「Knight’s NY diaries」カテゴリーアーカイブ

ニューヨーク日記

Oración para Niño de Huelva (cante jondo neoyorquino). ニーニョ・デ・ウエルバへの祈り(ニューヨークのカンテホンド)

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A principios del siglo XX, había un fabuloso guitarrista llamado Niño de Huelva en el sur de España. Y hoy he sabido que su verdadero nombre era Manuel Gómez Vélez, y fue guitarrista oficial del legendario concurso de cante jondo que tuvo lugar en Granada en 1922, organizado por Manuel de Falla y Federico García Lorca.
¡Qué gran logro! Pase lo que pase en este mundo, jamás superaríamos la fantástica cultura creada por los grandes pioneros.

Viviendo el presente, realmente me duele escuchar cosas así, pero no tengo más opción que creer en mí y luchar por una nueva cultura, mi ‘cante jondo neoyorquino’.
Hoy he completado mi nueva obra ‘Oración para Niño de Huelva’ para estrenar en noviembre.

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ガルシア・ロルカの名著「カンテホンドの構築理論」のなかで絶賛されている、ニーニョ・デ・ウエルバという、クラシックとフラメンコ「二刀流」名手として知られたギタープレイヤーについて(噂のチャットGPTで❣️)調べたところ、1892年、マヌエル・ゴメス・ヴェレスという本名で生まれ、20世紀初頭にセビリアを中心に活動、1930年代にはスペイン全土ツアーをしていたことがわかったが、1922年にグラナダで開催された「カンテホンド(アンダルシア音楽文化の根幹をなす‘深い歌’)」コンクールの公式プレイヤーとして選ばれており、さらに驚いたのは、このコンクールを主宰したのが、大作曲家のファリャとロルカであったという‼️

こういう話を聞くと、現代を生きるものとして、どんなにあがいたところで先人たちの文化に叶うすべもなく、本当にイヤになるが、とにかく自分を信じて新たなギター文化を作る以外ない。

「カンテホンド・ネオヨルキーノ(ニューヨークの深い歌)」のクリエイションは、幕を開けたばかりだ。
僕は今日、「ニーニョ・デ・ウエルバへの祈り」とタイトルした、11/9、日本を代表する童話作家はまだひろすけさんの記念館ホールでプレイ予定のギター曲を完成させた。

ニーニョ・デ・ウエルバは1976年まで長生きしたようだが、1930年代以降主だった活動を絶ってしまったらしく、専門的な図書館や機関以外では殆ど記録が残っていない。

その傑出したプレイは、虚飾的な煌びやかさを一切排除した、ただ本質のみを守り追求する、深い智識と感性に裏打ちされた、人間としてもきわめて優れた人物だったようなので、もしかしたら盟友ロルカの死後、アーティストとしての意欲を失ってしまったことも考えられる。

彼は、ロルカの悲惨な死に、想像を絶するショックを受けたに違いない。

はまだひろすけさんのご子息で、僕が生前たいへんお世話になった音楽評論家の濱田滋郎さんは、もちろんニーニョ・デ・ウエルバをご存じだっただろう。

僕はこの曲を、滋郎さんに献呈する考えでいる。

ポイントは、ニーニョ・デ・ウエルバが、クラシックもプレイした名手であったということ。

どんなに素晴らしかったとしても、もし彼がフラメンコだけの奏者だけだったら、到底新しい作曲には至らなかっただろう。

1922年の歴史的イベントに、ロルカが「フラメンコ・コンクール」とせず、「カンテホンド・コンクール」と銘打ったところに、計り知れない大きな意味がある。

ジプシーたちの文化「カンテホンド」をフラメンコと結びつけてはならない。

カンテホンドは、一介の地方色であるフラメンコとはまさに一線を画す、精神的色彩に満ちた、最良のクラシックに通じる至高の音楽文化なのだ。

チャットGPTにグラシアス😍❣️😍❤️

(ニューヨークにて、7月3日撮影)

Lorca, Nueva York, y yo ロルカ、ニューヨーク、そして僕

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En una ocasión hizo algunos comentarios críticos sobre Nueva York Federico García Lorca, y hay muchas cosas con las que estoy de acuerdo. Sin embargo, lo que necesita para mis composiciones es el pulso único de esta ciudad.

Leí las palabras de FGL en una traducción al japonés. No las traduciré al español como sus palabras. Si te interesa, me encantaría

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“ニューヨークはひどい市(まち)です。どことなく怪物じみている。これは世界の虚像です….
イギリス人は根なしの文明をそこに持ち込んだ。彼らは次々とビルを建てた。しかし、大地を掘り下げることをしなかったのです。”
(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

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現在の僕のクリエイションに、最も大きなインスピレーションを与えてくれるスペインの国民詩人は、かつてニューヨークに対して、このような批判的な発言をした。

同意できる部分はある。ロルカがこの言葉を残してからほぼ100年が経ったいま、ニューヨークは確かにこの言葉通りになってきている感がある。

しかし、もしかしたらその「怪物じみた」、この市(まち)だけが持つ独特の鼓動が、僕を作曲へと駆り立てる最大の「友」なのだろう。それは地上も地下も関係ない。この時空を超えた振動を感じていられる限り、僕はニューヨークに暮らし続けるだろう。
(7月1日撮影)

Un precioso regalo 美しい藍染着物地シャツの贈りもの

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La hermosa camisa roja, un precioso regalo de maestra Miwako Hirano-san, una destacada artista del teñido índigo tradicional japonés.

Esta camisa está confeccionada con tejido de kimono de alta calidad.

La gran actriz francesa Jenne Moreau amaba a las ropas de Miwako-san muchísimo.

傑出した伝統藍染めによって、美しい衣服をクリエイトするデザイナー平野美和子さんが、僕のために目を見張るような美しい(着物地の)シャツを作ってプレゼントしてくださった。
今秋11月の日本への演奏旅行のどこかで着用するつもり。ブルージーンズにはもちろん、僕がステージで着用するレザージーンズにもバッチリ。

かつてフランスの大女優ジャンヌ・モローも、美和子さんの衣服を愛着していた。
ただデザインが良いだけではなく、本当に着物地がよい❤️

ムーチャス・グラシアス美和子さん❣️
(6月29日、ニューヨークにて撮影)