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My Jazz feeling for Piazzolla ピアソラに捧げる、僕のジャズ・フィーリング

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今年の4月にニューヨークに戻ってから、僕はすでに5曲のピアソラ・インスピレーション・ギターソロを作曲しているが、これはそのなかでも、僕の中にあるジャズのフィーリングが最も出ている、いちばん気に入っている作品。

タイトルにある「ホセ・ヤコピ」というのは、アルゼンチンがいまも世界に誇る名ギター製作家の名前で、’1511’というのは、ビデオにも写真を出してある、11月の東京公演で、縁あってはじめてプレイする、1976年に作られた優れた楽器につけられた番号。
これは、僕が最も影響を受けた、ピアソラの「ドブレ’アー’の哀しみ」に向こうを張ったものだ。

ただ、この曲はソロでもいけるが、できれば後半、セカンド・ギターやフルートなどのメロディ楽器を入れて、グループでプレイしたい考えでいる。

HOPE U NJOY!

Piazzolla por J.S. Bach  ピアソラに捧げるアルゼンチン風バッハ「ブエノスアイレスの雨傘」

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11月~12月の日本での、すべての公演においてオープニング・ナンバーとしてプレイする曲をご紹介したい。

傑作ミニ・オペラ「ブエノスアイレスのマリア」のクリエイター、オラシオ・フェレールが詩を書き、ピアソラが曲を担当、そして名歌手、アメリータ・バルタルが素晴らしい名唱による録音を残した「ブエノスアイレスの雨傘」を、バッハの名曲「サラバンド(BWV.997)」に融合アレンジを試みたオリジナル・ギターソロ。

ピアソラは、その音楽に対する、一切の妥協を許さない姿勢や、きわめて先を進んでいた斬新な発想によって、72年の生涯のほとんどの歳月を、保守派や無理解者との闘いに明け暮れなければならなかったミュージシャンだ。

同じような状況によって、現在のドイツ国内を、生涯にわたって転々とせざるを得なかったバッハと、まさに同じような人生を歩んだ人と言ってよいだろう。

これは、そんな20世紀最高の音楽革新者のひとりへの、僕からのささやかなオマージュ

ふたつの、まったく異なる時代に作られた音楽を一つに編曲し、効果的なイントロ、アウトロ、そしてトランジッションを付け足したしたものだが、おそらくどちらも知らないで聴くと、どこがピアソラで、どこがバッハなのか全くお分かりにならないと思う。

このふたつの作品は、僕にとって全く同じエモーションを持つものだ。

・・・空には雨が生まれる岸辺があって、そこは晴れている。しかしその場所に行き着くには、荒々しい空の道をたどり、あまりに多くの雨を浴びるので、あなたもあたしもからだがとけてしまう。でも、そうすれば、あたしとあなたは永遠にひとつに結ばれるはず・・・

と、泣かせるオラシオ・フェレールの詩も圧巻だ。
僕の訳はあまり良くないが、ビデオには、スペイン語による原詩と、日本語字幕をつけてある。

そして、アメリータ・バルタルの、ねっとりとした情感を湛えた声。

僕は今でも、一番好きな女性シンガーはと問われたら。迷うことなく彼女の名前を口に出すだろう。
このギターソロは、アメリータ・バルタルの声を、ギターで模倣して表現している

HOPE U NJOY!!!

El significado de la canción: ‘El Alazán’ de Atahualpa Yupanqui アメリカ人ライターによる、ユパンキ「栗毛の馬」の背後にある意味

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Una
página muy interesante de ‘El Alazán’ de Atahualpa Yupanqui
, publicada por una increíble americana. Podrás escuchar mi interpretación también.

Una
pagina molto interessante di ‘El Alazán’ di Atahualpa Yupanqui
, pubblicata da una incredibile americana. Puoi ascoltare anche la mia interpretazione.

A
very interesting page of Atahualpa Yupanqui
, published by an incredibile American. You can also listen to my interpretation.

あるアメリカ人の女性ライターによってアップされた、
ユパンキの名曲「栗毛の馬」を英語で徹底分析するホームページ

本家本元の演奏しているビデオはもちろん、僕の演奏しているライヴ動画も紹介されている。

プロフィールを見ると、自分でもいろいろな楽器を演奏する音楽愛好家のようだが、アメリカでも、こうしてユパンキの作品を本質的に理解する人々が増えてゆくことは、本当にうれしいことだ。

「栗毛の馬」は、アルゼンチン・フォルクローレらしい土臭いテーマのなかに、多大なるバッハの影響と、まれにみる高い音楽性とテクニックによるギターの表現力が融合した最大の名曲。
僕にとってユパンキとの出会いは、この曲とともにやってきた。
なんといっても、それがすべてだったと思っている。

ニューヨークは現在、僕が初めてここにやってきた時代に比べ、恐ろしいまでに文化面が崩壊し、幼稚化、その結果、アートと見世物の区別がつかなくなってきており、おそらくそれを危惧するアメリカ人も決して少なくないだろう。

「栗毛の馬」のような至高の音楽は、きっとこれから今の混沌とした世界を、本来人間が共存すべき大自然と結び、そして明るく照らしてゆくものだと僕は信じている。

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2023年11月18日(土) 10年ぶりの盛岡公演は、明治時代の歴史的邸宅「南昌荘」

