今月13日は、アルゼンチンが生んだ素晴らしい詩人、レオポルド・ルゴーネス(Leopoldo Lugones 1874-1938)の生誕記念日でした。
ルゴーネスの故郷のコルドバ州リオ・セコで、毎年彼を記念して行われるフォルクローレフェスティヴァル‘カント・イ・ポエシーア’祭への2回の招演は、コスキン祭同様、アルゼンチンフォルクローレのエネルギーを体感し、吸収することのできた最高の経験になりました。
写真はブエノスアイレスの古本屋を探し回って見つけた、ルゴーネスの詩集‘リオ・セコのロマンス’
カント・イ・ポエシーア祭で’演奏する私
91年、日本のワールドミュージック専門誌‘ラティーナ’に、私自身がルゴーネスの詩を引用して書いた読み物‘ユパンキが導いてくれたルゴーネスの故郷.... 北部コルドバ州の力強いフォルクローレ’
タイトな演奏旅行などに備え、いつも健康でいられるように続けているのがフェンシングです。
一時間もやっていると、もう水をかぶったように汗だくになりますが、これによって鍛えられるのは肉体面だけではありません。
ニューヨークなどというところは、宗教や考え方の違う人々がごちゃごちゃに交じり合って暮らしているジャングルのようなところなので、以前はちょっとしたことでアップセットすることがしばしばでしたが、フェンシングのおかげでだいぶ精神面においても鍛えられ、あまりいろいろなことに動じなくなりました。素晴らしいスポーツだと思っています。
アメリカでは、フェンシング人口が実に18、000人足らずということでかなりマイナーなスポーツといえますが、私はこれがきっかけでいろいろな歴史の本なども読むようになり、過去に実在した、素晴らしい考え方を持った人たちについても学ぶことができました。
過去から学び、そして未来を見る。
いまの私の生活の半分くらいをしめているのがこのフェンシングです。
読んだ技術書は数知れず!
“ふだん私たちが送る日常生活から、もっともかけはなれた状況に身をおくことによってはじめられるスポーツ”、フェンシング。
このフェンシングや、騎士の世界について“もっと知りたい!”という方は、さあ、下の扉を開けて、隠された秘密の部屋 ‘騎士の間’ にお入り下さい。
私の大親友であり、人生の大恩人であったエドワルド・マルティネス・グワジャーネス(本名ラモン・エドワルド・マルティネス)。
アルゼンチン、コルドバ州のセロ・コロラドの出身で、ユパンキの名曲に歌われた‘ギジェルマおばさん’を実の祖母に持ったこのフォルクローレ歌手とのニューヨークでの出会いによって、私はユパンキのフォローアーとしての道のりを歩むことになりました。
南米大陸を吹き抜ける風のような詩情に溢れた彼のギターと歌声は、私がどんなにがんばっても真似のできない深い味わいがあり、 私はいつか、エドワルドとのコンサートが日本でできることを願っていましたが、1998年、彼は42歳の若さで、ガンのためにこの世を去ってしまいました。今年は日本的に言えば彼の七回忌にあたります。
私はエドワルドが生前私にしてくれたことに心から感謝するとともに、きっとユパンキと一緒にギターを弾いているであろう天国から、これからも私の長い道のりを見守ってくれるよう祈るのです。
エドワルド・マルティネス・グワジャーネス(1956ー1998)
エドワルド(左)がニューヨークで発行していた‘ビダ・イ・エコロヒーア(ライフ・アンド・エコロジー)’誌の集まりで、ユパンキの曲をデュエット
エドワルドとともに
私は映画 ‘ウエストサイド物語’ の大ファンです。
この不滅のミュージカルの金字塔に強い影響を受け、当時ダンスに没頭していた私は1988年、(ベルナルド役を演じた)ジョージ・チャキリスが、長い下積みのあと、ニューヨークで(’ウエストサイド’をバーンスタインらとともにクリエイトした)ジェローム・ロビンスに会うことによって成功のきっかけを作ったというエピソードだけを胸に、”ニューヨークに行けば会うべき人に会える”と自分自身に言い聞かせながら、誰ひとりあてもない土地へと単身乗り込んだのでした。
写真は、あるファンの女性が作ってくださった特製‘ウエストサイド’ケーキです。
食べないで、ずっと冷凍しておこうかなどなどいろいろ考えましたが、結局彼女の意向もあり、涙をのんで食べました。
ウエストサイドよ永遠に!!!
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日本の皆様によく聞かれることのひとつに、“私がかつて、寅さん(松竹映画)に出演してギターを弾いたというのは本当ですか?” という質問がありますが、この場をお借りしてお答えしますと、“本当”です。
1985年に製作された、‘男はつらいよ-柴又より愛をこめて’ がそれで、私は劇中、マドンナ役の栗原小巻さん(小学校の先生の設定)の元教え子の青年役として、先生の好きな、‘七つの子’ をギターで演奏しています。
寅さんの映画はギターやマンドリンのBGMが実に多いため、知らないでご覧になると、私こと若い俳優がギターを弾く演技をした後で、専門の奏者がアフレコで音をかぶせたように見えますが、これは実際、私自身がギター独奏用にアレンジを行って演奏したものを、そのままサウンドトラックとして使っているのです。
ですから、昨今ニュース番組などに出演してギターを弾くことはよくあっても、現存する劇映画のなかで私がギターを演奏しているものとなると、これがワン・アンド・オンリーということになりますね。
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アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界