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Romance de la pena negra (Soledad Montoya) ロルカ「ジプシー歌集」の名篇“ソレダー・モントーヤ(黒い哀しみのバラード)”

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Todos tienen sus libros favoritos. En mi caso, es ‘Romancero Gitano’ de Federico García Lorca.
El 16 de noviembre, luego tres días de mi recital en la catedral de Santa María en Tokio, estrenaré a mi nueva obra ‘Muerto de amor’ homenajeada a FGL en Key Stone Club Tokyo, el hermoso lugar en mi pueblo natal.

Aqui te comparto ‘Soledad Montoya (Romance de la pena negra), mi nuevo video que he pubulicado hace justo

誰にでも愛読書があるが、僕にとってのそれは、スペインの国民詩人ガルシア・ロルカによる「ジプシー歌集」。アンダルシアのジプシーたちが、いかに宇宙とコネクトし、高い文化とエモーションに満ちた民族であるかということを、天性の詩霊によって表現し尽くしたこの詩集から、僕はいまも日々学ぶところが多い。

11/16、東京カテドラル聖マリア大聖堂リサイタルの3日後、僕は「ジプシー歌集」のなかの名篇“愛の死”に霊感を受けた新作を初演するライヴを、とても雰囲気の良い会場・東京六本木Key Stone Clubにて行う。荘厳なカテドラルとは、またガラリと雰囲気を変えた公演になるだろう。

上記のリンクは、1日前公開したばかりの、やはり「ジプシー歌集」のなかの傑作詩“黒い哀しみのバラード”にインスパイアされたギターソロのイメージビデオ。ソレダー・モントーヤという名の、若く魅惑的なジプシー娘の姿をとおして、やるせない民族の性(さが)と運命(さだめ)が謳われる。
僕のとても気に入っているソロ曲のひとつ。

メキシコシティの古本屋で購入した、1953年版「ジプシー歌集(ロマンセーロ・ヒターノ)」。

よい本というのは、何度読み返しても、その都度新たな発見があるものだ。

僕はいつもこの本を持ち歩いている。

Homenaje a Lorca en Tokio 2025 「吃音(きつおん)」と「半音のなかに閉じる静寂の花」 ガルシア・ロルカに捧げる≪ギター音楽の真髄 ≫ライヴ

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Lo que quiero ceear es; acercándose a los primitivos sistemas musicales, es tan sólo un perfecto balbuceo, una maravillosa ondulación melódica, que rompe las celdas sonoras de nuestra escala atemperada, que no cabe en el pentagrama rígido y frío de nuestra música actual y quiebra en el pequeños cristalitos las flores cerradas de los semitonos.

Y se acerca al trino del pájaro, al canto del gallo y a las musicales naturales del chopo y la ola; es simple a fuerza de vejez y estilización.

El verdadero heredero del cante jondo no fue el flamenco, sino Atahualpa Yupanqui, nacido en la lejana Sudamérica. Sin embargo, poca gente lo entiende.

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去る1月26日、東京麻布十番「富麗華」におけるライヴ。

僕の創ろうとするもの、それは原始的な音楽体系に迫る、完璧な吃音(きつおん)、そして驚異的な旋律のうねりに他ならない。
現代音楽の硬直的で冷たい五線譜には収まらない、平均律の音細胞を破壊し、半音のなかで閉じた花を、小さな結晶のなかに咲かせるもの。

そしてそれは、鳥のさえずり、雄鶏の鳴き声、ポプラや波のさざめきのように、楽譜に書かれた音符よりも、はるかに自然な≪僕自身の音符≫によって表現されるもの。

カンテホンドもまた、その真髄は「静寂」であり、それを正統的に受け継いだのはフラメンコではなく、はるか離れた南米の地に生まれたユパンキと言って間違いない。だが、それを理解する人間は少ない。

