ニューヨークのもっとも大きなイヴェントのひとつである”ブラック・ヒストリー・マンス”の一環として、2月26日木曜日の夜、満場の聴衆を集めたカーネギー・ワイル・リサイタルホールにおいて、40年の歴史を持つ、ニューヨークシティー・ハウジング・オーソリティー・シンフォニーの生え抜きのメンバーで構成された室内楽アンサンブル公演が行われました。
今回、このコンサートにスペシャル・ゲストとして招待を受けた私は、第一部のクロージング・アクトとしてアタウアルパ・ユパンキの傑作ナンバー”栗毛の馬”、そして私自身の作曲によるギターソロ”ラ・サンティアゲーニャ”を披露。
鳴り止まぬ満場の喝采のあと、異例のアンコールに応え、エイトル・ヴィラ=ロボスの不朽の傑作ソロ”前奏曲第4番~ブラジル先住民へのオマージュ”を演奏しました。
(写真上)美しいシャンデリアがトレードマークのカーネギー・ワイル・リサイタルホール
(写真下)オリジナル・ギターソロ、”ラ・サンティアゲーニャ”を演奏。
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この素晴らしい公演において、バッハ、ブルック、ドボルザーク、そしてブラームスといった大作曲家の名とともに、演奏家兼作曲家として私の名前がプログラムにクレジットされたのは、本当に名誉なことでした。
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‘ラ・サンティアゲーニャ’をリハーサル中の私の後で、リズムにあわせてダンスする、コンサート主催者のジャネット・ウォルフさん。
彼女はなんと94歳(!)の高齢ですが、”ニューヨークシティー・ハウジング・シンフォニー”を40年にわたってリードしてきた、現在も信じられないくらい健康でしっかりした女性です。
ニューヨークにおいて、たいへん幅広い交遊関係をもつ名士で、かのジョージ・ソロスが毎年彼女のためにバースデイ・パーティーを催すとか。
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そのジャネットさんが、今回、東京に暮す母をコンサートに招待してくださり、私もようやく少々親孝行ができました。
ホールのステージ上でポーズ。
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身体の中に、他の民族では決して真似することのできないリズム感と、独特の力強いエネルギーをもつアフリカン・アメリカンの優れた器楽奏者たちの魂がこめられた演奏のあとで第一部を締めくくる役目として登場し、たった二曲で、二階席までびっしり埋まった聴衆すべてをノックアウトするのは決して容易なことではありません。
私は今回、かなりの時間をかけて、ユパンキ作品のインタープレテーションに熱を注いできましたが、きっとユパンキも天国から応援に来てくれたのでしょう。
ラスト、公演すべてが終わったあと、ゲスト・アーティストとしてアンコールでヴィラ=ロボスを演奏する段取りになっていたところが、第一部のエンディングですでに拍手が鳴り止まぬ事態(?)となり、異例の第一部アンコール演奏となりました。
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公演後のレセプションにて。
聴衆のなかには、もちろんラテンアメリカの人々もたくさんいて、多くの人々が私の演奏するユパンキに感激してくれました。
この方たちは、ホンジュラスのご家族。
2002年に行ったテグシガルパでの公演時の話に花が咲きました。
ホンジュラスは、数あるラテンアメリカ諸国のなかでも、もっとも女性が可憐で美しい国です♥♥♥。
“ニューヨークシティー・ハウジング・オーソリティー・シンフォニー”のメンバーたちと。
近い将来、彼らとのコラボレーションも必ず実現するでしょう。
私のパフォーマンスに大満足といった表情のジャネット・ウォルフさんと母。
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私はこれまで、別にカーネギーのステージで演奏することを目標として音楽活動をしてきたわけではありません。
私にとってユパンキの芸術を追い求めることはすなわち”カミノ(道)”であり、今回のコンサートは、その過程において出会った美しい”ピエドラ(石)”のひとつだと思っています。
しかし、音楽家なら誰しもがあこがれるこの会場で、このような素晴らしいオーガナイズのもとできちんとした出演料を受け、満場を埋めた聴衆を前に演奏を行い、そのうえ家族まで招待していただいたというのは、本当に幸運なことでした。
母とともに過ごしたニューヨークの時間とともに、私は今回のこの公演のことをずっとわすれることはないでしょう。
この場をかりて、いま一度関係者の皆様に心より御礼申し上げます。