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今日、ニューヨーク時間5月23日、南米フォルクローレの最高峰アタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)の天逝からちょうど20年を迎えました。
昨秋の東京公演、’バッハの家庭音楽会’から、私のペンになるユパンキへのオマージュ作品、’ゲッセマネ’を、劇団ひまわりのヤングアクトレスによるピュアーで力強いコーラス、そして日本を代表する名女優、香川京子さんの朗読との共演でお楽しみください。
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これは、チェンバロを模倣したバロック風サウンドに、南米風の和声を加えてギターの六弦上に融合を試みたナンバーで、もともと私が、18歳のときにはじめて作曲したギター独奏曲でしたが、実にそれから20年以上たってからスペイン語の詞をのせることを思いつき、ユパンキに捧ぐコーラス曲としたものです。
今考えると、こうした’アルゼンチン風バッハ’創作は、私が18歳だったときにもうすでにはじまっていたのかもしれません。
エンディングの部分における、二声の対位法による音の動きなどは、われながら当時の並々ならぬバッハへの傾倒ぶりをよく示すものと、この動画を見た後あらためてなつかしさでいっぱいになりました。
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ゲッセマネ~私はあなたとともにゆく 詞、曲/シロ・エル・アリエーロ
私はあなたとともにゆく
この道を どこまでもまっすぐに
花であふれる土地をめざしてゆく
そこでは誰も私に問わない
’あなたはどこから来たのか そしてどこへゆくのか’と
私がほしいのは ただひとつの場所
夜に祈りをささげるための場所
私はあなたとともにゆく
この道をどこまでもまっすぐに
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この場を借りてあらためて、劇団ひまわりのみなさん、香川京子さん、そしてこの美しい映像を残してくださった日本のドキュメンタリー映像作家の第一人者、羽田澄子さんに心から御礼申し上げます。
動画
ユパンキへのオマージュ
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栗毛の馬 / アタウアルパ・ユパンキ詞、パブロ・デル・セーロ曲
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プレリュード(リュート組曲第1番BWV.996) / ヨハン・セバスティアン・バッハ
~アタウアルパ・ユパンキによる詩”ティエンポ・デル・オンブレ”の朗読とともに~
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2011年11月20日 東京公演’「カンタータ」バッハの家庭音楽会’より
ハッピーひなまつり!
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私にとって、なによりも素晴らしい少年時代の思い出である青山学院初等部において、6年間にわたりずっと同じクラスメートだった仲良しの女性が、ひなまつりを前に、美しい和紙で作られたたくさんの’竹とんぼ’と、チャーミングな3D’ひなまつり’カードをニューヨークまで送ってくれました。
彼女は、小学生のときに、すでにカザルスの無伴奏チェロ組曲を聴きながら、宮沢賢治の傑作文学’セロ弾きのゴーシュ’を”こんな感じかな”などなど思いながら読んでいたという(スゴイヤツ!)人で、私もつい最近その話をきいてすっかり驚かされていたところでした。
ハッピー”ブーレ”
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昨年出版された新刊書、’ラテン音楽名曲名演ベスト111’に、そうそうたる歴史的名音源の数々に混じって私の演奏がエントリーされました。
またその中で、ユパンキが、私が当時、唯一おぼえていたクラシックギターのナンバーであったバッハの’ブーレ’の演奏をたいへん喜んでくれ、そのあと彼のギター奏法のマジックを伝授してくれたストーリーが丁寧に書かれていることは本当に嬉しいことです。
しかし、なぜギター奏者をめざしてニューヨークに渡ったわけでもない私が、この’ブーレ’をおぼえていたのかは、これまであまり多くの人に話していません。
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実は私は渡米前、東京でヘヴィーメタルのバンドのギタリストとしてアルバイトしていた時期がありました。
そのときドラムを叩いていたリーダーがバッハ・クレイジーで、私にこの’ブーレ’を、ライヴの途中でギターの技を見せる一環としてプレイすることを要求したため、私はよくこのナンバーを練習していたのです。
人生とは、どこでなにがどう役に立つかまったくわかりません...。
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’ブーレ’は、バッハの傑作ナンバー’リュート組曲第1番ホ短調のラストを飾る名曲。
もともとは、フランスの農村に起源をもつ軽快な舞曲です。
私の演奏は、ブリッジの部分に手首を押し当て、6弦をミュートしたエレクトリックギター奏法。
これは、ヘヴィーメタルバンドのステージに立っていたときとまったく同じプレイです。
1989年1月、アルゼンチン、コルドバ州のセロコロラド。
私はいまでも、このナンバーを弾き終わったときのユパンキの嬉しそうな顔を忘れることができません。
新年のごあいさつは、いつも素敵な絵を描いて送ってくれるグアテマラの少女、レベッカちゃんの作品のうえに、私が(消せるように)鉛筆で書き足したものです。
アタウアルパ・ユパンキ十五周忌によせて
1992年5月23日、フランスのニームにてこの世を去った、南米フォルクローレの最高峰アタウアルパ・ユパンキ。それからはやくも15年の歳月が流れました。
今日は、私が彼への想いを込めて1993年に作曲した’La Tierra Donde Canta El Viento -風が歌う地-ユパンキに捧ぐというギターソロを皆様にお聴かせしたいと思います。
1989年に、私がユパンキにギターの手ほどきを受けた、アルゼンチンのコルドバ州北部の山村セロ・コロラドにある彼の別荘は、川のせせらぎが、鳥の歌声が、そして木々を優しく揺らす風の音にかこまれた、まるで桃源郷のような場所でした。
この風景を思いながら作ったのがこのギター曲ですが、1994年にこの地をふたたび訪れ、ユパンキのお墓の前で演奏してからは、それを最後に一度もステージで演奏していません。また、現在流通している私の3枚のCDにも収められていません。
このクオリティーの高い音源、そしてこの、”風が歌う、私にとっての聖地”の写真が残っているのは、ニッポン放送の香高英明さんのおかげです。
まず、香高さんにこの場をかりて、心からの感謝の意を表したいと思います。
また、この録音を皆様が聴いてくださる頃、私はすでに公演ツアーのためポーランドにいます。
今日この日に、この大切な私の想いを私に代わってオンライン上で美しく飾ってくださった、ふだん東京でこのウエッブサイトを管理してくださっている山本´rico´理恵子さんに、心よりお礼を申し上げます。
(’風が歌う地’には、中間部で、私のギター曲にはめずらしくトレモロを使ったメロディーが登場します。
実は私は昔からトレモロが得意で われながらこのメロディーもきれいに響いているのですが、このあと何かの本でユパンキが、”俺はトレモロなんかやらないよ。俺はお百姓が弾くようにギターを弾くのさ。”と言ったという話を読み、それ以降一切このテクニックを使うことをやめてしまいました。)
この15年間は私にとって、自身の音楽を創ってゆくうえでの、そのしっかりとした土台を築き上げるために費やした年月でした。
そしてそれが、時には激しい雨や嵐を受けた末にようやく土として固まってきたいま、これからの15年は、さらにこの巨匠の音楽に魂をこめて演奏できるよう、より険しくなる道のりを歩いてゆこうと思っています。
私のユパンキへの想いはこれからも変わることはありません。
たとえもう人前で弾くことはなくとも、この’風が歌う地’は私の心の中で、1989年の夏にセロ・コロラドで過ごしたかけがえのない時間とともに、永遠の光を放ちながら鳴り響き続けているのです。