鈴木巌先生 初訪米公演 CODA 

NY在留邦人による歓迎会

鈴木巌と大竹史朗NY共演
ギター奏者の大竹史朗が、恩師鈴木巌氏を東京から迎えて8月6日(金)ブルックリンの水上コンサートホール、バージミュージックにおいてジョイントリサイタルを行うのに先駆けて3日、マンハッタンの「しんばし」レストランで演奏会を行った。
鈴木氏は、1957年モスクワ国際ギターコンテストで第一位金賞を獲得した日本のクラシックギターの先駆者的存在。
当日は、「(ソルの)メヌエット」、日本の曲から「五木の子守歌」を演奏し、最後は大竹とデュエットで、「(バッハの)プレリュード」を弾いた。
アンコールでは自作の「幻想曲」も演奏し、拍手が沸いた。
週刊NY生活 2010年8月7日号より


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大成功裡に終了した8月4日の在ニューヨーク・アルゼンチン総領事館公演、そして8月6日のバージミュージック公演
アップデートが前後してしまいましたが、これらに先駆け、鈴木巌先生ニューヨークご到着の翌日8月3日の夜、マンハッタンの高級日本料理店「しんばし」のラウンジルームにおいて先生の歓迎会を行いました。

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この日のお客様は、ほぼすべてニューヨーク在住の日本人の方々です。
ミニコンサートは、まず私が露払いにてバッハの「サラバンドBWV996」、そしてユパンキの「兄弟たち」演奏のあと、鈴木先生に、ソルの「メヌエット」、先生ご自身の編曲による「五木の子守歌」を演奏していただきました。

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そしてラストは私と先生のデュオ。
この日あわせたばかりのバッハの名曲、「平均律クラヴィーア曲集第二巻からのプレリュード第15番」を披露しました。

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写真むかっていちばん左にいらっしゃるのは、現在NYコロンビア大学メディカルセンターに籍をおかれる外科医であり、日本が世界に誇る臓器移植手術の権威、加藤友朗(かとうともあき)先生。
実は加藤先生と私は、少年時、ちょうど同じ時期に鈴木先生の教室でクラシックギターの研鑽に励んでいた兄弟弟子だったのです。
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この素晴らしいご縁が明るみにでたのは、去る4月、ソプラノ歌手の森谷真理さんとともにご招待を受けた米国日系人医師会の年次晩餐会がきっかけでした。
演奏後、会場で私のプロフィールをご覧になった加藤先生が、顔いっぱいに懐かしさと喜びを湛えてご挨拶にいらしてくださったとき、私がどんなに驚いたかおわかりいただけるでしょうか?
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加藤先生は、この翌日4日早朝、フロリダで講演があるにもかかわらず歓迎会にかけつけてくださいましたが、「自分は途中で失礼してしまうので...」と、おっしゃって、最後まで立ったまま演奏を聴いておられました。 
加藤先生はまるでお釈迦様のような表情をなさっています(写真はクリックするとフルサイズでご覧いただけます。) 
私は彼の誠実で謙虚な人柄にすっかり魅了されました。
世界の首都ニューヨークにおいて、いまは別の道を行くふたりの愛弟子に囲まれた鈴木先生の嬉しそうなお顔をどうぞご覧ください。

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加藤先生と私が、同じ時期にギターを学んでいたことを証明する動かぬ証拠(?)がこれ。
1983年度、鈴木巌門下生による発表会のプログラムです(クリックするとエンラージします。)
加藤先生はバッハを弾き、私はその後を暗示するかのように、「ケーナス」というタイトルの南米曲を演奏しています。
鈴木先生は、こうしてご自分の生徒の皆さんの記録をすべて保管してくださっています。

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現在ニューヨーク在住の、日本の若きクラシックギターの精鋭、村治奏一さんも歓迎会にかけつけてくれました。
彼もまたこの世界の首都において、日々自身の芸術を高めようとするカミナンテ(道行くもの)のひとりです。
彼の姉上の佳織さんもまた素晴らしいクラシックギター奏者であることは、私がここでご紹介するまでもないでしょう。

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(左) 今回のニューヨーク公演の皮切りとして、まずここに暮す日本人の皆さんとともに先生を迎えてさしあげたかったというのが、生徒である私のたっての希望でした。
その私の気持ちを受け止めてくださり、惜しみない協力をしてくださったのが、NY倫理友の会理事長、リンゼイ・芥川笑子(あくたがわえみこ)さんです。
リンゼイさん、そして同様にこの会開催にあたって多大なる努力をしてくださった、米国日本人医師会事務局長加納良雄さんに、この場をかりて深く御礼申し上げます。
(右) 先生の楽しそうな表情をみて、私も心から嬉しく思いました。

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イーストリヴァー、そしてニューヨークの象徴エンパイアーステートビルを臨む鈴木巌先生。
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実は今回私は、鈴木先生の滞在日程を前後した二週間の間、ふだん日本でギターを専門的に勉強する青年をひとり、彼の並ならぬ熱意を買って初の海外からの生徒として受け入れ、集中講座を行っていました。
ニューヨークという、慣れないタフな環境にはじめて身をおいてさぞたいへんだったと思いますが、鈴木先生がいらっしゃる間は、彼は私たちの公演の手伝いをよくしてくれ、そして先生がご帰国なさったあとは、ほぼ連日にわたり、高い意志とともに私のギター奏法習得に励んでいました。
現時点では、まだ彼の素性を明かすことはしませんが、近い将来、彼は私とともに歩くよき友、そしてカミナンテとして、素晴らしい音楽家になることを確信しています。
恩師と生徒を、いまとなっては私の故郷といえるニューヨークに同時に迎えたこのかけがえのない二週間。
私はこのときのことを、永久に忘れないでしょう。