャンネルにお招きを受け、ビデオインタビュー収録を行いました。
ノーネスチャンネルは、ウェブをキーステーションとし、さらにノーネスチャンネル、ノーネスユニバーシティ、ノーネムーブメントを展開するハイブリッドテレビ局。
私の横に座っていらっしゃるのは、今回、私にインタビューをしてくださった、ノーネスユニバーシティーの学園長、鮎川雅子さんです。
"Radioshow" ON AIR !
1月27日、米国東部時間の午後2時30分、ブエノスアイレスのラジオ局Radio del Plata/の人気番組"Radioshow"のスタッフから、ニューヨークでリハーサル中の私に予定通り電話がかかりました。
まず段取りの説明を受け、しばらくの間、受話器から流れる小気味よいポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)・アクセントによる彼らの放送を楽しんだ後スタンバイのキュー。私の"Zamba del Grillo-こおろぎのサンバ"(目下のところ、私のベスト・ユパンキ・インタープレテーションだと自負)がかけられたあと、司会のレオナルド・グレコとの10分間におよぶ電話インタビューがブエノスアイレスにライヴで流れました。
私とユパンキとの出会い、そしてアルゼンチンとの縁、さらにこれからの活動などのストーリーが、遥かなる距離で南北に隔てられたふたつの魅力あふれる都市をひとつにつなげ、とても充実した、価値のあるいいインタビューになったと思っています。音声も、ブエノスアイレスと話しているとは思えないほどクリアーで、きちんとオーガナイズされた良質の番組でした。
ラスト、私が演奏した「月の踊り」が流される前に、「私たちの音楽を、日本生まれで現在米国にいるあなたが演奏してくれていることをとても感謝しています。」と言われ感激。
私も、「私の人生はアルゼンチンぬきでは考えられません。アルゼンチンのみなさんに感謝します。」と言ってインタビューを終えました。
きっとブエノスアイレスやモンテビデオで聞いてくださった日本人の方々もいらっしゃることでしょう。
いつかまた、声だけではなく皆様とお目にかかれますことを楽しみにしています。
"Radioshow"のプロデューサー、マルティン・フェルナンデスさん、そしてこちらのリハーサルの最中に時間をさいてくださったニューヨーク・サイドの皆さんに感謝をし、文末ながら、Radio del Plataの今後のさらなる発展を祈ります。
(私はこのインタビューでとても大切な二人の人物の名をあげました。私が日本でもっとも尊敬するギタリストの鈴木巌先生と、わたしの人生を語る上で絶対に忘れることの出来ないアルゼンチンのフォルクロリスタ、故エドワルド・マルティネス・グワジャーネスです。今日私は、ブエノスアイレスの皆さんにそのおふたりの名前を知っていただいけたことをとても喜んでいます。)
衛星放送インタビュー番組への出演
日本の衛星放送スカイパーフェクTV!のCH767、日本文化チャンネル桜のインタビュー番組「日本の息吹」にゲストとしてお招きを受けました。
約一時間にわたる内容の濃い番組のなかで浮彫りとなる、自分にとってのユパンキとの出会い、アメリカへの旅立ち、そしてこれからの目標などはもちろん、桜をフィーチュアーした美しいセットでの演奏2曲(牛車にゆられて/ユパンキ、ふたりの闘牛士の踊り/シロ)もたいへん見ごたえのあるものになっていると信じています。
「日本の息吹」は、毎週木曜日の19時からの放送で、翌金曜の7時と、週があけた月曜の16時から再放送があります。
詳しい放映日程は、チャンネル桜のウェッブサイトを御確認ください。
衛星放送でみなさまにお目にかかれますこと楽しみにしています。
ペルーの最高におしゃれなラジオ局とニューステーション
ペルーの首都リマにある、どちらかというと高級音楽志向派に多くファンをもつFM局が、ラジオ・フィラルモニア(フィルハーモニー)です。
私はこのなかで、ディレクターのひとりである、カルロス・ロアイサさんの番組に出演し、10分ほどのインタビューの後、ユパンキの"牛車にゆられて"を生演奏しました。
もともとお金持ちの住まいであった邸宅を改造して放送局にしたというたいへんおしゃれなもので、一日中ここでのんびりしていたいと思えるほどでした。南米は奥が深いです。
