今秋11/13、東京カテドラル聖マリア大聖堂に響く「ルルドの聖母マリア」三部作

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今秋の東京二公演の皮切り、11月13日、東京カテドラル聖マリア大聖堂リサイタルにおいてプレイする、今年の一月に同大聖堂をリハーサルのため訪れた際に霊感を受けた「ルルドの聖母マリア三部作」。

バッハの名曲「プレリュード(無伴奏チェロ組曲第2番)」に独自のアレンジを施し、さらにインプロヴィゼーション展開を付け加えた、「Introduction 序奏」、「Immaculate Conception 私は無原罪の御宿り」、そして「The Fountain of Our Lady 聖母の泉」の3部構成による大作ソロは、かつてピレネー山脈の麓の小さな町ルルドに暮らす、貧しい羊飼いの少女ベルナデッタ・スピルーの前に現れた、聖母マリアの声と魂をギターに宿すものだ。

この曲が生まれたのは、単なる偶然ではない。
これまでの長い長い、ただ「心の眼だけを頼りに歩き続けた道」が導いてくれた、僕にとって最終ゴールと言えるだろう。
長きに渡ってともに歩いてきたアルゼンチン。
その大使館による後援も、僕にとって大きな意味を持つ。

11月13日、東京カテドラル聖マリア大聖堂リサイタル。

公式告知はまもなく開始予定🗓️

Nuestra Señora de Lourdes en NY ニューヨーク郊外の「ルルドの洞窟の聖母マリア」

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Visitando a la Nuestra Señora de Lourdes en Nueva York para pagar respeto al estrenar ‘Inmaculada Concepción’ mi obra nueva, en la Catedral de Santa María en Tokio el jueves, 13 de noviembre de este año.

1858年2月、フランスの小さな町ルルド(Lourdes)の洞窟に現れた、奇跡の聖母マリアを尊ぶ、それは美しい教会がニューヨーク郊外のマサピクアという町ににある。

自宅からハイウェイを約50キロ、東京に置き換えて考えると、鎌倉あたりにゆくような感じ…

今年11月13日、東京カテドラル聖マリア大聖堂リサイタルにおいてプレイする「ルルドの聖母マリア」は、僕が長きに渡って追究してきた「無伴奏ギター」の集大成。もはや小手先のテクニックだけではサウンドにならない。

“私は無原罪の御宿り”と言って、羊飼いの少女の前に姿を現した聖母の声が、願わくばギターに宿ってくれるよう、美しい4/17午後のひととき、まさに心が洗われるような(教会内のパティオに作られた)聖母と少女のモニュメントを訪れた。

パティオへは、日中誰でも自由に入ることとができ、とてもオープンな雰囲気。
七輪あたり持ち込んで、“日本人でござい“とばかりに🐟を焼いたりすればさすがに「コラ!」ということになると思うが、🍙数個パクパクくらいならおそらくだいじょうぶ👌

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El collar que me llevo en mi cuello, es un precioso regalo de una gran admiradora, que conmemora a los 100 años de Nuestra Señora de Lourdes. No sé donde lo consiguió, pero es un diseño extraordinario.

La agradezco profundamente❤️

これは、あるファンの方からのプレゼントで、ルルドの聖母100年を記念する、ちょっと類を見ないデザインのネックレス。

11/13、東京カテドラル聖マリア大聖堂での「無原罪の御宿り ルルドの聖母」初演時には、もちろん着用してプレイします❤️

「無原罪の御宿り」ルルドの聖母マリア、そして丹下健三さんに捧げる「無伴奏ギター」in 東京カテドラル公演

僕は、プロテスタントに基づく青山学院初等部の教育を受ける前、駒場枝光会というカトリックの幼稚園を卒園した。

それにより、プロテスタントとカトリックのどちらもリスペクトして信仰している。

11月13日に予定されているコンサート会場の、東京カテドラル聖マリア大聖堂の駐車場の傍らに、素晴らしいルルド(フランスのルルド地方に住む羊飼いの少女の前に姿を現し、“私は無原罪の御宿り”と名乗って奇跡を齎した聖母マリアを記念する洞窟)があり、今年の一月、会場下見に訪れた僕は、まずこの「ルルド」に駆け寄った。

