¡Hiroshima! La Ciudad Que No Olvido ヒロシマ-忘れえぬ町

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Mi interpretación en vivo de ‘¡Hiroshima! La Ciudad Que No Olvido (letra / Atahualpa Yupanqui, música / Shiro Otake)’ fue grabado en el junio, 2018, durante el concierto especial en ‘Asuka II,’ el mejor crucero en Japón.

My interpretation for ‘Hiroshima! The City I Shall Never Forget (lyric by Atahualpa Yupanqui, music by Shiro Otake)’ which was recorded live on June, 2018 during the special concert at ‘Asuka II,’ the best cruise ship in Japan.

アタウアルパ・ユパンキ詞、そしてぼく大竹史朗作曲による「ヒロシマ-忘れえぬ町」のライヴ録画。
昨年6月、日本の豪華客船クルーズ「飛鳥II」におけるコンサートのクライマックスとして演奏を行った。

自分は少年時、クラシックギターを鈴木巌先生に習っていた時代から、わりあい’トレモロ’を得意としていたが、ある日、ユパンキが、”俺はトレモロなんかやらないよ。俺はお百姓が弾くようにギターを弾くのさ。”と、語ったという話を聞き、それ以来、このギター独自の美しいテクニックを自分の音楽に使用するのをやめてしまった。

が、やはりトレモロはなんといっても他の楽器では表現できない、きわめて高い演奏効果があり、また、最近、自身の音楽がアラブとスペイン南部のほうに近寄っていることもあり(巨匠には失礼して)、昨年から自分の音楽に再び組み込み始めた。

この動画は、そのトレモロを20数年ぶりにステージで弾いたもので、軽快なサンバのリズムが4拍子にスローダウンする中間部、「中国地方の子守歌」にそれが聞かれる。
きれいに音は出ているが、そっちに集中しすぎたのか、イントロをどうしたことかスカーンといきなり忘れてしまい、最初の部分、うまくごまかしてはいるが、ちょっと指がもたついている。

ライヴではいろいろなことが起こる。だからやめられない。

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La poesía de ‘Hiroshima! La ciudad que no olvido’ que escribió Atahualpa Yupanqui con su pluma (original.) Es que este tesoro del mundo no está en mi casa en Nueva York. Está en un lugar más seguro en Tokio.

The original of ‘Hiroshima! The City I Shall Never Forget’ which Atahualpa Yupanqui wrote with his pen. As matter of fact, this historical treasure is not at my home in NYC. It’s in much safer place in Tokyo.

ユパンキの直筆による「ヒロシマ 忘れえぬ町」。
本来ぼくがニューヨークで保管すべきだが、実はぼくは、アルゼンチンの人々から(親しみを込めて)「グラン・オルビダリッソ(大忘れもの野郎)」との愛称まで頂戴したくらい、よくものを置き忘れたり紛失したりするので、こうした、決して自分のものだけとは言えない世界の宝をニューヨークの自宅に置いておくわけにはいかない。

この詩は現在、下記の公式の演奏許可状とともに東京のある場所に大切に保管されている。

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El febrero, 1992, en la villa de maria del rio seco, junto a (de izquierda) Don Francisco Benchetrit, mi papá argentino😊, y Sr. Roberto ‘Kolla’ Chavero, el hijo de Atahualpa Yupanqui.
Era un día más importante de mi vida…. El momento que nació ‘Hiroshima! La Ciudad que No Olvido’ oficialmente.

In February, 1992, Villa de Maria del Rio Seco, (from left) with Dr.Francisco Benchetrit (left,) my Argentine daddy😊, and Mr. Roberto ‘Kolla’ Chavero, the son of Atahualpa Yupanqui.
It was most important day in my life…. The moment of the birth of ‘Hiroshima! The City I Shall Never Forget’ officially.

1992年2月、アルゼンチン、コルドバ州北部の町、ビジャ・デ・マリア・デル・リオ・セコ。ぼくにとってまさに“アルゼンチンの父”であった、同町町長で医師の故フランシスコさん(左)と、ユパンキのご長男、ロベルト(愛称コージャ)さんと。
このおふたりのご理解とご尽力によって、この日、「ヒロシマ 忘れえぬ町」が公式に誕生した。
2枚目の写真にある文書は、ユパンキの書いた詩の原本とともに、いままで一度もインターネット上で公開したことのなかったもので、以下のようなことがスペイン語で記されている。

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コルドバ 1992年2月17日

大竹史朗様

敬意をこめて、

本状で大竹史朗氏に対し、アタウアルパ・ユパンキとして世に知られている私の父エクトル・ロベルト・チャベーロの書いた広島に捧げる詩を、曲とともに公式に演奏することを許可します。
1985年、父が私ロベルト・エクトル・チャベーロに委任した権限をここに行使します。

ロベルト・エクトル・チャベーロ

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音楽家として自分が優れているのではない。ただただ、自分を理解し、いまも見守ってくれているアルゼンチンの人々が、こうしていかにあたたかく、そして素晴らしいのかということに尽きる。