左)ラジオ・フィラルモニアの玄関口 とても放送局とは思えません
右)ディレクターのカルロスさんと
今はなきワールドトレードセンターでのインタビュー
2001年の8月に、ブエノスアイレスの人気テレビ番組‘Canal 5 de Vicente Lopez’で放映された私のインタビューがあります。
実はこれは、あの恐ろしい惨劇をそのちょうど二ヶ月後に迎えることになる、NYワールドトレードセンターのツインタワーを見上げるプラザの一角で行われたものでした。
ここにその放送が収録されたビデオテープがあり、これには私の映像に加えて美しいツインタワーのショットが挿入されているのですが、私はこの街にきて間もない頃、タワーの屋上に登って、はるかに広がるマンハッタンを見下ろしながら、“これからよろしくたのむぞ”などと祈ったものでした。
その後ニューヨークは、ただひとりでそのふところにとびこんできた若者の願いを聞いてくれ、数多くのプレゼントをしてくれました。
あの9月11日の朝、このタワーが崩れ去った瞬間、私はまさに胸をえぐりとられるような思いでした。
インタビューに答えている私を見下ろす美しい姉妹のようなツインタワー、こんなかたちで想い出のなかにのその姿を残すのみとなってしまった運命を考えると、もういまこのビデオを観ることはできません。
今年、4年めを迎えるナインイレブン、その日私たちニューヨークに暮らす者は、もう二度とこんなことが世界のいかなる場所ででもおこらないように祈るのです。
2005年09月11日 | El Mundo Maravilloso de Las Poesias /Shiro On Air | Permalink
フォルクローレの里、サルタの人気ラジオ局
アルゼンチン北部にある、フォルクローレのゆりかごと呼ばれる美しい町サルタ。
この町で一番聴かれているラジオ局が‘ラジオ・サルタ’ です。
本来、生出演をするはずでしたが、公演日の昼にブエノスアイレスから到着するとすぐに現地のミュージシャンたちとリハーサルなどがあり、スケジュールは押せ押せで、結局ホテルから電話で出演ということにあいなりました。
中米ニカラグアの人気ラジオ ’ジャ’ と、映画‘アルシノとコンドル’
ニカラグアと聞いて、すぐどんな国かや正確な位置が分かる方はそれほど多くないと思いますが、前にご紹介したキューバ映画、‘苺とチョコレート’と同様、たいへん感激したこのニカラグア映画、‘アルシノとコンドル’との出会い以来、私がずっとロマンを抱いていた国でした。
チリから亡命した映画監督、ミゲル・リッティンが、全ラテンアメリカ映画人の総力を結集して製作した作品‘アルシノとコンドル’。
ながきにわたってニカラグアの人々を苦しめたソモサ独裁政権が、サンディニスタと呼ばれた反政府ゲリラによって崩壊させられる様を、アルシノという少年の目をとおして描かれた、この鋭いリアリズムと甘味なリリシズムが完璧に融合した作品は、米国俳優のディーン・ストックウェルがまったくのノーギャラで出演したことでも話題となりました。
劇中アルシノは、亡き父親の遺品の入った箱のなかから見つけたアムステルダムの絵葉書を大切にしているのですが、彼にとってこのアムステルダムは夢の都でした。
仲良しの少女といっしょに湖に木の小船を浮かべ、“アームステルダーム!”と叫びながら遊ぶシーンは、キューバの作曲家、レオ・ブローウエルの美しい音楽とあいまって、幻想と詩情の極致ともいえる、私がいままで観た映画のなかでも一番美しいシーンのひとつです。
そのニカラグアで2002年に公演が決まったとき、私はどんなに嬉しかったかわかりません。たびかさなる内戦や地震でかなりのダメージを受けた国ではありますが、現在若い人たちのパワーが確実に将来を感じさせ、首都のマナグア大学は中米一の教育水準を誇ります。
そのマナグアで一番の人気ラジオが‘ya ー ジャ (already という意味)’ですが、この放送局が私の公演前に流したコンサートのコマーシャルは、オリジナルの‘テノチティトラン’をベースに作った最高にカッコよいもので、しばらく聞き入ってしまうほどでした。(写真は‘ジャ’ に出演する私)