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“無原罪”というのは、聖母マリアがイエス・キリストを身ごもった際、彼女自身にもあった(アダムとイヴに遡る)、人間がそもそも持つ罪が、天によって許されたことを意味するカトリック教義。

聖母に出会った少女は貧しく、ろくに読み書きもできないような状況で、はじめのうちは、教会関係はじめ大人たちの信用を全く得られなかったが、聖母が彼女に対し、自身を「無原罪の御宿り -Immaculate Conception-」と名乗ったと明かしたことで、全ての土地の民の信用を得ることとなる。

これは、およそ教育を受けていない子どもの口から出るような言葉ではなかったからだ。
そのときの民衆の驚きと言ったら、まさに想像を絶するものだっただろう…

少女マリー・ベルナデット・スピルーは、そののち修道女となり生涯天に身を捧げ、その死後、列福・列聖された。

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おそらく東京カテドラル公演のハイライトは、僕独自のアイディアによる、バッハの優れた器楽曲をギターにアレンジ、後半インプロヴィゼーション展開させる「無伴奏ギター」の第4番。
僕が心酔する「無伴奏チェロ組曲第2番プレリュード」が母体となっていて、僕はこのアレンジをとても気に入っている。

バッハの、特にケーテン時代に書かれた様々に器楽曲は、まさにミュージシャンがミュージシャンのために書き残してくれた「最高のプロトタイプ」。

僕は今後も「無伴奏ギター」のクリエイションを続けるつもりだ。

我が国が今も世界に誇る建築家・丹下健三さんがクリエイトした東京カテドラル聖マリア大聖堂は、まるでルルドの洞窟がそのまま巨大な聖堂になったかのような、清らかさと壮大さが同居する、まさに美の極致と呼べるスペース。

健三さんは敬虔なカトリック信者であったそうだが、このような感覚を持ったアーキテクトは、二度とこの世に現れることはないだろう。

下記、僕が撮影した写真のカテドラル外観は、なにやら「違う惑星のエルサレム」にいるような気持ちにさせてくれる。

この旧時代建築への深い理解と愛、そしてそこに加わった宇宙的ともいえる斬新な感覚は、どんな言葉を用いたとしても、丹下健三さんの素晴らしさを表現するのに充分とはいえない。

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僕は虎ノ門生まれの原宿・渋谷育ち。

青山学院初等部時代は、やはり丹下健三さんクリエイトによる、圧巻デザインの代々木オリンピックプールの水泳教室に通って、メキメキと水泳の腕をあげた。

蛇足だが、この水泳教室のスパルタぶりと言ったら凄まじかった。

望月さんという、若い気骨漢インストラクターで、何度ビート板でぶっ叩かれたかわからない。
息が続かなくなってヘリにつかまって休もうとすると、プールサイドの上から「この野郎❗️」と叫び、その手を容赦なくビート板で打ち❗️❗️水のなかに叩き込んだ❗️❗️❗️

まさに地獄の「虎の穴」水泳教室…

ただしちゃんと泳げたときは、「史朗!やったな!」と、満面に笑みを湛えて心から喜んでくれた。
子どもの教育に対し、確固たる信念と自信があったのだろう。

いまの日本に必要な教育者だったと思う…

また、青学といえば「絵に描いたような」おぼっちゃま学校のようだが、どうして学校へは、毎日平手ビンタを食らいに行ってたようなもの。
ハイソックスとコートは着用許可されていたが、生徒は真冬でも半ズボン、スカート装束が義務付けられ、もしも🚙で送ったりするところを見つかると厳重勧告・処罰を受けた。

