![96madrid](http://shiroelarriero.com/wp/wp-content/uploads/2005/05/96madrid.jpg)
95年、スペイン、マドリード公演時のプログラム。
子どもの頃からあこがれつづけたギターの故国へのツアーはまるで夢のようでした。
![95ny](http://shiroelarriero.com/wp/wp-content/uploads/2005/05/95ny.jpg)
1995年、ニューヨーク市のキャミ・ホールで行われた、在米アルゼンチン医師会主催による、現代アルゼンチン作曲家の夕べと題したコンサートのプログラム。
ヒネステーラ、グスタビーノ、ブチャルド、そしてユパンキという四大作曲家のナンバーで構成されましたが、日本人の自分がこのコンサートで、ユパンキのパートを仰せつかり、これはとても名誉なことでした。
ニューヨークのコンサートでも忘れられないもののひとつです。
ただ、文化学院卒業を、ブンカ・ガブエン卒にされたおまけがつきましたが。
![95asahi](http://shiroelarriero.com/wp/wp-content/uploads/2005/05/95asahi.jpg)
民族音楽で米に溶け込む
朝日新聞
1995年
![94kyodo](http://shiroelarriero.com/wp/wp-content/uploads/2005/05/94kyodo.jpg)
ヒロシマの力強さに感動
共同通信による全国記事
1994年
![94hiroshima](http://shiroelarriero.com/wp/wp-content/uploads/2005/05/94hiroshima.jpg)
1992年の、広島市における私のデビュー公演の、最公演ともいうべき94年のコンサートのプログラム。
愛する広島市の皆さんとの友情は、もうこの時点で切っても切れない強いものになりました。
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界