アタウアルパ・ユパンキの素晴らしき詩の世界 III
海、山、風、川、森、平原、木々、花々、そして動物たち。
自然界のなかでともに生きるものたちとの心のふれあいを美しい詩にたくして謳いあげたアタウアルパ・ユパンキ。
以前、さすらいの旅人と、それを見守る木々との素晴らしい心の交わりをテーマにした’郷愁の老木’についてふれました。
今回は、前述の’ギターラ’と同じく私の愛読書であり、ユパンキ名作詩集である’ひとりぼっちの石 (ピエドラ・ソラ)’のなかから、路傍にひっそりと佇む、まるで忘れ去られてしまったような石との心のふれあいを謳った、同タイトルによる作品をご紹介したいと思います。
‘ひとりぼっちの石’は、詩集のトップにある、’デディカトーラ’とよばれるユパンキ自身による献呈文のあと、この名作詩集の冒頭を飾る作品としておさめられています。
詩集 ‘ひとりぼっちの石 ‘より
デディカトーラ (献呈文)俺の大地よ!
お前の抱く山々の
その道の上で
俺の心は これらの言葉に出会った
その 大いなる
その 決して言語におきかえることのできないものが
俺のなかに宿った
まるで お前がもつ
静けさにみちた 宇宙のような力に
奥深く守られた 音楽の調べのように- アタウアルパ・ユパンキ
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ひとりぼっちの石
路傍にたたずむ ひとりぼっちの石よ
お前を打つのは
あの山頂から吹きぬけてくる風か?
なんという運命(さだめ)だ!
ひとりぼっちの石よ
たとえどのようなものであっても
大いなるお前を 傷つけることは決してできない
俺のなかにあるのは 深い悲しみ
ひとりぼっちの石よ
そして俺はひとり 歩きつづける
お前が佇む 長い道のりを
なんというよき運命(さだめ)だろう!
ひとりぼっちの石よ
もし俺にも お前のような力があったなら!
‘郷愁の老木’ と比較すると、ずっとストレートな表現によって書かれたものですが、路傍にひっそりとある石をじっとみつめながら、心の中で語りかけているユパンキの姿が目に浮かぶようです。
1989年、アルゼンチンの最北部、ボリビアと隣接するフフイ地方を旅した私は、アンデス山脈のなかで、ひとつの石にじっと見られているような気持ちになりました。
それが写真の石です。
石と言うよりは、小さな岩といったような雰囲気の大きなもので、たいへん重量があるのですが、結局私はこの石をニューヨークまでつれてきてしまい、その後20年近い間つねに傍らにおいて、ときどき触っては力をもらっています。
この石は、もはや私の古きよき友といった存在です。
1989年、フフイ州にて、私(右)の後ろにある山は、この地方の名勝のひとつで、’七色の山 (七色の丘)- Cerro de los siete colores -‘とよばれる、さまざまな地層が入り組んで不思議な色彩を放つ岩山です。
私の横にいるのは、私にとってかけがえのない恩人であった、故エドワルド・マルティネス・グワジャーネスの実弟のウーゴ・マリオ。
ユパンキゆかりの地、コルドバ州セロ・コロラドの住人である彼は、1989年の一月、私がはじめてかの地にユパンキをたずねて旅したときに、まるで実の兄弟のように心から私を友人として迎えてくれました。
私は同年10月、エドワルド同様、’ギジェルマおばさん’の孫であるウーゴ・マリオとアルゼンチン北部のトゥクマン、サルタ、フフイといった地方を旅し、さまざまなフォルクローレ音楽への見聞を広めました。
2004年に行ったサルタ公演は、15年ぶりの北部アルゼンチンへの帰還となり、その間、この素晴らしい音楽を研鑽し続けた私にとって、実に大きな意味を持ったのです。
紀元前1988年、渡米直前の私。
このときまさか一年後に、ユパンキに会うためにアルゼンチンにギター一本をもって単身乗り込む運命が待っていようとは夢にも思いませんでした。
まるで赤ん坊のような私。
この一年後、南米アルゼンチンの風をあび、さらに様々な経験をかさね、そしていま第二の故郷となったアメリカ大陸で、ようやくいっぱしの精神力をもつ一人前の男になることができたのかもしれません。
私はアメリカの風を吸い、水を飲み、心とともに身体をも一回り大きくしたのです。