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来る4月25日、東京渋谷セルリアンタワー東急ホテル二階「JZ Brat Sound of Tokyo」昼夜二公演は、いずれも19世紀のロッカー、ニコロ・パガニーニに捧げる新作「悪魔のロマンス/パガニーニ・ライヴ・イン・ロンドン1932」で幕を開ける。
パガニーニは、ギターを愛奏した恋人のために、多くのギター曲を書き残した(ほとんど消失したらしい)が、それらを自らステージでプレイすることは一度もなかった。
パガニーニにとって、ギターとは、彼の心を優しく、穏やかにできる唯一の楽器ではなかったのだろうかと僕は思っている。
そんなパガニーニが、彼の1931~1932英国ツアーのクロージングとして、一晩だけギターを抱えて聴衆の前に登場したら?
これは、そういったアイディアからクリエイトした、ギターファンタジー。
パガニーニが残したギター曲の中でも、僕が最も好きな「ロマンス」を(彼がプレイするギターの音を思い描いて)独自のアレンジを加えたものを最初に弾き、さらに後半、「19世紀のロッカー・パガニーニ」を強調する、少々技巧的で、華やかな展開をもつアレグロをクライマックスとしてつなげた
ビデオのなかでも見せているが、彼のツアーの日程たるや、移動が馬車しかなかった時代にして実に信じがたいもので、まさに70年代のハードロックバンドを彷彿とするような人気ぶりがうかがえる。
パガニーニは、クラシック音楽を「自作自演エンターテインメント」として推進させた、最初のアーティストだと僕は思っている。
最も当時の音楽家たちは、みながみな新しいことをやっているという意識で音楽をクリエイトしていたと思うので、いま”クラシック”と呼ばれていることを知ったら、きっといやな顔をするに違いない。
蛇足だが、この世には”クラシックしか聴かない”ということを言う人がいるが、そういう人々のほとんどは、クラシックと呼ばれる音楽を好きな自分が好きなだけ。
本当に音楽を理解しているとは言い難く、僕は信用しない。
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パガニーニは生前、その超人的テクニックを盗まれることを恐れ、一切楽譜の出版を行わなかった。
ゆえに、現在弾かれているものは、当時の弟子や、音楽家たちが「こんな感じだっただろう…」と勝手に想像したもので、おそらく(いま聴くことのできない)本物のパガニーニは、音にしてもテクニックにしても、どんな想像をもってしても到底及ばない、いま僕たちが聴かされているものの、まさに数億倍素晴らしいものだったに違いない。
もし現在、自分の音楽と称されて、録音されたりコンサートで弾かれているものをパガニーニ自身が聴いたら、彼は間違いなく、”これ何?”と聞くだろう。
彼の奏でる音色と技巧は、(現代においても)人が練習して到達できるものではなかったと言って間違いない。
その容姿や私生活などから、悪魔的印象の強いパガニーニだが、街角で(決してうまいとは言えない)ヴァイオリンを弾いて稼いでいる貧しい子供を見ると、横で自らの楽器でプレイして、往来の衆からしこたまお金をかき集めてあげたり、また、当時誰も理解できなかったベルリオーズを「ベートーヴェンの後継者」として誰よりも認め、多額の援助をして彼を助けるなど、正しい眼力と優しい心を持っていたことを、僕たちは決して忘れてはならない。
「天使のギタープレイヤー」パガニーニを、2014年の東京に蘇らせるために、これから数百回のリハーサルを行わなければならないが、僕は今、ギターを弾くこと、そして自分の作品をクリエイトすることを、おそらく今まで生きてきて最も楽しいと感じている。
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