11月13日、東京カテドラル聖マリア大聖堂リサイタルは、それを必ず皆さまに聴いていただけると信じています。

チケットは大竹史朗ファンクラブのサイト。からどうぞ❣️

山形県高畠 はまだひろすけ(浜田広介)記念館訪問

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だいぶビハインドになってしまいましたが、今年1/26の東京麻布十番「富麗華」公演を大成功に終えた翌日、ご縁あって、僕は東京の応援者の方に同行していただき、山形県高畠にある、傑作児童文学「泣いた赤おに」の作者として知られる、日本を代表する童話作家はまだひろすけさんの記念館を訪れました。

今年の11月9日の日曜日、同記念館において、はまだひろすけさんの息子さんであった、僕の恩人濱田滋郎さんと、滋郎さんが誰よりも愛したユパンキに捧げる二公演を行う予定です。

記念館の敷地内にある、はまだひろすけさんの生家。

実際はここから少し離れたところにあったものを、一度ぜんぶ解体して運び、この場所に復元したそうです。

屋根だけは、残念ながらオリジナルの茅葺にできないので、現代の建築様式で置き換えたということ。

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11月9日のコンサートが行われる記念館ホール。

まるで、ギターの内部に入ったかのような響きとフィーリングが得られるこの設計は、もしかすると濱田滋郎さんのアイディアが反映されていたのかもしれません。

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気を張った東京公演の翌日…

さすがに僕の表情には若干のむくみが感じられますが、米沢ラーメンと、米沢牛の焼肉の最高峰のお店で、楽しい時間。
僕の向かい側に座っておられるのが、はまだひろすけ記念館の理事長を勤めておられる近野さんです。

手前左が、応援者の奥田さん。

手前が記念館館長の金子さん。奥が近野理事長。

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高畠駅のなかに立っている「赤鬼と青鬼」。

この町の人々が、いまもはまだひろすけさんをいかに愛し、誇りに思っているかがよく伝わります。

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高畠には、日本三大文殊のひとつ「亀岡文殊堂」があります。

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また、この土地には、伊達家の墓地(墳墓)があります。

伊達家は、置賜と呼ばれたこの地方を、米沢に移る以前、210年間に渡って統治したそうで、いまも武士(もののふ)の魂が、民衆の家々の裏手でひっそりと佇んでいる感じ。

写真にあるのは、九代伊達政宗と、そのお家さまのお墓です。

僕の高祖父は、ここから少し離れた会津の‘もののふ(武士)’でした。
彼は江戸に落ち延びたのち彰義隊士となり、最後まで戊辰戦争を戦った佐幕闘士。
高畠公演に合わせて、このひいひい爺さんをひっかけた曲ができないか、今アイディアを練っているところです。

アントニオ・ガデスとガルシア・ロルカへのオマージュ@麻布十番「富麗華」ライヴ❷

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今年の1月26日、東京麻布十番のミシュラン⭐️⭐️超人気レストラン「富麗華」で行った、スペイン不世出のバイラオール(男性フラメンコ舞踊手)アントニオ・ガデス、そしてやはりスペインの国民詩人ガルシア・ロルカに捧げたスペインコンサートのクライマックスは、シャンソンシンガー黒川泰子さんの圧巻のパフォーマンスを伴って初演した、25分に及ぶ組曲「血の婚礼」。

冒頭の、バッハを展開させたオープニングのギターソロ、“Preludio Lorquiqno(ロルカ前奏曲)”で使用したテキストは、ガルシア・ロルカが、「カンテホンドの構造様式」とタイトルした、アンダルシアの音楽文化の根幹をなす「カンテホンド(深い歌と訳されるジプシーたちの調べ)」について語った、21ページに渡る解説書のなかから、“ギター”と、“シギリージャ(最も様式的なフラメンコ形式のひとつ)”を使用したもの。
スペイン語と日本語の字幕をつけてある。

いま、このような感覚でギターをプレイするものがいるだろうか。
おそらくこの域に達したのは、晩年のパコ・デ・ルシアと、不朽の傑作ソロ「ガルシア・ロルカに捧げる哀歌」を自作自演したマノーロ・サンルーカルくらいだろう。

