公式日程を終えて
世界文化遺産の美しい町、クラクフにおける演奏を終えて、今回はまる2日間、ゆっくりとプライヴェートタイムを楽しみました。
ポーランド公演ツアーの最終章、すっかりリラックスした私とご一緒に、クラクフとその周辺散歩にどうぞおつきあいください。
クラクフ市内のいたるところに貼られた私の公演ポスター。
クラクフ旧市街のシンボル、’マリア教会’。
旧市街の広場。左にある大きな古い建物は’織物会館’。かつてここで行われた日本の浮世絵展こそが、後に世界的映画監督としてその名を馳せることになる、若き日のアンジェイ・ワイダさんを芸術の道へと導いた重要なきっかけとなりました。
緑が目に眩いクラクフ。 古い街並みがどこまでも続く美しい路地散策は、まるで時間を忘れてしまうかのようです。
旧市街の北東にある、クラクフの音楽アカデミーの最上階は、学生さんたちのサロン、いわゆる’学食’です。
このたいへんリーズナブルな展望レストラン(誰でもはいれます)で、安くておいしい食事をとりながら眺めるクラクフの街並みは、時の流れを忘れてしまうかのような贅沢なひとときです。
ここから臨むヴァヴァエル城の姿もまた絶品。
音楽アカデミーの前にある、1870年創業の古書店は楽譜をはじめとした音楽書籍の宝庫でした。
ここで、かのPeters版、ハードカヴァー(重い!)による、かなり状態のよい豪華ベートーヴェンのピアノソナタ全曲集を発掘。
少々値がはりましたが、まるで時がとまってしまったかのようなこの古都を訪れた記念に購入。
店主のおじさんは、私が公演できたギタリストだとわかると、20ドルまけてくれたうえに、ポーランド版によるショパンのノクターン集をおまけにプレゼントしてくれました。
なかなか入手のむずかしい、ポーランドが生んだ名プリマ・ドンナ、Teresa Zylis-GaraのCD。
冒頭におさめられた、やはりポーランド出身の作曲家スタニスワフ・モニューシュコの’ハルカ’と’パリア’のアリアは、このところすっかり愛聴曲となりました。
プッチーを思い出して衝動買いの巻。
クラクフの演劇人の聖地ともいえる、クラクフ・スターリー劇場のサロンで行われた、名演出家にして大俳優のヤン・ぺシェクさんの、俳優業40周年を祝うイヴェントにお招きを受けました。
現在、やはり俳優として活躍中の息子さんや娘さんのパフォーマンスも飛び出して迫力満点。
(彼らは週末などに、私が公演を行った日本美術センターにおいて、クラクフの子供たちに日本の童話を演じてみせています。素晴らしいですね。)
このような意義ある会を一番前の席で楽しむことができたのは、かつてスターリー劇場の芸術監督をつとめていらしたアンジェイ・ワイダさん、そして奥様のクリスティーナ・ザファトヴィッチさんのおはからいによるものです。
クラクフでは、たくさんのレストランの料理を楽しみましたけれど、なかでも一番気に入ったのがここ。
イタリア料理の、その名も‘コルレオーネ’!
黄昏時にガーデンで過ごす時間は本当に素敵なひとときです。
写真左がクリスティーナさん、そして右の女性は、クリスティーナさんの長年のご友人のルタさんで、彼女はかつて、クラクフ1とうたわれた弁護士さんです。
クリスティーナさんからまたしてもいただいてしまった、クラクフ名物’ドラゴン’グッズ。
大きいものは布製のポットカヴァー(少々ゴジラのようです)で、小さいものは、ポーランド名産のきれいな琥珀でできています。
ここは一見、映画の撮影所かテーマパークの入り口のようですが...。
ポーランドツアーに出る直前に、ニューヨークで音楽を担当した‘コルベ神父’の演劇パフォーマンスのこともあって、私は今回、現在一般公開されてる、アウシュヴィッツ-ビルケナウの強制収容所跡を訪れました。
クラクフから車で1時間少々の、東ヨーロッパのほぼ中心に位置する’オシフィエンチム’というのが、この土地の本来のポーランド語名です。
まさにこの世の終わり、ビルケナウの鉄道引込線の最終ポイント。
60数年前、ここから100メートルほどのところにあるプラットフォームにおいて、史上もっとも辛く悲しい民族の別れがありました。
爆破により瓦礫の山と化した、ビルケナウのガス室跡。
アウシュヴィッツにいまも姿を残す’死の壁’。
ここで数え切れないほど多くの、なんの罪もない人々が銃殺刑となりました。
囚人たちがおしこめられていたビルケナウの小屋内。
まさに言葉を失った思いでした。しかし、残虐きわまる非業の限りをしつくしたSSにも、隊員のなかには、このような不衛生極まる、一歩足を踏み入れることさえ抵抗を感じるような場所を率先して掃除した、高い教育を受けた心ある者もいたそうで、これには多少の安堵感をおぼえました。
ビルケナウの、犠牲者を追悼するモニュメント。
円を組んで座り、喪に服するイスラエル青年たちのグループ。
この地を訪れた後、私はしばらくショックでなにも口にできない状態となりました。
いまも残っているおぞましい部屋、そして展示物の数々は、まさに想像をはるかにこえるもので、特に、なんの罪もない幼い少女たちから剥ぎ取った愛らしい衣服には、激しい怒りと悲しみに身体が打ち震えました。いまでもこのことを思い出すと涙がこみあげてくる思いです。
しかしここは、私たちにとって、できるなら見ておいたほうがよい場所なのかもしれません。昨今問題となっている’いじめ’の結果おこる惨事も、まさにこのアウシュヴィッツの惨劇と同じ出発点にあるといってよいでしょう。私たちはここで、憎しみあうことの愚かさを骨の髄から思い知り、二度とこのようなことがあってはいけない、おこしてはいけないという平和への強い思いをこめて祈る心をもたなくてはならないのです。おそらくそういった意味をもってでしょう。広島の原爆ドーム同様、現在この場所は、(負の)世界遺産として登録を受けているのです。
私は今回この場所を訪れて、そのことがよくわかったような気がしました。
3章にわたったポーランド公演ツアーは、今回のこの章をもって終了です。
この旅行は、私にとってさらに自身の音楽を豊かにし、そして再び前進してゆくための、本当にかけがえのない素晴らしい経験となりました。
第一楽章からずっとご覧いただいた皆様、おつきあい心より感謝いたします。
今後もどうぞ私の活動にご期待ください。