La Partida Nueva – 新たなる出発

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1997年頃から、私独自のアイディアとともに研鑽を続けてきたバッハの音楽のインタープレテーションは、去る11月16日、多くの方々のご協力によって実現した銀座ヤマハでのライヴの際、クライマックスにてプレイした’シャコンヌ’により、この5年間のとりあえずの終止符を打つことができました。
清水永二さんの卓越したフレームドラムのサポートを得て、スペクタクル性を加味した’マヤ風シャコンヌ’は、きっと皆様に楽しんでいただけたことでしょう。
このライヴは、成功をおさめたといって間違いないと思います。


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しかし、ひとつの二時間のライヴのなかで、ヴィジュアル性を強調した新解釈による’シャコンヌ’が、では第一部で演奏したオーセンティックなユパンキのレパートリーと完全な融合をみたかというと、それは決して100パーセントワークしたとは思えず、これは私にとって、新たな課題を残すものとなりました。
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今回、ライヴ時に、受付で皆様がごらんになったユパンキのCDは、彼の没後20年を記念して、私が日ごろお世話になる音楽ジャーナリストの竹村淳さんが、ユパンキの絶頂期といえる1950年代の音源を編纂して特別制作なさった珠玉のようなアルバムですが、残念なことに、素晴らしい内容にもかかわらずセールス的にかなり困難な状況なため、今回のライヴ会場における販売の依頼を、竹村さんご自身から事前に受けていたものです。
結果、このCDは、私のライヴ会場でもほとんど売れることはありませんでした。
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今回、大恩人である大根田勝美さんのご尽力により、日本でも正式に後援会が発足する運びとなり(現在、専用ホームページを準備中)、今後は、まったく新たなフィールドにおいても、自分の可能性を模索してゆくことになるでしょう。
そんな中で私は、ここでいま一度、私を少年時から支え続けたユパンキの音楽とふたたび向かい合い、何年かけてでも、これから創ってゆくことになる新たな私の個性と、巨匠の芸術の完全な両立を目指して進んでゆく覚悟を決めました。
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私にはメンデルスゾーンのような才能はあるとは思えませんが、かつて彼が、多くの反発や非難のなかで、絶滅しかけていたバッハの音楽を、かの’マタイ伝による受難曲’を初演することによって蘇らせたように、私もここでさらにユパンキの音楽への理解を深め、ただ彼の音楽を彼が弾いたようにプレイするというのではなく、なにか新たな手段によって、巨匠の精神性と自分自身のそれとを反映できるアプローチを行ってゆきたい考えでいます。