Atahualpa Yupanqui
(アタワルパ・ユパンキ / アタウアルパ・ユパンキ)
1908年1月30日アルゼンチンのブエノス・アイレス州カンボ・デ・ラ・クルースに生まれる。
ギタリスト・歌手・作曲家・詩人・随筆家…と幅広く活躍していた。
父は鉄道関係の役人で、ケチュア族インディオの血をひき、母はバスク人移民の家系の出。
6、7歳の頃から聞き覚えでギターを弾き始める。9歳の夏にトゥクマンに移り、以後農業の人夫、牛追い、きこり、新聞記者などをしながら学校生活を送り、その間放浪の旅を繰り返す。
この頃から作曲や詩作を開始し、1929年インディオの魂をうたった曲「インディオの道」を発表。以来、アルゼンチンの人々やインディオの生活、風物を独自のスタイルでうたい続ける。
著作も多く手がけ、’39年に処女詩集「EL CAMINO(道)」を、’45年に随想集「Aires Indios(インディオのしらべ)」などを出版したほか、レコードも出すなど、多岐にわたって活躍。
’43年には郷土音楽舞踊団を率いて初めてカルナバリートの音楽と踊りを紹介し、今日の盛んな民族音楽芸術の先がけとなる。
’48年亡命の形で渡仏。エディット・ピアフに師事し、ピカソとも親交があった。
また、パリの国際民謡祭で大賞を獲得したほか、講演も行い、ハンガリー民族学会の名誉会員に推挙された。
さらに映画「石の地平線」の音楽によりベネツィア国際映画祭大賞を得るなど、国際的な活躍をみせ、中南米音楽の新しい道を拓いたフォルクローレの父として広く知られる。
3回にわたって来日したことがあり、各地のステージからその至芸が伝えられた。
1992年5月23日(84歳)フランス南部ニース没。
ギターは空洞の木の箱である。
それを弾くものは、澄んだ清らかな魂を満たさなければならない。