パブロ・ネルーダの話がでましたが、この詩集とともにいつも持って歩いているのが、4年前の東京公演のお祝いに、女優の香川京子さんにプレゼントしていただいたパーカーのボールペンです。
香川さんは私の好きな、黒沢明監督の‘天国と地獄’に素敵な和服姿で出演していらっしゃいますが、映画から40年以上たった今もなお、信じられないくらい上品でエレガントで、まさに日本女性のお手本のような美しい方です。
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魂のフォルクロリスタ、エドワルド・マルティネス・グワジャーネス (終章)
“私にとって、愛するギターとともに歌うということはすなわち私自身を表現することです。
色づく山々や、歌いながら流れてゆく川、それらの美しい自然によって育みを受けながら、
この世界に存在する権利を受けるものすべてとともに生きる喜びをわかちあうことなのです”
エドワルド・マルティネス・グワジャーネス (1956ー1998)
エドワルドの詩集 ‘人生のために、平和のために’ の冒頭に書かれたメッセージ。
フォルクロリスタとしてだけではなく獣医の資格をも持っていた彼は、各国で行われるエコロジーの国際サミットなどにも常に出席していました。
ギターを弾く手が鳩になっているイラストは、この吟遊詩人の音楽すべてを象徴するものです。
エドワルドとともに出演した、ニューヨーク市恒例の‘アースデイ・フェスティヴァル’のプログラム。
テニスのUSオープンの会場のある、フラッシング・メドウ・パークの野外ステージで、ネイティヴ・アメリカンの音楽やレゲエ、アフロ、ロックなどと一緒に白熱したライヴのオープニングをつとめました。
“シロは4月14日(Dia de las americas ー南北アメリカ大陸における国家連合の日)生まれだから、ラテンアメリカの文化と関わるのはなんの不思議もない。”と、生前エドワルドは言っていました。
いつも持ち歩いているためボロボロですが、イタリア映画‘イル・ポスティーノ’で広く一般にも知られるようになったチリの国民的詩人、パブロ・ネルーダの詩集。
このなかの、‘南十字星の詩’ に‘4月14日’のことが謳われています。
私は、エドワルドの演奏があまりに素晴らしいので、コンサートで一緒に演奏するのが実はいやでしたが、彼はいつも、“きみには、ステージにでてきただけで人を魅きつけることのできるすごいカリスマがある。ぼくはそれが羨ましい。”と言って励ましてくれました。
エドワルドはきっとこれからも、天国から私の長い道のりを見守ってくれることでしょう。
ニューヨークのFMクラシックステーション‘WQXR’
アメリカ、中南米、ヨーロッパ、そして日本と、いろいろな国のメディアによって紹介を受けましたが、なかでも一番嬉しかったのは、やはり地元ニューヨークのクラシックFM局、天下の‘WQXR’ではじめて大きくとりあげられたときです。
ある日いきなりこの局の名物プロデューサー兼コメンテーターのロバート・シャーマン氏から電話があり、もうそれだけで驚いてしまったのですが、“ルナ・トウクマナ”のCDを紹介したいので、いくつか私が言うナンバーの歌詞の英訳を送ってもらいたい”ということでした。
ユパンキは生前、数回にわたりカーネギーホールで公演しているのにもかかわらず、きちんと英語で紹介されている出版物がないので責任重大でしたが、なんとか英訳したものを送ると、今度は丁寧な手紙が来て、“ ‘ヌンカ・ハマス’ と、‘ギジェルマおばさんに捧げる詩’をかけるので是非聴いてください”と、わざわざ放送時間を知らせてくれたのです。
そのとき録音したテープはまだ大切にとってありますが、放送で私と一緒に紹介されたのが、チリの‘ヌエバ・カンシオン’の旗手であり、同国の軍事クーデターの際に犠牲となった英雄ビクトル・ハラで、これはもう感無量でした。
