シロ・オオタケ、アタウアルパ・ニッポン
13歳のとき、’栗毛の馬’を聴き、その魅力に釘付けとなり、ただユパンキのようになりたくてクラシック・ギターとスペイン語を学んだ。
1989年にはセロ・コロラドにおいてマエストロに会う好機を得、その後は世界をまたにそのレパートリーを演奏活動。
そして昨夜ついに、師のナンバーとともにコスキンに登場….。
(見出し文より)
クラリン紙 (アルゼンチン)
1996年
95年のブエノスアイレス公演が引き金となり実現した、翌96年の、アルゼンチンで最も権威のある、中南米最大規模の音楽祭‘コスキン’での演奏。
これは、アルゼンチンの代理人をとおして送られてきた招待状で、“1月22日の夜、全国テレビの中心中継時間帯に出演していただきます”とあります。
結果は大成功で、帰りの空港では黒山の人だかりのサイン攻撃にあい、あやうく飛行機に乗り遅れるところでした。
1995年、ブエノスアイレス公演時のポスター。
なにしろ巨大なポスターで、今回撮影のために10年ぶりに広げられました。
トウクマンの月、陽出づる国
ラ・ナシオン紙(アルゼンチン)
1995年
アルゼンチン、ブエノスアイレスにおける初公演時のプログラム
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界