Recuerdo de México II

メキシコの思い出 II

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メキシコシティーの中心部、ソカロ地区に位置し、現在美しい博物館を併設して、毎日のように世界中の観光客を魅了するアステカ最大のピラミッド神殿遺跡”テンプロ・マヨール”。
これは公演前日、会場の下見を行った際のスナップです。
この日は休館日。
私は幸運にも、まったく無人の”テンプロ・マヨール”を貸切状態で楽しむことができました。

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今回のツアー中、滞在させていただいたのは、メキシコシティーの最高級ホテル、”ニッコー・メキシコ”。
33階の部屋の窓からは、市内と、メキシコのセントラルパーク、”チャプルテペク公園”が、きれいに見渡せました。
メキシコシティーは、まわりを4000メートル級の秀峰郡にグルリと囲まれた盆地ですが、もっとも底にあたる部分でも、なんと海抜2200メートルの高地。
そこへきて33階の部屋ともなると、さすがに最初は少々息が切れました。

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エッ?マフィアのボスとその舎弟?
いいえ、実は彼は日本大使館のドライヴァー。
素晴らしいジェントルマンでした。
写真は、メキシコの中心部、ソカロの広場です。
14年ぶりのメキシコは、見違えるほどきれいに整備されていて驚きました。

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あまり自慢できるような話ではありませんが、私にはかつて、アメリカの永住権を取得する以前、違法オーヴァーステイをしてアウトローになるのをギリギリで避けながら、米国滞在期限を延長するため一時的に国外に出ることをくり返していた時代がありました。
そんなときによく逃げ込んできた(?)のが、隣国メキシコです。
ここへ来ると、一週間ほど知り合い(私に名刺を渡したら最後-その瞬間からアミーゴですのでお気をつけください)のところに潜伏(??)しては、またニューヨークに戻るという、それは今思うと、けっこう危ない橋渡りでしたが、”テノチティトラン”は、そんななかで生まれた作品でした。
思えばこの20年、いろいろなことがアメリカでありました。
今回、移動の際の大使館車の車窓や、ホテルの窓からメキシコ市内を眺めながら、私はそのひとつひとつを思い出していました。

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公演前、駆け足で市内の民芸品市場にむかい、おみやげを物色。

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小野正昭駐メキシコ日本国大使(写真むかって右)と、大野正義日本大使館広報文化センター所長と、市内メキシコ料理店にて。
このおふたりのご尽力がなければ、私がメキシコで”テノチティトラン”を演奏することなど、到底叶うはずもありませんでした。

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”テノチティトラン”は、今回のギター二台によるアレンジをさらに膨らませ、小編成オーケストラ(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、オーボエ、フルート、ホルン、ファゴット、パーカッションetc…etc…)および混声合唱を加えた改訂版を現在アレンジ中。
すでにほぼ完成しており、あとは膨大な量となる楽譜仕上げの作業が残るのみとなりました。
私の作曲および編曲作業は、聴こえた音をもとに最初から最後まですべて頭のなかで行い、楽譜にするのはすべてが完成したあとになります。
上記の楽譜は、二台のギターによる伴奏をバックに、オーボエとフルートが主旋律を奏する第一楽章のはじめの部分です。

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多くの人々のご理解とご協力によって実現した、今回のメキシコ公演。
それは、いまからちょうど400年前に生まれた日本とメキシコの素晴らしい友情を祝う、私にとってたいへん名誉な演奏の機会でした。
私は明日からまた、今回のこの経験を糧として、さらに精神面をピュアーに保ち、そして身体を鍛え、神のみが知る次なるムーヴにそなえながら道を進んでゆくでしょう。
そして、もしもその道のりを行く上で、アステカの月の女神”コヨルシャウキ”がふたたび微笑んでくれるならば、私はまたこの美しい国に、きっと戻ってこられると信じています。

“¡Adiós México! ¡Hasta Pronto!”
”さらばメキシコ!また会う日まで!”