Park Avenue, Harlem.
***
Central Park North.
***
霧笛が俺を呼んでいる🎵
Edgewater, NJ
Photo: D. Kokopelli.
***
今年、初めてハロウィン当日のニューヨークの通りに出てみたが、🎃バケツを手にした子供たちが店に入ると、店の中でちゃんと(ときに仮装した)担当の女性たちがお菓子を持って待っていて、それがすごく良かった。
ハロウィンは、かつてケルト教の大晦日(10/31)の日に、日本のお盆にあたるような、先祖の霊を迎える習慣があり、のちにキリスト教が、それを万聖節(11/1)の1日前のイベントとして取り込んだのが起源と言われている。
死者の装束をまとったこどもたちが、祖先の霊を運んでくるかのように家々のドアをたたいて訪れて回ると、なかのものたちは、それをあたたかく迎え、用意した「ソウルケーキ」と呼ばれたお菓子でもてなした。この習慣を「ソウリング」と呼び、これが現在のハロウィンのもとになっている。
このソウリングを幻想的に歌にした「A soalin’」という、ピーター・ポール&マリー(メアリー)」の傑作曲があり、僕は中学生のとき、このナンバーの印象的なギターフレーズをレコードから耳コピーし、いつも弾いていた。
というわけで、ハロウィンは単なる仮装どんちゃんパーティーではない。遥かケルトの時代に起源を持つ(イギリスの伝統を正統的に受け継ぐ)アメリカの「よき文化」であることを、この日あらためて知らされたような気がした。
僕はつねに、アメリカから学ぶ。
***
1989年1月、アルゼンチンのコルドバ州のユパンキの別荘を訪れた僕に、南米の大巨匠は、何かクラシックギターの曲を弾いてみるよう促した。
そこで僕は、唯一覚えていたバッハの「ブーレ」をプレイした。
これは、そのとき僕がプレイしたものと全く同じバージョン。スペイン語の前置きのあと、僕が実際プレイしている動画が始まる。
このナンバーは、古典対位法によって書かれた高低音の2つのパッセージを、まるで生きもののように動き回りながら、終始一貫して同じリズムを打楽器のようにたたき続ける左手の動きが最大の面白さ。しかしその動きはきわめてナチュラルで、全く無理がない。これはもともと古楽器リュートのために書かれた音楽だが、最もギターでプレイしやすいホ短調がオリジナルキー。したがって変調の必要がなく、ほぼオリジナルどおりの音でプレイされる。
僕には、超人バッハが、あたかも近い将来、ギターという優れた楽器が、必ずや世の中に現れることを予期していたような気がしてならない。
ビデオは、その左手フィンガリングをズームして作ってある。
蛇足だが、ギターというのは、左手指が弦とフレットを同時にヒットする際と、右手指が弦をヒットする際に出る、(楽譜に存在しない)打楽器のような音が実際の五線上のメロディーとあいまって魅力的なサウンドになる。
今、このサウンドが出せるギターのプレイヤーは、どんなカテゴリーにおいても殆ど存在しない。
そんな現実が、ギターという楽器のポピュラリティーを失わせ、いま地球上でも最も売れないもののひとつにさせてしまったということを忘れてはならない。
ギターに大切なのはテクニックではない。あらゆる人間の感情を含有し、そして聴くものの心を打つ「音」だ。
当時僕は、ギターのプレイヤーなどになる気は全くなかったが、アルバイトでハードロックバンドの一員としてギターを弾いていた。バッハをプレイするのが、80年代のロッカーたちの間でトレンドであったこの時代、「定音弦をミュートして全編トーンを抑えてプレイ」したラスト、あたかもエレクトリックギターのヴォリュームをフルにあげてブルースコードで締めくくるというような「ロッキンバッハ」に目を丸くしたユパンキは、ビックリして大喝采を贈ってくれ、さらに心を開いてくれた。
そしてこのあと僕は、巨匠のギターの音色を目の当たりにして、真剣にギターの道を歩むことになる。
ただし、今ユパンキの前でバッハを弾いてみろと言われたら、およそこのようなマネはできないだろう。若く、恐れを知らないということは、何にも替え難い。ユパンキがバッハを何よりも愛していたことを知ったのは、ずっとあとになってからだった。
「ブーレ」はもともとフランスの農民舞曲。ヨーロッパのさまざまなフォークダンスに芸術的生命を与えたバッハと、数世紀のちに南米で同じことを行ったユパンキには多くの共通点があるが、多くの人はそういうことを理解できない。
「バッハは世界を結ぶフォルクローレ」。これは20世紀を代表するブラジルの作曲家、エイトル・ヴィラ=ロボスの言葉だ。
僕からバッハを取ったら、それはユパンキを失うのと同じことになる。
ロックもまた、アメリカで生まれた「世界最高のフォルクローレ」と言えるだろう🎸
***
En enero de 1989 en Cerro Colorado, Argentina, Atahualpa Yupanqui me pidió que tocara ‘música de guitarra clásica’. ‘Bourrée’ de Bach, es la exactamente misma versión que le toqué al gran maestro.
