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ガソリン補給❤️
(8/11撮影)
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11月13日に、世界平和を祈念して行う東京カテドラル聖マリア大聖堂公演において、僕は「ヒロシマ・レクイエム」と副題をつけた、オリジナルアレンジによる「プレルディウム(プレリュード)/無伴奏チェロ組曲第5番」を初演する。
これは、バッハの名曲の中間部に大幅なインプロヴィゼーションを施し、日本時間1945年8月6日、プロペラとエンジンの爆音をあげながら広島に飛来するB29爆撃機「エノーラゲイ」の戦慄的な姿。ピカっと光ったのち一瞬で消え去った街、焼けただれた大地を濡らす黒い雨、そしてやがてどこからか聞こえる鐘の音…
そんな光景を、バッハの音楽で表現した、ひとりのギタープレイヤーとしての僕のすべてをぶつけるナンバーになるだろう。
トップ写真は、ニューヨーク・クイーンズ区の、ラテン系移民の多いエルムハーストというエリアにある、この界隈の守り神のような美しい聖母マリア像。
四年前、パンデミックと人種問題によってニューヨークが大荒れに荒れた際、胸部から脚にかけて、どこかのうつけ者が黒スプレーで悍ましい破壊行為を行い、大きなニュースになったが、昨日訪れたところ、すっかり元通りにきれいに修復されていた。
生誕からすでに100年以上が経つという聖母像。
そばに近づくと、まるで生きていて、息をしているのが聞こえるような気がする。

エルムハーストに限らず、クイーンズには、僕が渡米した頃のゴチャゴチャした東京のドヤ街のような感じの界隈が多くあり、なんとなく懐かしい。

これは、やはりクイーンズの、負けずに下町ムードいっぱいのサニーサイドというエリアにある、僕が顔馴染みのドライブイン食堂(エクアドル人経営)。
ここのハンバーガーは、値段、味においてニューヨークNo.1。
クイーンズはマンハッタンのようにファンシーではないが、“移民による移民のための”本場のエスニック料理店が多く、真のグルメは、「味はクイーンズにあり」とばかりにわざわざ川を渡って来るという。
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僕は、虎ノ門生まれの渋谷育ちという生粋の江戸っ子。
クイーンズは、住民に熊さんはっつぁん的な生粋ニューヨーカーが多く、住み心地が悪くない。
話がかなりとんだが、下記は、3か月前に公開したばかりの、自宅練習の音源にイメージ写真などをここかしこに加えてビデオ化したもの。
音は良くないが、だいたいの感じはおわかりいただけると思う。
いまニューヨークは、8月5日の夕刻7時15分(日本時間6日朝8時15分)。
人類が2度と繰り返してはならない惨劇から80年が経過した今、この新しいギター音楽とともに、改めて世界平和を祈りたい。

ミュージシャンという仕事を続けていると、やはりどこかで妥協する部分も出てくる。自分はそれでも、妥協を殆どストレスにすることなく活動してこられたことを幸せに思っているが、今秋11月の日本での4公演(浜田広介記念館ホール9日<2公演>、東京カテドラル聖マリア大聖堂13日、六本木Key Stone Club16日)は、自分自身が貫いてきた、一切の妥協を伴わない、全くよどみのない信念が、そのままギターサウンドとなって響き渡る、真に実現を願い続けてきたコンサートになると信じています。
写真は、7月30日が31日に変わろうとする深夜のニューヨークシティ。そろそろ眠りにつこうとするストリート。
自分はいま、全ての面において最高に近い状態になっていることを、この三枚から感じていただければ嬉しいです。

改めてこの場を借りて、全ての関係者、そして応援者の皆さまに心からの感謝の意を表します。

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僕は本をたくさん読む。
これは、もう今から45年前に出版された、山折哲雄さんという方が書いた「インド・人間」という本だが、不勉強にもつい最近はじめて手にする機会を得、その内容に深い感銘を受けた。

特に、ヒンドゥーの女神カーリーについてのくだり(全体のなかでほんの1ページにしかすぎないにも関わらず)がとても興味深く、来年「卑弥呼」という新作を初演する自分にとって、カーリーとの出会いは、願ってもない、卑弥呼との絶好のコントラストを成すコネクションピースになるかもしれない。

この本を読む前に、実は、ニーチェの思想を根底に置きながら、キリスト教とユダヤ教が世界支配する悍ましいカラクリを、対談形式によってひもとく、2007年に出版された書籍を読んだ。
対談をするふたりは秀才で、確かに経験、知識ともに豊富だと思う。ところが、なぜかこの山折哲雄さんが書いたもののように自然に入ってこない。どこか本質性を欠いているのかもしれない…

文学にしても芸術にしても、何にしても今この世の中は下降線を辿る一方だ。
女神カーリーの音楽がどのようなものになるかわからないが、自分はこの山折さんのように、常に本質をつくものでありたいと思う
