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大成功をおさめた東京二公演において、僕はいずれも三曲のアストル・ピアソラ・オマージュ・ギターソロ曲のプレイを行った。
全回ご紹介したのは、完全な僕のオリジナル作品の「ドブレ・アーの嘆き」。
今回は、ピアソラの名曲中の名曲「アディオス・ノニーノ」と、「天使のミロンガ」を自分でギターに編曲したものを最初にプレイ、そして後半、それらをインプロヴィゼーション展開させてオリジナルソロへとつなぐ、「天使のダンス三部作」を、ライヴ一発撮り、当日お客様が聴いたままの、完全無修正による生のサウンドをお楽しみいただければ嬉しい。
「ドブレ・アーの嘆き」もそうだが、僕はつねに、ひっそりとした森の中に、神秘的な泉のようにたたずむ「主題」が、じょじょに大きな波とともにエネルギーとエモーションを湛えながら、一切の反復形式を持つことなく展開し、8~9分ほどでクライマックスを迎えて終結する、そんなスタイルのソロのクリエイトを心掛けている。
その最高作品をクリエイトしたのが、スペインの不世出のプレイヤー、パコ・デ・ルシアだった。
彼が生前、ライヴの際にオープナーとしてプレイしたソロは、いくつかパターンがあったが、いずれも同じ展開を持った、一切の反復形式を持たない、まさに「カンテホンド(アンダルシア文化の根幹といえる“深い歌”と訳されるもの)の極地的インプロヴィゼーションで、それらは今も僕を心酔させる。
ピアソラ以外に、現在の僕のクリエイションを支えるガルシア・ロルカは、生前、カンテホンドとフラメンコの違いを問われた際、“現在歌い踊られているフラメンコは、カンテホンドの退化でしかない”という発言をした。
ロルカとフラメンコを決して結びつけてはならない。
僕は、カンテホンドの真髄は、南米、特にアルゼンチンに受け継がれていると信じている。
「天使のダンス三部作」は、もちろんピアソラに捧げたものだが、同時にこのナンバーは、フラメンコのスタイルを持たない、最高のギタープレイヤー、パコへのオマージュでもある。
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よく驚かれるが、僕は自分のギターソロ曲の楽譜を書かない。
もちろんこの「天使のダンス三部作」も、前記の「ドブレ・アーの嘆き」も、楽譜は存在しない。
上記の写真は、親しいニューヨーク在住の書道家・院京昌子(いんきょうまさこ)さんと、クイーンズのコーヒーショップでのひととき。
この日彼女は、僕に、書の道をゆくものの大切な心得のひとつである、「連綿(れんめん)」という言葉について語ってくれた。
それは文字と文字の間を紡ぐ筆の、言葉や理屈で表すことのできない真空的極意だが、僕が自分のギター曲を楽譜に書かないのも、まさにそこにある。
楽譜では書き表わすことのできない、音と音の間の「連綿」。
この日はいい話を聞けて本当に嬉しかった。僕はいつも、この素敵な女性から多くを学ぶ。
来年1月26日に決定している東京公演も、彼女が素晴らしい「連綿」によるパブリシティ用のタイトル題字をプレゼントしてくれた。
この場を借りて、院京昌子さんに心から感謝の意を表します。