En ese momento no tenía ninguna intención de ser guitarrista, pero es que estaba trabajando como miembro de una banda de hard rock en mi trabajo de ‘part time’.
Tocar Bach era una especie de tendencia entre los guitarristas de hard rock de los 80, así que siempre tocaba este ‘Bouree’ todas las noches. Esta experiencia abrió el corazón de Atahualpa, y él me dio una gran mano después de que toqué esta pieza, y luego me mostró su ‘tono mágico’ que perseguiría para mi vida. Seguro que don ata fue sorprendido mucho de la manera ‘muy rock’ de mi interpretación🎸
***
Nel gennaio 1989 a Cerro Colorado, Argentina, Atahualpa Yupanqui mi chiese di suonare “musica per chitarra classica”. La “Bourrée” di Bach è esattamente la stessa versione che ho suonato per il grande maestro.
A quel tempo non avevo intenzione di diventare un chitarrista, ma lavoravo ‘part-time’ come membro di un gruppo hard rock. Suonare Bach era una specie di tendenza tra i chitarristi hard rock degli anni ’80, quindi suonavo sempre questa “Bouree” ogni sera. Questa esperienza ha aperto il cuore di Atahualpa, e lui mi ha dato una grande mano dopo aver suonato questo pezzo, e poi mi ha mostrato il suo “tono magico” che avrei perseguito per tutta la vita. Sono sicuro che Don Ata sia rimasto molto sorpreso dal modo ‘molto rock’ della mia interpretazione🎸
***
En janvier 1989 à Cerro Colorado, en Argentine, Atahualpa Yupanqui m’a demandé de jouer de la « musique de guitare classique ». La « Bourrée » de Bach est exactement la même version que celle que j’ai jouée pour le grand maître.
A cette époque, je n’avais pas l’intention de devenir guitariste, mais je travaillais à ‘part-time’ en tant que membre d’un groupe de hard rock. Jouer du Bach était une sorte de tendance parmi les guitaristes de hard rock des années 80, donc je jouais toujours ce “Bourée” tous les soirs. Cette expérience a ouvert le cœur d’Atahualpa, et il m’a donné un ‘big hand’ de main après avoir joué ce morceau, puis m’a montré son « ton magique » que je poursuivrais tout au long de ma vie. Je suis sûr que Don Ata a été très surpris par la manière ‘très rock’ de mon interprétation🎸
***
In January 1989 in Cerro Colorado, Argentina, Atahualpa Yupanqui asked me to play “some classical guitar music”. Then I played Bach’s “Bourrée, and this is exactly the same version that I played for the gran maestro.
At that time I had no intention of becoming a guitarist, but I was working as a member of a hard rock band for my part time job.
