「無原罪の御宿り」ルルドの聖母マリア、そして丹下健三さんに捧げる「無伴奏ギター」in 東京カテドラル公演

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僕は、プロテスタントに基づく青山学院初等部の教育を受ける前、駒場枝光会というカトリックの幼稚園を卒園した。

それにより、プロテスタントとカトリックのどちらもリスペクトして信仰している。

11月13日に予定されているコンサート会場の、東京カテドラル聖マリア大聖堂の駐車場の傍らに、素晴らしいルルド(フランスのルルド地方に住む羊飼いの少女の前に姿を現し、“私は無原罪の御宿り”と名乗って奇跡を齎した聖母マリアを記念する洞窟)があり、今年の一月、会場下見に訪れた僕は、まずこの「ルルド」に駆け寄った。

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“無原罪”というのは、聖母マリアがイエス・キリストを身ごもった際、彼女自身にもあった(アダムとイヴに遡る)、人間がそもそも持つ罪が、天によって許されたことを意味するカトリック教義。

聖母に出会った少女は貧しく、ろくに読み書きもできないような状況で、はじめのうちは、教会関係はじめ大人たちの信用を全く得られなかったが、聖母が彼女に対し、自身を「無原罪の御宿り -Immaculate Conception-」と名乗ったと明かしたことで、全ての土地の民の信用を得ることとなる。

これは、およそ教育を受けていない子どもの口から出るような言葉ではなかったからだ。
そのときの民衆の驚きと言ったら、まさに想像を絶するものだっただろう…

少女マリー・ベルナデット・スピルーは、そののち修道女となり生涯天に身を捧げ、その死後、列福・列聖された。

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トップのリンクにあるギターソロは、僕独自のアイディアによる、バッハの優れた器楽曲をギターにアレンジ、後半インプロヴィゼーション展開させる「無伴奏ギター」の第4番。
僕が心酔する「無伴奏チェロ組曲第2番プレリュード」が母体となっていて、僕はこのアレンジをとても気に入っている。

バッハの、特にケーテン時代に書かれた様々に器楽曲は、まさにミュージシャンがミュージシャンのために書き残してくれた「最高のプロトタイプ」。

僕は今後も「無伴奏ギター」のクリエイションを続けるつもりだ。

我が国が今も世界に誇る建築家・丹下健三さんがクリエイトした東京カテドラル聖マリア大聖堂は、まるでルルドの洞窟がそのまま巨大な聖堂になったかのような、清らかさと壮大さが同居する、まさに美の極致と呼べるスペース。

健三さんは敬虔なカトリック信者であったそうだが、このような感覚を持ったアーキテクトは、二度とこの世に現れることはないだろう。

下記、僕が撮影した写真のカテドラル外観は、なにやら「違う惑星のエルサレム」にいるような気持ちにさせてくれる。

この旧時代建築への深い理解と愛、そしてそこに加わった宇宙的ともいえる斬新な感覚は、どんな言葉を用いたとしても、丹下健三さんの素晴らしさを表現するのに充分とはいえない。

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僕は虎ノ門生まれの原宿・渋谷育ち。

青山学院初等部時代は、やはり丹下健三さんクリエイトによる、圧巻デザインの代々木オリンピックプールの水泳教室に通って、メキメキと水泳の腕をあげた。

蛇足だが、この水泳教室のスパルタぶりと言ったら凄まじかった。

望月さんという、若い気骨漢インストラクターで、何度ビート板でぶっ叩かれたかわからない。
息が続かなくなってヘリにつかまって休もうとすると、プールサイドの上から「この野郎❗️」と叫び、その手を容赦なくビート板で打ち❗️❗️水のなかに叩き込んだ❗️❗️❗️

まさに地獄の「虎の穴」水泳教室…

ただしちゃんと泳げたときは、「史朗!やったな!」と、満面に笑みを湛えて心から喜んでくれた。
子どもの教育に対し、確固たる信念と自信があったのだろう。

いまの日本に必要な教育者だったと思う…

また、青学といえば「絵に描いたような」おぼっちゃま学校のようだが、どうして学校へは、毎日平手ビンタを食らいに行ってたようなもの。
ハイソックスとコートは着用許可されていたが、生徒は真冬でも半ズボン、スカート装束が義務付けられ、もしも🚙で送ったりするところを見つかると厳重勧告・処罰を受けた。

当時僕は、初台坂下というバス停から🚌に乗って渋谷駅南口までゆき、そこから雨の日も風の日も、渋谷警察の横を通って六本木通りの坂を登って通学していた。

通学全所要時間は約1時間。
からだが丈夫になったのは言うまでもない❤️

当時の青山学院初等部は、キリスト教に基づく新しいものの考え方と、古い日本古来の軍隊教育のようなきびしさが適度にブレンドした、とても良い学校だった。

11月13日木曜日、東京カテドラル聖マリア大聖堂。

「無伴奏ギター」がどのように響くのか、今から楽しみにしている。