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アタウアルパ・ユパンキ基金

表彰メダル

ニューヨークに、アルゼンチンやペルー、エクアドル、コロンビアなどのラテンアメリカの人々で構成される‘アタワルパ・ユパンキ基金’という非営利団体があり、毎年ユパンキの誕生日の1月31日と、命日の5月23日前後にイヴェントを行います。
南米の貧しいインディヘナ(先住民)の優秀な子供たちに対してファンドレイズをし、奨学金を送るという目的のもとに12年前から続けられている会なのですが、自分は創立時から、もう数え切れないほどの演奏をこの会のためにしたり、ささやかながら寄付を続けていました。
写真は、この前会から受けた、アルゼンチンの国旗色(サッカーのユニフォームでおなじみ?)で飾られた表彰メダルです。

会で演奏

こちらは、会で演奏しているところです。
自分はアメリカで、アルゼンチンをはじめ数多くのラテンアメリカの人々に助けられて生きてきました。
微力ではありますが、この活動を続けてゆきたいと考えています。

アルゼンチンフォルクローレについて

アルゼンチンフォルクローレは、もともとアンデスの先住民であるインディヘナの文化に、スペインのギター音楽をはじめとするヨーロッパの香りがミックスされ、それが広大なアルゼンチンの土の上で育まれた魅惑的な民族音楽ですが、ギター音楽のひとつのカテゴリーとして、巨匠アタワルパ・ユパンキの手により世界的芸術の位置にまで高められました。
ここではその代表的なリズム形式についてふれてみました。

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アタウアルパ・ユパンキ

yupanquiAtahualpa Yupanqui
(アタワルパ・ユパンキ / アタウアルパ・ユパンキ)
1908年1月30日アルゼンチンのブエノス・アイレス州カンボ・デ・ラ・クルースに生まれる。
ギタリスト・歌手・作曲家・詩人・随筆家…と幅広く活躍していた。

父は鉄道関係の役人で、ケチュア族インディオの血をひき、母はバスク人移民の家系の出。
6、7歳の頃から聞き覚えでギターを弾き始める。9歳の夏にトゥクマンに移り、以後農業の人夫、牛追い、きこり、新聞記者などをしながら学校生活を送り、その間放浪の旅を繰り返す。
この頃から作曲や詩作を開始し、1929年インディオの魂をうたった曲「インディオの道」を発表。以来、アルゼンチンの人々やインディオの生活、風物を独自のスタイルでうたい続ける。
著作も多く手がけ、’39年に処女詩集「EL CAMINO(道)」を、’45年に随想集「Aires Indios(インディオのしらべ)」などを出版したほか、レコードも出すなど、多岐にわたって活躍。
’43年には郷土音楽舞踊団を率いて初めてカルナバリートの音楽と踊りを紹介し、今日の盛んな民族音楽芸術の先がけとなる。
’48年亡命の形で渡仏。エディット・ピアフに師事し、ピカソとも親交があった。
また、パリの国際民謡祭で大賞を獲得したほか、講演も行い、ハンガリー民族学会の名誉会員に推挙された。
さらに映画「石の地平線」の音楽によりベネツィア国際映画祭大賞を得るなど、国際的な活躍をみせ、中南米音楽の新しい道を拓いたフォルクローレの父として広く知られる。
3回にわたって来日したことがあり、各地のステージからその至芸が伝えられた。
1992年5月23日(84歳)フランス南部ニース没。

ギターは空洞の木の箱である。
それを弾くものは、澄んだ清らかな魂を満たさなければならない。