「エドワルド・マルティネス」タグアーカイブ

エドワルドに捧ぐ「ギジェルマおばさんに捧げる歌」

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先日のNHK「ラジオ深夜便/明日へのことば」の電波に乗って、日本でもその存在が多くの方々に知られた私の恩人、エドワルド・マルティネス・グワジャーネス(本名:ラモン・エドワルド・マルティネス)。
私は、このユパンキの傑作曲に歌われた”ギジェルマおばさん”の実の孫にあたる素晴らしいフォルクロリスタを、友として、そしてフォルクローレ演奏の師として誰よりも慕っていましたが、彼は残念ながら1998年、病のために42歳の若さでこの世を去ってしまいました。
今年はエドワルドの15回忌になります。
私は、来たる10月18日の銀座ヤマハ公演において「ギジェルマおばさんに捧げる歌」を、かつて私をアルゼンチンのユパンキのもとへと導いてくれたエドワルドへの感謝を込めて、万感の思いとともに披露する所存です。

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(写真上)
1991年、ニューヨーク、ジャクソンハイツ(ラテンアメリカ系移民の多く住む地域)の教会サロンにて行ったコンサートのあとのスナップ。
この頃私は長髪が背中まであり(まるでナバホ族…)、レストランのウエイターや、トラックの運転手などをしながらエドワルドとともに活動をしていました。

(写真下)
1992年、エドワルドがニューヨークで主宰していたミニコミ誌「ビダ・イ・エコロヒーア(ライフ&エコロジー)」のパーティーにて、デュオによる「栗毛の馬」を披露。

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In memory of Eduardo Martinez Guayanes (1956-1998)

ギジェルマおばさんとともに...

アタウアルパ・ユパンキの素晴らしき詩の世界 XV

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ギジェルマおばさんに捧げる歌
 アタウアルパ・ユパンキ

鍋といっしょに歌っていた  誰にも聞こえない調べを
山は秘密を語ってくれる  そのふところで根っこを掘る者に
紫色に浮かぶお月さん  藍色の空を さすらいゆく
そして*マンディルのうえに浮かぶのは 
紅く縫いとられた ふたつの文字
ギジェルマおばさんが 俺にマンディル作ってくれた
4月の末の 馬乗り大会用に
俺たち里者が さっそうと男っぷりあげられるように
つやつや輝く とびきりのマンディル作ってくれた
作ってくれたのはギジェルマおばさん!
ギジェルマおばさんが作ってくれたんだ!
人の世には罠がある  どうして人の世はこうなのか
織物織りのばあさんたちは 死んではならないのに!
俺たち里者には もうマンディルたのめる人がいないのに!
ギジェルマおばさんが 俺にマンディル作ってくれた
4月の末の 馬乗り大会用に
俺たち里者が さっそうと男っぷりあげられるように
つやつや輝く とびきりのマンディル作ってくれた
作ってくれたのはギジェルマおばさん!
ギジェルマおばさんが作ってくれたんだ!

(* 馬の鞍の下に敷く毛織の布)

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感涙 …. “ウエストサイド物語” on B’way !

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はじめてニューヨークにやってきた1988年夏以来、待ちに待ち続けた不朽の傑作ミュージカル、”ウエストサイド物語”のブロードウエイ・リヴァイヴァル。
寒さも少々やわらいできた3月5日の夜。
この日私は、あたかもシャーク団のリーダー、”ベルナルド”。
肩で風を切りながら、ブロードウエイのパレス劇場に向かっていました。
そして...
“イーストサイド”生まれのベルナルドは観劇中、アメリカへはじめてやってきた頃のことを思い出し、隣にいる母とワイフに気がつかれないよう5回ほど涙を流しました。

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Recuerdo del Don Maestro – ユパンキの思い出 –

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いまから20年前の1988年8月1日、ニューヨークへ単身乗り込んできた私を待っていたのは、私のこれまでの人生においても、もっとも不思議なできごといえる、南米フォルクローレの最高峰、巨匠アタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)との出会いでした。
(写真) 1989年1月、81回めの誕生日を目前にした、80歳のアタウアルパ・ユパンキと、26歳の私。
アルゼンチン、コルドバ州セロコロラドの、ユパンキのサマーハウス玄関口にて。

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ヒロシマ 忘れえぬ町

アタウアルパ・ユパンキの素晴らしき詩の世界 VIII

アタウアルパ・ユパンキ

今春、広島市において、アタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)の生誕100年を記念するスペシャル・コンサートを現在計画中です。
ユパンキは生前、広島を心から愛し、一遍の詩を書き残しました。
そしてその詩に出会ったおかげで、私は音楽家として光のあたるところに出ることができたのです。
1992年11月12日、実際に広島とはなんの縁もゆかりもない私のためにかの地のみなさんが開いてくださったコンサートは、それは本当に素晴らしく、華々しいものでした。
原爆ドームをバックにした、息を呑むような美しいユパンキの写真(上)は、その際のコンサート・プログラムの表紙です。

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