この世の中で、おそらく私の音楽をいちばん愛してくれていると思われるのが、中米グアテマラの世界遺産指定の美しい古都アンティグアに暮らす14歳の少女です。
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久々のニューヨーク単独ソロ公演を控えて準備中の私の前に、彼女から届けられた素敵な贈り物。
それは彼女自身による、かつて’サラバンド’や’シャコンヌ’といったリズムを生み出した、あたかもマヤの先住民の魂を宿したかのような大バッハの肖像画をスケッチしたものでした。
グアテマラの美しい切手の貼られた封筒のなかからこの絵を取り出したとき、私は1989年1月、アルゼンチン、セロコロラドのユパンキの別荘を訪れた際のことを思い出し、しばし言葉を失いました。
まるで生命をもって呼吸しているかのような、射るような深い眼差し。
それは22年前、ユパンキが私をじっと見つめた目そのものだったのです。
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マヤ文明最大の遺跡’ティカル’を擁するグアテマラは、隣国のメキシコ、そして南米ペルーと並んで、ラテンアメリカでももっとも民俗文化の高い国。
気質的にも、ラテン民族でありながらあまり賑やかに踊りに興じたりすることはなく、どちらかというと胸のなかで静かに音楽を感じる人々が多いということを聞きました。
この少女もまた、いまから7年前に、アンティグア公演を行った私の音楽に触れ、心からの深い感銘を受けてくれた人々のひとりです。
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以前、このサイトでもご紹介した、2008年にユパンキ生誕100年を記念してアルゼンチンで出版された’この長き道 メモーリアス’。
今日はそのなかから、ユパンキがバッハについて綴ったチャプター、’J.S. Bach’の一部を翻訳してみました。
この章は、3ページほどの短いものですが、1950年、パリで行われた’バッハ没後200年記念ガラコンサート’を聴いたユパンキがいかに感激し、それを機にして、いよいよ深くバッハの音楽に傾倒していったかが記されており、たいへん興味深いものです。
ここでは、チャプター最後の部分をご紹介します。
(太字表記がバッハの言葉です。)
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思えばこれまで、どんなにバッハとその音楽が私を助けてくれたことだろう。
そしてまた、アンナ・マグダレーナ・バッハによる、彼女の夫の語った言葉を記した美しい本がどれだけ私を助けてくれたかわからない。
”私が礼拝堂でオルガンを弾くとき、会堂には約50名ほどの人々が、午後のひととき私の音楽に耳を傾けている。それは私には見えない、私の知らない人々。なぜなら私の目の前にはオルガンがあるのみだから。彼らのなかには音楽をよく知るものがいる。そしてまた、喜び、感謝、痛みといった、あらゆる人間の精神を宿した「大いなる才能」をもって、押し黙り、ただ静寂のなかで私の音楽を聴いている。だからこそ私は彼らのために奏でるのだ。彼らの「才能」ために、自分ができる最良の音楽を奏でたいと思うのだ。”
私は、この言葉を綴ってくれたアンナ・マグダレーナに深く感謝せずにはいられない。
拡がりをもとうとする大いなる静寂と心のみこそが、あらゆる情感を含有できる唯一のものなのだから。
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私は、この才能豊かなグアテマラの少女が描いてくれたバッハの絵をじっとながめながら、もう一度、このユパンキの本を読み返してみました。
彼女は別に、このスケッチにおいてユパンキとバッハの融合を試みたわけではないでしょう。
ただ、私がなによりも愛するバッハの描写をはじめて試みた結果、きわめて自然にこのような絵になったのだと思われます。
私には、ユパンキとバッハが、生まれた時代と土地は違えども、まったく同じ宇宙のエネルギーとエモーション、そしてその静けさを身につけて生まれた至高の超人に思えてなりません。
私にとって、マヤの国に生まれた少女が描いたこの絵が、なによりもそれを語ってくれているのです。
今後私は、どこへコンサートに行く際も、この’ヨハン・セバスティアン・ユパンキ’をギターケースのポケットのなかにいれて持ち歩くことでしょう。
”おい、お前もっとうまく弾かなきゃだめだぜ。”という声が、絵の中から聞こえてくるようです。