日本のラテンアメリカ番組での紹介 そして青の時代からキュビズムへ

***

ラテンアメリカに精通するベテラン・エキスパート・ジャーナリスト、伊高浩昭(いだかひろあき)さんが担当する番組で、たいへん大きな紹介を受けた。
この場を借りて、伊高さんに厚く感謝申し上げたい。

ぼくにとって、ユパンキの音楽とは、かけがえのない”基盤”であり、そしてひとりのアーティストのはしくれとしては”青の時代”を象徴するものだ。
これからは、魂の込められたユパンキのギター音楽を、自分なりに発展させた”キュビズム”をクリエイトしてゆくのが、僕の役目だと思っている。

これは、その”キュビズム”の第一歩的作品。

***

これは、ガルシア・ロルカの傑作詩集「ロマンセーロ・ヒターノ(ジプシー歌集)」におさめられた三篇の詩に霊感を受けて作曲したものを三部構成としてつなげたギターソロ絵巻。

小品の「ジプシーの尼僧」、中篇の「黒い悲しみのロマンセ」、そして、それ自体が三楽章形式を持つ大作「愛の死」を終曲として置いたものだが、いま僕は、ロックの女性歌手が歌う”賛美歌”風にアレンジを施す作業をしている。

第二次大戦終戦前後に生まれたイギリス人の若者たちはみな貧しく、その生活の中で、多くがアメリカの黒人たちのブルースを心底理解し、それが60年代半ばから70年代中盤にかけて開花したブリティッシュ・ハードロックへと展開した。

僕は今でも、この時代のイギリスのロッカーたちが、そもそも体に持っているキリスト教やケルト文化に、アメリカのブルースを取り入れ、ライヴステージではインプロヴィゼーションを重んじたプレイで20分、30分に渡るパフォーマンスを繰り広げたのが、世界最高の音楽だったと思っている。

エレクトリック・ギターに持ち替えたり、アンプでバカでかい音にしたりすることなく(そして決して時代錯誤にならないように)、僕はこれから、この70年代のロック最高の時代の雰囲気を自分の音楽に導入してゆくつもりだ。

日本にも、カルメン・マキのような芸術家女性シンガーがいた。

今の時代、もうこういうタイプのシンガーは決して多くないと思うが、こういった(ブラックレザースーツがバシッとキマるような)女性歌手を探すところから、僕の今後の音楽クリエイションは始まる。

***

これは、僕が子供の頃からずっと持っているLPレコードで、元ディープパープルのキーボードプレイヤー、故ジョン・ロードが、1974年、仲間のロッカーたちとともに、日本の”連歌(れんが)”をモチーフに作った、A面B面あわせて2曲のみの前衛ロック・ライヴ・スペクタクル・アルバム。

決して最高の出来ではなく(スミマセン)、すでに現在、この音楽の存在を知る人は殆どいないと思うが、いかにも当時の若い芸術家たちの、ひたむきな精神を偲ばせる発想がいい。