「アランフェス協奏曲」と「番外地カラテ」

ニューヨーク5番街のど真ん中にあるトランプタワーの地階には、このような、時間と料金を全く気にせずくつろげる穴場的スペースがあり、僕はなにか話し合いを行う際、よくここに来る。

「アランフェス協奏曲」は、まだキーボードに対する決定的アイディアが出ていないが、必ずニューヨークライヴにふさわしい、独自の素晴らしいものにする考え。

僕は高校時代、如水松濤流の久保田紹山(くぼたしょうざん)大師範に、直接空手の指導を受けるという素晴らしい機会に恵まれ、今でもそのとき教えていただいた突きや蹴り、そして流れる水のような美しさ(如水)をもつ「型」を、少々自分でアレンジした修練を毎日続けている。

体に無駄な肉がつかないのはそのおかげ。
ニューヨークにそもそも来たのも、かつて紹山先生か受けた、僕の身体能力に対する一言のアドヴァイスが発端になっている。

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高校の空手クラブは、学校側として「同好会」扱いだったので、体育館の使用許可がおりず、僕たちの練習場所は、暑いときも寒いときも、常に屋外の、コンクリート敷きの「番外地」的場所だった。

そのとき、素足でコンクリートのうえを動き回って硬化したタコが、今でもそのまま僕の両足裏に残っている。

紹山先生は、そのような状況でも嫌な顔をいっさい見せず、自らコンクリートの上に立ち、熱心に僕たちの指導を行ってくださった。
素晴らしい方だった。

人間は本来闘争本能を持つ生き物なので、この世から戦いがなくなることはあり得ない。

しかし、相手から見えない、離れた場所から大量殺戮を行う銃器やミサイルは、最も卑劣な戦いの手段であり、これを許してはならない。
やるなら素手、もしくはせいぜいゲバ棒や鉄パイプあたりを武器に、正面切って正々堂々渡り合えばいい。
ゲバ棒や鉄パイプで殴り合っていれば、そのうち戦うことなどアホらしくなるだろう。

僕は、銃器や空爆による卑怯な戦いを心から憎む。
卑劣な暴力と破壊を行うものは、必ず同じ報いを受けて滅びる。