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ニューヨーク日記

清瀬保ニ(きよせやすじ 1900-1981)さんに捧げる最新作「HIMIKO 卑弥呼」

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作曲家・清瀬保ニさんは、僕が日本で最も素晴らしいと思う、九州大分出身のサウンドクリエイター。

清瀬さんが亡くなられた翌1982年4月2日に、東京文化会館大ホールにおいて、この偉大なる作曲家に対するオマージュとして行われたコンサートを収録したLPは、僕が長きにわたって大切にしているものだ。

新交響楽団、指揮・芥川也寸志、そしてピアノ・林光という、それぞれがサウンドクリエイターとして傑出したふたりのアーティストによるタッグパフォーマンスは、音が天空を舞うように、そして海底を彷徨するように、一切の小細工のない、真のエネルギーとエモーションに満ちたオーケストラの調べとともに、みずみずしい清涼感をともなって胸に迫ってくる。

このようなコラボレーションは、現在ではもう考えられない。

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これは、来年1月26日の東京麻布十番「富麗華」特別会場におけるコンサートで、清瀬保ニさんへのオマージュとして初演する最新作「HIMIKO 卑弥呼」の自宅制作動画。

当日歌っていただく黒川泰子さんに、全体がどんな感じか見てもらう用途のものなので、ラストは僕が、ギターをプレイしながらソプラノもどきで歌っている💦

もちろんこれは、一般非公開ビデオですが、良いと思っていただけるのなら、上記リンクでどなたでもご覧いただけます❤️

しかしこういうものを、スタジオなどにゆくこともなく、また専門屋さんに依頼することもなく、全て自宅でできるようになったのは、今さらながらにiPhoneとソフトウエアの進歩のおかげです😊

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実は僕は、長い間、‘邪馬台国九州説’をサウンド化したいと思っていたが、なかなかアイディアが出ずにいた。

それが数日前、本当に久しぶりに清瀬さんのレコードに針を落としたところ、“これをヒントに「卑弥呼」を作りなさい”というグラン・マエストロの声が聞こえた気がして(ホントです❣️)、僕は2日で、まずこの最新作の「ベースになる音」をクリエイトことができた。

また、ギター音楽としてのみでなく、ひとつのエンターテインメントとしてパンチのあるものにするためにアイディアを練っていたところ、またまた“万葉集を読みなさい”という清瀬さんの声が聞こえ、結局僕は、たった3日で全てを仕上げることになる。

大和には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天の香具山(あめのかぐやま)
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙(けぶり)立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ 秋津島 大和の国は

「国見の歌」は、舒明天皇が詠んだものだが、奈良の都大和国のことを謳っているという説が一般的だが、いや、これは一国家の代表として、理想の島国を夢見ての心持ちなのだという説もあり、さらにまた、詠まれている言葉の端端から、現在の九州に位置した邪馬台国を謳っているという臆測の声も、少なからずある。

僕はミュージシャンであって、学者でも研究者でもないので、あまり史実にこだわることはしない。
こういったモティーフのものを作る際、あまり史実にこだわると、かえってインスピレーションが曲げられてしまうことが多々あり、信憑性は低くとも、そう信じた方がロマンティックであり、イマジネーションの翼を拡げやすいほうを選ぶ。

「邪馬台国九州説」は、僕の最大のインスピレーションなのだ。

清瀬保ニさんが、邪馬台国九州説をとなえておられたのかはわからない。

しかし、この優れたサウンドクリエイターが、彼が生を受けた九州の大地の下に眠る、なにかとてつもない振動や鼓動を感じて、あの、古来日本が持っていた躍動感と情感に満ちた「音の洪水」を想像していたことは間違いない。

1月26日「富麗華」公演。

第二部メインのスペインの鼓動、アントニオ・ガデスへのオマージュへとコネクトさせる前半クライマックスとして、黒川泰子さんとともに、僕は「卑弥呼」を、いまは亡き日本の大作曲家のために、心を込めて演奏する。

Last Samurai・高祖父を偲ぶ旅

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来年1月26日の東京公演翌日、とてもやりがいのある仕事の打ち合わせのため、僕は、山形県の高畠という土地を訪れます。

これに際し、このプロジェクトのセットアップをしてくださった、当日東京から同行してくださる応援者の方のご厚意により少々寄り道、僕の先祖所縁の、壮麗極まる会津若松城を初めて訪れる運びとなりました。

僕の高祖父(ひいひいおじいさん)は会津藩士でした。

幕末、年齢が少し上だったせいなのか、決死隊には入れず江戸に落ち延び、そこで彰義隊士となって最後まで戊辰戦争を戦った「ラストサムライ」でした。

眉目秀麗の美男子で、生来女性に好かれる❤️資質を備えていた高祖父は、いよいよ自決かという間際に逃げ込んだ国学者の屋敷の娘(僕のひいひいおばあさん)にゾッコン気に入られ、めでたくお輿入れとあいなったそうな。
そのときその家に行かなければ、いま僕はこの世にいなかったわけです。

僕が古きものに固執し、きわめてアナーキーな人間になったのは、この高祖父のDNAによるものでしょう。今でも僕は「尊王」ではなく「佐幕」的。

1月末の鶴ヶ城は、もしかしたら写真のような白銀の姿を見せてくれるかもしれません。

僕の髪はいま伸びて、浪士のような「惣髪(そうはつ)」ですが、いまの僕を高祖父が見たら、“貴様如きわしの足元にも及ばぬわ”と笑い飛ばすでしょう。

Happy Halloween 🎃👻🧟❣️

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今年、初めてハロウィン当日のニューヨークの通りに出てみたが、🎃バケツを手にした子供たちが店に入ると、店の中でちゃんと(ときに仮装した)担当の女性たちがお菓子を持って待っていて、それがすごく良かった。

ハロウィンは、かつてケルト教の大晦日(10/31)の日に、日本のお盆にあたるような、先祖の霊を迎える習慣があり、のちにキリスト教が、それを万聖節(11/1)の1日前のイベントとして取り込んだのが起源と言われている。

死者の装束をまとったこどもたちが、祖先の霊を運んでくるかのように家々のドアをたたいて訪れて回ると、なかのものたちは、それをあたたかく迎え、用意した「ソウルケーキ」と呼ばれたお菓子でもてなした。この習慣を「ソウリング」と呼び、これが現在のハロウィンのもとになっている。
このソウリングを幻想的に歌にした「A soalin’」という、ピーター・ポール&マリー(メアリー)」の傑作曲があり、僕は中学生のとき、このナンバーの印象的なギターフレーズをレコードから耳コピーし、いつも弾いていた。

というわけで、ハロウィンは単なる仮装どんちゃんパーティーではない。遥かケルトの時代に起源を持つ(イギリスの伝統を正統的に受け継ぐ)アメリカの「よき文化」であることを、この日あらためて知らされたような気がした。

僕はつねに、アメリカから学ぶ。