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今秋、盛岡を10年ぶりに訪れることが何よりも嬉しい。

コンサート会場は、明治時代に建造された景観重要建造物「南昌荘」。

もともと、秋田出身の瀬川安五郎という明治の大実業家が、自宅としてかの地に建てた屋敷だったが、1907年に第五代盛岡市長に就任した大矢馬太郎は、同年、瀬川安五郎から南昌荘を取得した。
大矢家では、これを別荘として使用し、1908年原敬夫妻が1カ月滞在、翌年は伊藤博文が韓国皇太子李垠殿下とともに盛岡を来訪し、南昌荘では歓迎の園遊会を開催している。

公演の頃は、紅葉が最も美しい時期。
美しい日本庭園をバックに、畳と襖をすべて取り払った大広間が、そのままステージとなる。

盛岡は最近、ニューヨークタイムズによる、世界で最も行ってみたい街調査において、ロンドンに次ぐ第2位となり話題を呼んだが、僕はもう20年以上も前から、この土地の素晴らしさを心から感じていた

コンサートの詳細は、上記ビデオをご覧ください。

26 Nov 2023, Homenaje a Piazzolla en Tokio ピアソラ・オマージュ東京公演は、再びアルゼンチン大使館の後援を受け、日亜国交樹立125年記念コンサートに

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La palabra de ‘Doble-A‘ indica ‘Alfred Arnold,’ el nombre de la marca de bandoneón que tocaba Astor Piazzolla.
Mi ‘Quejas de un Doble ‘A’‘ es por seguro, ponme en contra de ‘Tristeza de un Doble ‘A’. Mas mi ‘Doble ‘A’‘ también indica la otra cosa que he estado cultivando durante muchos años.

Andalucía-Argentina’.

Ahora eso me hace preparar mi aproximación final para llegar a mi ultima destinación ‘Cante Jondo Iberoamericano’, junto a la estupenda escénica del gran innovador argentino.

11月26日(日)、東京世田谷キリスト教会礼拝堂にて行うリサイタルは、3月の東京オペラシティ公演に引き続き、再び在京アルゼンチン大使館の後援を受け、アルゼンチン日本国交樹立125年を記念するコンサートになる。

まずはじめに、この場を借りて、在京アルゼンチン大使館の皆様に心から感謝申し上げます。

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僕はこのリサイタルにおいて、三曲のオリジナル「ピアソラ・インプロヴィゼーション」を初演する。

この動画は、そのうちもっとも最近できた曲、「ドブレ・アーの嘆き」のPRビデオ。
全体の4/3を収録し、秋の公演の告知としている。

タイトルの「ドブレ・アー(ダブルA)」というのは、アストル・ピアソラが愛用していたバンドネオンのメーカー、「アルフレッド・アーノルド(頭文字のAが二つ重なる故)」の愛称。

もちろんこの新作曲は、僕が少年時に心から感激したピアソラの名曲「ドブレ・アーの哀しみ」の向こうを張るものだが、僕にとってこの「ドブレ・アー」とは、もうひとつ、僕が長きにわたって培ってきた、ふたつのAを頭文字にもつ固有名詞を意味する。

それは、「アンダルシアとアルゼンチン」。

パコ・デ・ルシアの遺作アルバムとなった「アンダルシアの歌」を聴き、僕が深くかかわるアルゼンチンの伝統音楽に加え、ピアソラやアニバル・トロイロなどのブエノスアイレスの素晴らしい調べの数々の故郷が、はるかアンダルシアの「カンテホンド(’深い歌’と訳される、アンダルシア文化の根幹をなすジプシーの調べ)」にあると確信した僕は、ついにここに、敬愛してやまないブエノスアイレスのバッハ、ピアソラをレパートリーにとり入れる「接点」をつかんだが、実際それはまだ、その時点で、ユパンキで実績を積んできた僕のコンサートに「恰好の材料」として融合させる「大義名分」としては、少々不十分だった。

ただ好きだとか、みんながやってブームになっているからというのは、自分のようなプレイヤーが事を起こす理由付けには決してならない。

そこで僕は、まず「カンテホンド」をより深く理解するために、すぐにピアソラにはアプローチせず、カンテホンドの代名詞的大詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカの全作品集を読みこみ、そのエッセンスを自作品に導入し、「カンテホンド・イベロアメリカーノ(南米の深い歌)」の確立に全力を注いだ。
それが2016年の暮れのことだった。

僕はスペイン人でもアルゼンチンでもなく、東京は虎ノ門生まれの渋谷育ち、エンコ生まれの浅草育ちの花田秀次郎(誰やそいつ?)というわけにはいかないが、生粋の江戸っ子日本人
アンダルシアもアルゼンチンも、本来まったく接点はない。

そもそも血の中に流れていない他国の文化を、評論家や愛好家が、ただ頭で理解するだけのものではなく、真に自身の体内を流れる血のごとく、ありとあらゆる毛穴を押さえても、そこから怒涛のように噴き出してくる「」としてトランスフォームさせるためには、長い年月をかけて研鑽を重ねる必要があった。

そしていま、僕は、ついに自身の最終到着地である「南米の深い歌」に着陸するための最終アプローチへの舵取りを、「アンダルシアとアルゼンチンのドブレ・アー」ととともにスタートさせている。

僕にとって、「集大成」という言葉は生涯縁のないものだ。

しかし、11月26日、東京世田谷キリスト教会礼拝堂にて行う、かけがえのない第二の故国・アルゼンチンを記念するコンサートは、ミュージシャンとしてこれまで重ねてきたこと、すべてを賭ける公演になることは間違いない。

下記ビデオは、「ドブレ・アーの嘆き」の短縮版。
これも、11・26公演の告知用として作ってある。