放送の後でお礼状を送るとまた返事があり、“これからもおりを見て紹介するので、新しいアルバムができたら送ってください”ということだったので、きちんとそれを実行して現在に至っていますが、時々、WQXRをよく聴く知り合いから、“CDかかってたよ”と聞くのは何よりも嬉しいことです。
ニューヨークで行われるクラシック音楽のイヴェントには必ずといっていいほど関わるシャーマン氏。
多忙をきわめる方なのですが、そのアクションの早さには驚かされました。
魂のフォルクロリスタ、エドワルド・マルティネス・グワジャーネス (追記)
エドワルドの実兄のルイスもまた、ユパンキを驚愕させたというギターの名手でした。
ユパンキの名著 ‘風の歌-El Canto del Viento’ の第十章、‘セロ・コロラドの神秘’ でも、当時8歳のルイスのことが、‘ルイス・マルティネス、驚くべき小僧っ子!’と写真入りで紹介されています。
彼は演奏するときだけは‘ルイス・デル・セーロ’ と名乗っていましたが、プロにはならずに一生精肉業者としてセロ・コロラドで暮し、ワインを片手にギターを弾いた典型的なクリオージョ(地方のいきなアルゼンチン男)でした。
ルイスの弾くチャカレラをまじかで聴いたときは本当に吹っ飛ばされそうでしたが、彼もまた10年前に、エドワルドと同様、ガンで他界してしまいました。
いま彼らが生きていたらどんなによいかと思います。本当に残念でなりません。
ユパンキの‘風の歌’と、本文で紹介されている8歳のルイス・マルティネス
ちゃんとした写真がないのが残念ですが、セロ・コロラドのマルティネス兄弟と一番右から、長男ルイス、次男エドワルド、私、三男ウーゴ、そして長姉チニーナ。
これはスポニチの記事からです。
チニーナ(左)の家族
“セロ・コロラドでは誰もギターを習わない。しかしみなギターを美しく弾けるのだ” アタワルパ・ユパンキ
誇り高きアルゼンチンの‘クリオージョ’たち(中央のジーンズ姿が私)
北陸加賀で生まれたダブルネックギターソロ ‘ レジェンダー伝説 ’
ニューヨーク風ヴィラ=ロボス第4番
こちらでのコンサートの際、欠かせないレパートリーのひとつにオリジナルギターソロの‘レジェンダ-伝説’ があります。
ダブルネックギターの12弦と6弦を交互に弾きながら、ラストでは特殊奏法を用いて両方いっぺんに弾いてみせるこのナンバーは、たいへんトリッキーで視覚的効果が高いため、時には主催者から“レジェンダをプログラムにいれてください”と依頼されるほど万人むけのナンバーといえます。
石川県の加賀市での公演の際に訪れた、加佐(かさ)の岬という美しい日本海の風景に、かの地に伝わる不思議な民話の雰囲気をからめて作った曲ですが、ヨーロッパでもアメリカでも中南米でも、コンサートプログラムには(民話の内容まで)かなり細かく解説されているのにもかかわらず、一切‘加賀’という言葉がでてきません。いったいそれは何故でしょうか?
実はこの ‘カガ’ という言葉、スペイン語でちょっとよろしくない意味になるのです。
スペイン語は基本的に‘K’文字を使わないため、加賀を綴ると頭の文字は‘C’になりますが、発音もアクセントの位置も日本語と全く同じなため、世界中にいるスペイン語圏の方々が、これはこういう名前の町でできた曲だということになると、みなまちがいなくプッと吹き出してしまうのはクリスタルよりもクリアーです。
というわけで、日本以外においてはどこの国でも無難な線で、北陸の大聖寺(だいしょうじ)という町の民話をベースにしたナンバーという解説にしてあるのですが、ここでこの ‘カガ’ がどういう意味になるかということは、うーん、ここまで気をもたせて申し訳ありませんがちょっと書けません。
お手数ですがお分かりにならない皆様は、スペイン語をご存知の方にお尋ねくださいますでしょうか?
‘レジェンダ’は、日本海を臨むこの美しい加佐の岬でアイディアが湧き...
気分は ‘殿様 ’、この肘掛けにもたれながら作曲しました。
これは加賀市内にある、ゴージャスな山下屋ホテルのお部屋です。
加賀は人々が優しく食べ物がおいしくて大好きになりましたが、言葉の壁はときに深刻な問題です。