沈黙の大国 ー 脱カワズ宣言 ギターを抱いた新日本人
産経新聞
1993年2月20日
ウェストサイド物語に影響されてニューヨークに渡り、それがヒスパニックの移民たちのなかで徐々に音楽家として道を切り開いてゆくことになった展開が素晴らしくまとめられた、日本のメディアが私を取材したもののなかで一番好きな記事です。
ウエストサイド風の落書きの写真がいいでしょう?
追悼の一曲
朝日新聞 ‘きのうきょう’ 欄
1992年
ヒロシマ…忘れえぬ町
ユパンキの詩を翻訳・作曲
中国新聞
1992年8月15日
心の師・ユパンキしのびコンサート
毎日新聞 ‘ひと模様’ 欄
1992年
アルゼンチンに聴いた音 日本人青年の挑戦
スポーツニッポン
1991年、3月26、27、28日(日本のメディアにおける初記事)
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界