93年、アイスランド独立50周年記念コンサートに招かれました。
写真は、レイキャビックの大統領官邸での演奏のときのもので、右の女性は、ヴィグディス・フィンボガドッティル前アイスランド大統領です。
沈黙の大国 ー 脱カワズ宣言 ギターを抱いた新日本人
産経新聞
1993年2月20日
ウェストサイド物語に影響されてニューヨークに渡り、それがヒスパニックの移民たちのなかで徐々に音楽家として道を切り開いてゆくことになった展開が素晴らしくまとめられた、日本のメディアが私を取材したもののなかで一番好きな記事です。
ウエストサイド風の落書きの写真がいいでしょう?
コンサート会場のゲバントホール入口
コンサート前日。広島の素敵な女性たちにかこまれて思わずニッコリ
続きを読む 1992年 Hiroshima 忘れえぬ町 →
92年に、ユパンキが書いた詩に作曲をした ‘ヒロシマー忘れえぬ町’に対してユパンキ本人から正式な演奏許可をいただきました。
それを受けて広島の方々が、ニューヨークに渡った私を4年ぶりに帰国させてくれた、記念すべき日本でのデビューコンサート。
1992.11.12 ゲバントホール
続きを読む 1992年 Hiroshima 忘れえぬ町 →
追悼の一曲
朝日新聞 ‘きのうきょう’ 欄
1992年
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界