アタウアルパ・ユパンキの素晴らしき詩の世界 IV
Querencia(ケレンシア -故郷への想い-)
みな 自分たちの故郷について語る
あたかも そこがいちばんであるかのように
俺が想いをよせる故郷とは 一本の道
月と太陽の下にある 一本の道
調べひとふし歌おうか
星が俺の声を 満たしてくれる
そして風が 流れる雲に言い寄れば
俺の歌は 霧となる
俺は はるか遠い里(さと)からやってきた
俺の里の名は...轍(わだち)
俺が胸に抱く愛の名は ギター
そして俺の馬...*パシエンシア
夜更けに俺は 心の中をみつめて歌う
夜明けの光をもとめて
そして 広がる野をみつめながら
希望に焦がれ 歩き出す
みなそれぞれが それぞれの故郷をもち
あたかもそこが いちばんであるかのように語る
俺が思いを寄せる故郷とは 一本の道
月と太陽の下にある 一本の道
(*パシエンシア -Paciencia- 辛抱、忍耐、根気。 英語の’Patience<ペイシェンス>‘に同じ。)
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自分にとって想いを寄せる故郷とは、はるか彼方、月と太陽の下にある一本の道であり、その名は轍だというユパンキ。
‘辛抱’という名の馬と、’愛’という名のギターを連れ、夜明けの光に祈り、希望に胸を焦がし歩き続ける。
もちろんユパンキが書いたこの素晴らしい詩に、自分自身の状況を完全にオーヴァーラップできるわけではありませんが、ニューヨークという、世界でももっともタフな場所のひとつである都会で、私も数え切れないほどの’辛抱’という名の馬にまたがってきたものでした。
やがて、アメリカ国内、南米、ヨーロッパ、そして日本と、ギター一本を携えて旅を続けるうちに、現在私が訪ねてゆくと、”おかえりなさい”と言って私を迎えてくれる人々が世界中にたくさんできました。
ユパンキにとっての’辛抱’という名の馬は、私にとってみれば、まさに’ニューヨーク’という名のそれでした。
‘ニューヨーク号’は、辛抱と努力をかさねた結果、私をのせて素晴らしい方向へと歩いていってくれたのです。
このときから私にとって故郷とはすでに東京だけではなく、ニューヨークから、これら世界中の魅惑的な土地へとつながる道一本一本が、かけがえのないふるさととなったのです。
私はこの詩が大好きです。
なお、この作品は、ユパンキの名作詩集’ギターラ’におさめられています。
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この写真は、現在私が暮すニューヨークの自宅のすぐ近くの風景ですが、私が子どもの頃、毎日のように見ていた東京のある場所の風景によく似ています。
手前のビルは団地で、奥の緑色の屋根のカテドラルは区立中学校の体育館でした。
道に沿って停めてある車、手前におかれたゴミ箱。そして植えてある木。
なにもかもが同じで、私ははじめてこの風景をみたとき思わず立ちすくんでしまったものです。
しかし現在、オリジナルの(?)東京にあったこの場所はすっかり変わってしまい、私の記憶と、このはるか距離を隔てたニューヨークのこの場所にその姿をとどめるのみとなりました。
私はここを通ると、なんともいえぬノスタルジーで胸がいっぱいになります。
ニューヨークの街角にこのようなことを感じるのはおそらく私だけではないでしょう。
世界中から移民を受け入れて発展してきたこの町は、もはや私たちひとりひとりにとってのふるさとなのです。
ニューヨークは、ときに辛抱と忍耐が必要な土地ですが、努力を続けるものには必ず心をひらいてくれる、ふところの深い優しい町です。
このようにニューヨークは、私たち世界中から来た人々に対し、その姿を自在に変えて私たちを励まし、そして見守ってくれているのだと私は信じています。
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今年の四月にニューヨークで、市長のオフィスがスポンサーとなって’NY移民史記念週間’が行われました。
最終日のメイン・イヴェントとしてプログラムされた私のコンサートは、たくさんのボランティアーの人々の尽力により実現したものでした。
彼らには、ほぼ全員に、主催者側から私のCDがプレゼントされました。
私はこの同胞たちに、心からのサインをしたためました。
ニューヨークに暮す、世界中から来た人々の熱気あふれるイヴェントでした。
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Largos caminos … Andando …
(長い道のり...俺は歩き続ける...)