マノーロの同曲は、この世に存在する最高のギターソロ曲と言い切れる。
フラメンコもまた、その真髄はユパンキ同様「静寂」であり、ゆえに現在タブラオやショーで演奏されるほとんどのフラメンコは、全て無意味に誇張された安っぽい「オペラ・フラメンコ」であり、カンテホンドの退化にすぎないのだ。

そして、2004年あたりから、この世を去るまでの10年感のパコのプレイは、真に素晴らしかった。
僕は、パコの遺作となったアルバム「アンダルシアの歌」を聴いて、アルゼンチンの伝統音楽のルーツがカンテホンドにあることを確信し、自分の音楽にロルカの要素を導入するに至った。

パコが死ぬ前に、ポルトガル生まれの母親へのオマージュとして、歌と舞踊を伴い、ライヴのクライマックスでプレイしていた「Luzia」というナンバーを、僕は、ギターという楽器を使ってクリエイトされた、最高のエンターテインメントだと思っている。

今年の11月13日に行う東京カテドラル聖マリア大聖堂公演は、おそらくギターのソロプレイヤーとしての僕の、これまで培った頂点をみせるものになるだろう。

来年は、決してパコやマノーロのの真似ではない、「Luzia」を僕のスタイル「カンテホンド・イベロアメリカーノ(南米の深い歌)」として、日本が生んだ不世出のモダンダンサー、アキコ・カンダさんへのオマージュとして、歌、ギター、そして現代舞踊を導入してライヴを行う考えでいる。

疑いの余地がないのは、ギターが「カンテホンド」を生み出したということ。ギターは古代に生命を受け、言葉をとつとつと詰まらせながらも、暗黒のアジア、そしてユダヤ、アラブの大衆と向き合い取り組み、深めてきた。

そしてギターは、いつしか歌を西洋化し、東西の対立というドラマに比類のない美しさとポジティブな美をもたらし、アンダルシアを文化の大陸にしたのである。”

ガルシア・ロルカの「カンテホンドの構造様式」は僕の信念。僕はこのフィーリングとともにギターをプレイしてゆく。
ここから離れて音楽活躍を行うことは、今後もありえない。

アントニオ・ガデスとガルシア・ロルカへのオマージュ@麻布十番「富麗華」ライヴ❶

だいぶビハインドになってしまったが、今年の1月26日、東京麻布十番のミシュラン⭐️⭐️超人気レストラン「富麗華」にて、スペインが生んだ不世出のバイラオール(男性フラメンコ舞踊手)アントニオ・ガデスと、やはりスペインの国民詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカに捧げた、僕が実際プレイしている映像によるライヴパフォーマンスのビデオをようやく編集した。

僕は、自分の音楽を使ったビデオ編集が趣味❣️
撮影はもちろん、その時々でいろいろ変わるが、編集と仕上げは全部自分で行う。

ひとつめは、「あるバイラオールの肖像 ~アントニオ・ガデスへのオマージュ~」とタイトルしたギターソロ。

僕のオリジナルソロ曲というのは、多くが一切の反復形式を持たない、最初の主題が変奏曲のように姿を変えてクライマックスまでのぼりつめ、そしてラスト、再び主題に戻ってエンディングという曲想が多く、これはバッハの「シャコンヌ」に強い影響を受けているところが大きい。

このソロは、最近の作品のなかで最も気に入っているもの。

なお、ビデオで使用しているテキストは、もともと19世紀に活躍した、イタリア人の父とアンダルシア人の母との間に生まれた伝説的カンタオール(男性フラメンコ歌手)シルヴェリオ・フランコネッティへのオマージュとしてロルカが書いた傑出した詩を、ガデスへのトリビュートとして少々内容を変えて織り込んだ。

今日のニューヨークは14℃で、まるで冬に戻ったよう。

僕が手に持っているのは、1963年にスペインで出版された、全2018ページに及ぶ❗️「ガルシア・ロルカ大全集」。

ロルカの詩作から、戯曲、そして作曲からイラスト(のみ一部)、加えてインタビューから講演に至るまで、
文字通り全てを掲載したコンプリートブックにして、僕の最大の愛読書。