Playing Bach was kind of a trend among ’80s hard rock guitarists, so I always played this “Bouree” every night. This experience opened Atahualpa’s heart, and as results he gave me a ‘big hand’after playing this great piece, and then showed me his “magic tone” that I would pursue throughout my life. I’m sure Don Ata was very surprised by the ‘very rock’ way of my interpretation🎸
***
もともと1975年に出版された、きわめて高度なバッハ読本のなかに、日本の優れた現代作曲家・キーボードプレイヤー高橋悠治(たかはしゆうじ1938-)さんの、「可能性としてのバッハ」という対談形式インタビューが掲載されている。
(この史上まれにみる優れた書籍は、1981年に第二版が出版され、僕はそこでこの本と出会った)
そして現在、すでに80代半ばを迎えられて久しいキーボードプレイヤーのビデオインタビューを観ると、“僕にとっていい音楽っていうものはないんです。これは面白いな、僕にとって可能性があるなって感じられるのが大切で、いいとか悪いとかの価値をつけるものじゃないんです”と、相変わらず同じことをおっしゃっておられる。
こういうミュージシャンは、おそらく命が尽きるその日まで、自身の音楽の探求をし続けるのだろう。
他人(ひと)の作った音楽で僕が最もプレイするのがユパンキとバッハだが、僕はこれらの音楽を、良い音楽だからもっと多くの人々に聴いてもらいたいなど思ったことは一度もない。
バッハとユパンキは、僕にとって自身の音楽を創作するうえでの、極めて良質な「可能性」であり、そして最高の「絵筆」。決していいとか悪いとかの次元ではない。
考え方が全く同じというわけではないが、この日本のグラン・バッキアーノ(素晴らしいバッハ傾倒者)と僕には、少なからず共通点があると思えるのは嬉しい。
その僕が現在、最も「可能性」を感じるのが、ガルシア・ロルカの詩であり文学。来年1月26日の「富麗華」公演で、それをみなさまにご覧にいれることができればと願っています。
是非こちらのページからお申し込みください。
高橋悠治さんは僕にとって、「面白いな、可能性があるな」ということを教えてくださる、日本でもっとも素晴らしいプレイヤー。
いずれにせよ、今の世の中で、このようなクオリティの高い書籍が出版されることなど、全くもって考えられない。残念ながら世界は現在、文化芸術面において永劫の下降線を辿りつつある。
***
Un lector de Bach muy avanzado, publicado originalmente en 1975, incluía una entrevista con el maestro Yuji Takahashi (1938-), un gran compositor y teclista japonés contemporáneo, titulada “Bach como posibilidad”.
Y más tarde, después de 50 años, mucho después de haber cumplido 80 años, el maestro dice: “Para mí no existe la buena música. Lo que necesito es algo que me haga sentir que “puedo tener posibilidades”.”en su última entrevista. Este tipo de músicos probablemente continuarán explorando su música hasta el día de su muerte.
Lo que dice el maestro Takahashi tiene mucho en común con mi forma de pensar. La razón por la que interpreto a Bach y Yupanqui en obras de otras personas es que para mí no son más que posibilidades maravillosas.
Un grande lettore di Bach molto avanzato, originariamente pubblicato nel 1975, includeva un’intervista con il maestro Yuji Takahashi (1938-), un grande compositore e tastierista giapponese contemporaneo, intitolata “Bach come possibilità”.
E più tardi, dopo 50 anni, molto dopo averne compiuti 80, il maestro dice: “Per me non esiste la buona musica. Ciò di cui ho bisogno è qualcosa che mi faccia sentire che “posso avere delle possibilità”” nella sua ultima intervista. Questo tipo di musicisti probabilmente continueranno ad esplorare la loro musica fino al giorno della loro morte.
Ciò che dice il Maestro Takahashi ha molto in comune con il mio modo di pensare. Il motivo per cui eseguo Bach e Yupanqui nelle opere di altri è che per me non sono altro che meravigliose possibilità.
***
Un lecteur de Bach très avancé, initialement publié en 1975, comprenait une interview du maestro Yuji Takahashi (1938-), un grand compositeur et claviériste japonais contemporain, intitulée « Bach comme possibilité ».
Et plus tard, 50 ans plus tard, bien après ses 80 ans, le maestro déclare : « Pour moi, la bonne musique n’existe pas. Ce dont j’ai besoin, c’est de quelque chose qui me donne l’impression que « je peux avoir une chance » » dans sa dernière interview. Ces types de musiciens continueront probablement à explorer leur musique jusqu’au jour de leur mort.
Ce que dit Maître Takahashi a beaucoup en commun avec ma façon de penser. La raison pour laquelle j’interprète Bach et Yupanqui dans les œuvres d’autres personnes est que pour moi, ce ne sont que de merveilleuses possibilités.
***
A Very Advanced Bach Reader, originally published in 1975, included an interview with maestro Yuji Takahashi (1938-), a major contemporary Japanese composer and keyboardist, entitled “Bach as Possibility.”
And later, 50 years later, well after his 80th birthday, the maestro declared: “For me, good music does not exist. What I need is something that makes me feel like ‘I might have a chance’” in his latest interview. These types of musicians will likely continue to explore their music until the day they die.
What maestro Takahashi says has a lot in common with my way of thinking. The reason I perform Bach and Yupanqui in other people’s works, is nothing but they are just wonderful possibilities to me.