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Southern Landへの想い Final Chapter

Native American Wisdom

1988年に単身ニューヨークに渡り、ユパンキと出会い、そしてギタリストとしていろいろな国で活動をなどと聞けば、すべてがトントン拍子で進んだようですが、実際は決してそうではありません。
いろいろなことがとにかく最悪であった年1991年、私は、知り合いをたよってニューメキシコ州に移り、観光牧場の住みこみ乗馬ガイドとして働き半年を過ごしたのです。
そのとき知り合った数多くの素晴らしい人々。音楽はカントリーしかしらないカウボーイに、素朴で可憐なチカーナ(アメリカ生まれのメキシコ女性)たち。
なんだか開拓民のムードをそのまま残しているような彼らと過ごした時間は、私にとって、多くのことを学んだかけがえのない体験となりました。
そして、アミーゴになった、ナバホの血をひく青年がくれた一冊の本、”ネイティヴ・アメリカン・ウイズダム”。
誇り高き北米先住民の英雄たちの語録集が、ふたたび私に、ニューヨークへ戻るエナジーを与えてくれたのです。

その後私は、ニューヨークのスラム街のバーやクラブでギターを弾きだし、やがて人生を決定づけることになるユパンキの詩、”ヒロシマ 忘れえぬ町”と出会うことになります。

写真)1991年に、New World Libraryから出版された Native American Wisdom。
頭のうしろからコツンとたたかれたようなハッとする言葉の数々に、当時の私はどれだけ勇気を与えられたかわかりません。
彼らのものの考え方は、その後の私に大きな影響を及ぼしました。

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Southern landへの想い 2 Kokopelli,my charm!

南米先住民のフォークロア同様、私を惹きつけてはなさないのが、北米のネイティヴ・アメリカンの世界です。
もともとアメリカは彼らの土地であったわけですが、現在は、政府によって決められた居留区(リザーヴェーション)に暮し、そこにいる限りは税金の免除などが保障されるなどしながら、日常は一般のアメリカ人として生活しています。
ただ今でも、その独自の風習や、言語を守る活動がさかんに行われており、そんな彼らの暮らすリザーヴェーションを訪れるのは、実によい体験です。
特に、アリゾナ、ユタ、ニュー・メキシコに広大な範囲にわたって広がる、北米最大規模のナバホ・リザーヴェーションにある「モニュメント・バレー」は、世の中にこんなに美しい場所がほかにあるだろうかという感じ。

モニュメント・バレー

モニュメント・バレー

写真)美しいモニュメント・バレー。
小学校一年生のときから乗馬を習っていたので、いまでも馬が大好きです。
乗馬ならプロの俳優さんたちにも負けませんよ(!)

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Southern Landへの想い 1 Blue side of Shiro

ボトルネック・スライドバー

およそ前衛的なものや、技巧的なもの意外ならありとあらゆる音楽を楽しみますが、アメリカの南部に起こったブルースは(ユパンキのフォルクローレは別として)、私がもっとも愛してやまない音楽です。
これだけ単純な構成にもかかわらず、その奥の深さはまさに無限で、かつこれだけ心地よく人の心にエモーショナルに訴えてくるものはありません。
それぞれが短い三部構成からなる私の新作「ダヒュ」は、第一部では、静かなブルターニュの海の彼方から聴こえてくる、美しいダヒュの歌声を模した純然たるクラシカル・ギターのソロで幕をあけますが、続く第二部では、がらりと雰囲気をかえ水底に沈んだ王女の恨み悲しみを表現するために、サイド・ギターを加えて、はじめてブルースのギター・テクニックを導入しました。
もちろんいままでステージで、ブルース奏法を披露したことはありません。
しかし少年時代、クラシカル・ギターの勉強と平行して、私はかなりの時間をブルースのレコードを聴くことにあて、自分でもいろいろとその奏法を研究したものでした。
ここでようやくそのときの経験が役にたちそうです。
さらにファイナル・パートではテンポアップして、ジプシーのフォーク・ダンス風ギターへと展開する私の「ダヒュ」。
目下のところ「ダヒュ」は、自分の創るギター音楽の集大成といってよいと思っています。

写真)「ダヒュ」第二部で使用する、ブルース・ギターに欠かせないボトルネック・スライドバー。

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