当時僕は、初台坂下というバス停から🚌に乗って渋谷駅南口までゆき、そこから雨の日も風の日も、渋谷警察の横を通って六本木通りの坂を登って通学していた。

通学全所要時間は約1時間。
からだが丈夫になったのは言うまでもない❤️

当時の青山学院初等部は、キリスト教に基づく新しいものの考え方と、古い日本古来の軍隊教育のようなきびしさが適度にブレンドした、とても良い学校だった。

11月13日木曜日、東京カテドラル聖マリア大聖堂。

「無伴奏ギター」がどのように響くのか、今から楽しみにしている。

Hiroshima Requiem 8.06.45 濱田滋郎さんに捧げる無伴奏ギター「ヒロシマ・レクイエム 8.06.45」

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Junto a Jiro Hamada (1935-2021), el preeminente experto de la música clásica e iberoamericana, y el más gran amigo de Atahualpa Yupanqui en Japón. Jiro-san era un traductor de ‘Cerro Bayo’.

Recién he completado un nuevo tema ‘Hiroshima Requiem 8.06.45’ para estrenar en noviembre. Me siento poco triste que ya no existe el hombre que comprendería mi nueva obra más que nadie, pero la interpretaré sinceramente como un homenaje a Jiro-san, el más Yupanquiano japonés.

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僕の音楽の良き理解者であった、最高の音楽エキスパート、濱田滋郎(はまだじろう 1935-2021)さんと、現代ギター誌主催の誌面対談後のスナップ。

僕は数日前、長きに渡って追求してきた、バッハの作品をプロトタイプとして独自のアレンジを施した”無伴奏ギター“による新作「ヒロシマ 8.06.45」を完成させた。

おそらくこの曲を、あらゆる角度から心ゆくまで話し合えたのは濱田滋郎さん以外にいない。誰よりもこの曲を聴いていただきたかった人物が、すでにこの世を去ってしまわれたことが本当に残念でならないが、11月9日、山形県高畠の、滋郎さんのお父様であった、日本を代表する童話作家、はまだひろすけさんの記念館ホールにて行う二公演で、僕は万感の思いとともに、この作品を日本一の「ユパンキアーノ」へのオマージュとしてプレイする考えでいる。

「ヒロシマ・レクイエム 8.06.45」は、バッハの「プレルディウム(無伴奏チェロ組曲V)」の中間部を大幅にアレンジし、テニアン島米軍基地を飛び立ち、広島に向かうB-29爆撃機「エノーラ・ゲイ」のエンジン音やプロペラ音、そして戦慄的な飛行音などをギターで表現している。決して“独奏ギター”曲ではなく、僕独自の“無伴奏ギター”曲。

現在ワシントンD.C.の航空宇宙博物館別館に「エノーラ・ゲイ」が展示されている。“無伴奏ギター”初演に先がけて、4月末に(往復9時間かけて)見にゆく考えでいる。

Gracias a la embajada argentina de nuevo 11/13東京カテドラル聖マリア大聖堂リサイタルはアルゼンチン大使館後援を受けて

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De nuevo, con el amable auspicio de la embajada argentina daremos mi recital en la catedral de Santa María en Tokio (13/11/25).
Agradezco profundamente al sr. Embajador, y a las personas de la embajada por sus dulces ayudas como siempre.

僕のキャリア上おそらく最大の意義を持つこととなる、今秋11/13東京カテドラル聖マリア大聖堂リサイタルは、東京のアルゼンチン大使館の後援とともに行う運びです。

この場をお借りして、アルゼンチン大使はじめ、大使館の皆さまに心からの御礼を申し上げます。

ニューヨークは昨日、気持ちよい春の陽気でした。左後頭
部から、左アゴと首にかけて出てしまった帯状疱疹のおかげで床屋さんに行けず、ここしばらく自分でバリカンを使って刈っていましたが、全てきれいに消えてくれたので、数日前ついに💈✂️😊。

近年まれに見る短髪とあいなりました😆

アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界

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